父・瓜生留雄(うりゅう・とめお)は、12年前、84歳で東京で亡くなった。父は母と戦後、昭和30年(1955年)頃に事情で別れた。その後、父は東京で再婚し、私には金沢の妹とは別に二人の弟が東京にいる。年賀状や暑中見舞いの付き合いだ。
私は、幼稚園に入る昭和21年(1946年)に瓜生姓から西村姓になっている。父についての思い出は、戦後の10年間のものだ、戦前は、職業軍人として(元々は京都帝大法学部の出身だが、出てから陸軍経理学校に行った。)母と満州に行き、昭和18年(1943年)に満州で妹が生まれた。私は「万一」のことをを考えて一人娘だった母の実家(西村)に預けられたのだ。だから、私は満州に行かず、ずっと金沢なのである。戦後、父は復員してから、少し金沢にいたが、母を含め一家で東京に行こうとなった。父が叔父のつてで鹿島建設に就職することになったからだ。叔父(瓜生復男)は東京帝大法学部出の外交官(後に初代アルジェリア大使)であり、先輩の外交官出身の社長・鹿島守之助さんを知っていたからである。ところが、母が西村の一人娘であったので祖母が東京行きに強硬に反対、父は東京に単身赴任、夏や冬に帰って来ていて、その時に「ターザン映画」に連れて行って貰った楽しい思い出がある。しかし、父の東京生活が「不便」となり昭和30年頃に協議離婚となった。私と妹は母や西村の祖父母と暮らすことになった。
瓜生家は、元々前田藩の支藩である大聖寺藩の藩士の出である。遠い親戚には、日露戦争で活躍の瓜生外吉がいる。後に海軍大将、男爵となった。祖父は教育者で瓜生余所吉だ。伯父に宮内庁次長の瓜生順良さんがいる。私の別の伯父で山崎家に養子にいった人がいて、その孫が、現在、神戸大学にいる山崎寿一君である。山崎君のお父さんと私が従兄弟なのだ。私が東京に行かず京都の大学に行ったのも、以上の事情が一部働いている。しかし、親父が鹿島建設にいたことが建築学科に行った一つの要因だろう。パトリック・ゲデスの『進化する都市』を鹿島出版から出すときに親父の世話になった。今頃は、親父とお袋は、一家仲良く暮らしていた戦前から昭和20年代を懐かしがっているかもしれない。とにかく、戦争は、家族を生木を裂くように別れ別れにするものだ。戦争は、絶対してはいけない!!(写真は「楽しい家族」のイメージ、インターネットより引用)
私は、幼稚園に入る昭和21年(1946年)に瓜生姓から西村姓になっている。父についての思い出は、戦後の10年間のものだ、戦前は、職業軍人として(元々は京都帝大法学部の出身だが、出てから陸軍経理学校に行った。)母と満州に行き、昭和18年(1943年)に満州で妹が生まれた。私は「万一」のことをを考えて一人娘だった母の実家(西村)に預けられたのだ。だから、私は満州に行かず、ずっと金沢なのである。戦後、父は復員してから、少し金沢にいたが、母を含め一家で東京に行こうとなった。父が叔父のつてで鹿島建設に就職することになったからだ。叔父(瓜生復男)は東京帝大法学部出の外交官(後に初代アルジェリア大使)であり、先輩の外交官出身の社長・鹿島守之助さんを知っていたからである。ところが、母が西村の一人娘であったので祖母が東京行きに強硬に反対、父は東京に単身赴任、夏や冬に帰って来ていて、その時に「ターザン映画」に連れて行って貰った楽しい思い出がある。しかし、父の東京生活が「不便」となり昭和30年頃に協議離婚となった。私と妹は母や西村の祖父母と暮らすことになった。
瓜生家は、元々前田藩の支藩である大聖寺藩の藩士の出である。遠い親戚には、日露戦争で活躍の瓜生外吉がいる。後に海軍大将、男爵となった。祖父は教育者で瓜生余所吉だ。伯父に宮内庁次長の瓜生順良さんがいる。私の別の伯父で山崎家に養子にいった人がいて、その孫が、現在、神戸大学にいる山崎寿一君である。山崎君のお父さんと私が従兄弟なのだ。私が東京に行かず京都の大学に行ったのも、以上の事情が一部働いている。しかし、親父が鹿島建設にいたことが建築学科に行った一つの要因だろう。パトリック・ゲデスの『進化する都市』を鹿島出版から出すときに親父の世話になった。今頃は、親父とお袋は、一家仲良く暮らしていた戦前から昭和20年代を懐かしがっているかもしれない。とにかく、戦争は、家族を生木を裂くように別れ別れにするものだ。戦争は、絶対してはいけない!!(写真は「楽しい家族」のイメージ、インターネットより引用)
駄文失礼致しました。
ついでにhttp://blog.goo.ne.jp/in0626/e/8b0e28de93258f6cc0195708c20d8b49 も見てください。
もし、よければメールにお便り下さい。
ichiro@cc.nara-wu.ac.jp
山中というのは山中温泉の山中ですか。
辻 長四郎というお祖父さんはどういう人物ですか。宜しければ教えて下さい。
曾祖父の松本源太郎は、学習院教授兼学習院女学部長でした。曾祖母の松本愛子は東京音楽学校でヴァイオリンを習い、京都府立第一高等女学校の先生となり、その後結婚しています。
松本愛子は従兄弟に当たる瓜生外吉氏、繁子夫人とは非常に親しく、ヴァイオリンを始めたのも繁子夫人の影響ではないかとの話です。また、兄の岩原謙三は三井物産に勤め、後にNHKの初代会長となりました。
辻 彦四郎氏については存じませんが、きっとご縁があったのですね。
瓜生さんは外吉氏の伝記を作成なさりたく、協力者を求めていらっしゃいます。
ときに余所吉さんのお父さん、お祖父さんの名前はわかるのですか。