西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

書籍の分類:経史子集の四部

2011-12-19 | 文化論、科学・技術論
『史記を語る』(宮崎市定著、岩波文庫)を読んでいたら、

中国では伝統的に、あらゆる書籍を分類して経史子集の四部に纏める方法が行われる。経は儒教の経書、史は『史記』を初めとする史籍、子は諸子百家の書、集は文学を主とする文集であって、経書を経典たらしめた編者は言うまでもなく孔子であり、史学の創始者は明らかに司馬遷であるが、子部、集部は集合名詞であって、創立者を持たない。こうした点から見ると、学問の上から言って、司馬遷は孔子と肩を並べる地位に立つものと言うことができる。」という文言にぶつかった。

さもありなん。

で、昨日、日本最古の書籍ともいうべき『古事記』について誰が何のために書いたか、ということがシンポジュウムで問題になっていた。これは古代の「憲法」をめざしたもの、という意見があった。まあ史書にとどまらない、という認識である。

日本の古代史書では、この『古事記』のほか『日本書紀』がある。『万葉集』や『懐風藻』は、古代の集であるだろう。

では、日本古代の経書はあるのだろうか。『古事記』自体に、大陸から『論語』などが持ち込まれた記事が見えるが、それが中国と同じように日本の経書にならなかったとしたらどうしてだろうか。その代わり持ち込まれた仏典が経書の役割を果たしたのだろうか。

それと、もう一つ日本古代の「子」(諸子百家の説)は何なのか、はっきりしない。

日本古代では、中国古代のように「がっちり」した論理体系を持てなかった(なぜか)、あるいは持たなくてもやっていけた(なぜか)ということが言えるかもしれない。