西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「今、学校に求められるもの」と平和教育

2006-08-23 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
研修1日目、14時半から桃山学院大学チャペルで開会礼拝があった。ここでの説教は、桃山学院の学院長で聖公会・大阪教区の主教(Bishop)である宇野 徹さんが短時間行った。ローマ時代の武力による「パックス・ロマーナ」は結局滅びた(そうは言われなかったが、現在は「パックス・アメリカーナ」の様相ではないか)、そういう時に、日本国憲法9条は益々光っている。小国ではあるが、コスタリカが武力を放棄した。今回の研修では、聖公会として平和教育についても考えていこう。・・・初めて、この研修会に参加して「へー」と思った。明日の分科会で、「憲法9条の成り立ちと世界史的意義」に参加申し込みをして良かったと思った。
引き続き会場を移して基調講演があった。広島女学院理事長補佐の黒瀬真一郎さんで演題は「愛と恕(ゆる)しーヒロシマの心を折鶴にのせてー」というもので、広島に勤めてから40年、原爆被災・被害のことは廃棄まで語り続けねば、という意気込みがひしひし伝わってきた。黒瀬さんも1941年生まれで私と同年である。広島女学院の戦前の校長は、現在、聖路加国際病院の名誉院長の94歳の日野原重明先生のお父様で、海岸線に学校を移転しようとして、海軍に拒否され、ならばと森に囲まれた山に移転を敢行、ところが院内に市街地平野に敷地があるのに、と反対運動があり、日野原校長は追われるように辞めて東京へ、しかし、「おかげで」学院は被爆しなかった。しかし、女学生は、「建物疎開動員」で8月6日に市内に来ていて被爆、多数の犠牲者を出した。「慟哭の悲劇」だった。黒瀬さんは60歳まで広島女学院中高の英語の教師として、英語も使って「記憶」を記録、発信して来られ、校長までやられた。定年後は理事長補佐で、「平和教育」を発信しつづけておられる。ひろしまには、古い軍都・廣島、大江健三郎さんも使っている反核・平和のカタカナのヒロシマ、戦後の「国際・文化・平和都市」広島の三つの顔が重なってあると言う。明日の分科会につながる話であった。
最後にチャペルコンサートがあって、「古き良きイギリスのはやり歌」をリュート演奏(佐野健二さん)とソプラノ歌唱(平井満美子さん)で聞いた。
(写真右が、桃山学院長・宇野 徹主教)

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