西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

茂木健一郎さんの夏目漱石把握などー楽しいと思うことー

2007-06-10 | 色々な仮説や疑問
けいはんなプラザのオムロン文化講座で茂木健一郎さんが喋ったらしくNHKラジオでやっていた。「人間と脳」の話のようだ。友人のFUTANさんは聞いたかな。FUTANさんは、茂木さんに凝っているようだが、私は少し冷ややかに眺めているが、今日の話は断片だけ聞けたのだが面白かった。夏目漱石の『坊ちゃん』で、夏目漱石のモデルは誰かだが、大抵の人は「坊ちゃん」その人だと思うかもしれないが、(そこには「良い自分」がいて、)「嫌な自分」は実は「赤シャツ」の中にいる。『我輩は猫である』の「くしゃみ先生」もそう、つまり夏目漱石は、自分を嫌なところを含めて客観的に眺めている。(これで小説書きに取り組めたのは、そのことを楽しんでいたからだ。)楽しいと思って取り組むと脳に「ドーパミン」という物質が出て、その楽しいことが更に強化される。数学者の藤原正彦さんに聞くと、朝、「今日は10時間も好きな数学に取り組めると思うと、ついにこにこしてしまう」とのことだが、これは藤原さんにとって(普通人には苦痛の)数学は楽しいことと言う「習慣」が出来上がっているためだ。(とにかく楽しいこと、あるいは楽しいと思って取り組むことが、脳も体も「進化」させるようだ)
(  )内は、私の感想等。初めから終わりまで何時か聞いてみたい。

長谷川 櫂著『「奥の細道」をよむ』を読む

2007-06-10 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
最近、俳人の長谷川 櫂さんという俳論もする人に注目している。熊本県出身、東大法学部卒、読売新聞記者を経てプロの俳人、1954年生まれの53歳。最近『「奥の細道」をよむ』(ちくま新書)を出した。
これは、まだ全部読んでいないが、私の「癒し」と「栄養」になる感じがしている。『奥の細道』と言えば、俳諧の古典中の古典、松尾芭蕉の真髄を表す書である。日本文学史上でも10指に入るのではないか。
長谷川さんは、この『奥の細道』で芭蕉は新境地「かるみ」を発見した、それも旅の後半、金沢でどうやら発見というのだ。これは、ただではおいておけない、と金沢出身の私は思い読む気になった。
で、長谷川さんは、芭蕉は50歳で亡くなったが、現代の私たちはその芭蕉の死後の長い歳月を生きていかなくてはならないのだ、と言っている。「この長く悲惨な人生をどう生きていったらいいのか。大きく分けて二つの道があるだろう。一つの道は嘆くこと。これは和歌、そして、それを引き継いだ短歌的生き方である。それに対して、もう一つの道は笑うこと。こちらは、俳諧、そして、それを引き継いだ俳句的生き方である。」本当にそうなのか、俳句の道で確かめてみたい、と思った。
最後に、切れと間が俳句の真髄と長谷川さんは言う。で「間」は日本文化の真髄では、とも言っている。「「間」にはさまざまな種類がある。「部屋の間取り」などというときの「間」は空間的な間。「間をおいて話す」の「間」は時間的な「間」。「間が悪い」の「間」は心理的な「間」である。日本人は空間、時間、心理などさまざまな次元の「間」を生活や文化のいたるところで使いこなして暮らしている。「間」の使い方を誤るのが「間違い」であり、「間」に気がつかないのは「間抜け」ということになる。日本の文化とは、「間」の文化なのだ。」(45-46頁)
空間のことについて40年以上考えてきたので、「そうだな」と思う。
(写真は、長谷川 櫂さん)

クラス会の余韻

2007-06-10 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、ブログにも少し書いたが、20年前に奈良女の住居学科を卒業した20人の元学生達の話を聞いていると、昔の学生時代の初々しい乙女達が、確実に仕事に、子育てに逞しくなっていることを実感する。一人5,6分位の「喋り」だが足りない感じだった。まあ個々人とブログ等で会話が出来るとはいえ、皆とは10年後に会うを約した。どのように成熟していくのか楽しみである。

確実に学生期(がくしょうき)より家住期(かじゅうき)へ昔乙女子今熟女へと 市路