西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

奈良女時代同僚有志の「忘年会」(末広会)

2010-12-24 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
年に一回、年末に奈良女時代の同僚有志で忘年会をしている。今年は場所を奈良で探すことになり、私が担当した。1,2知り合いに聞いて、また実際に行ってみて、奈良町の「粟(あわ)」にした。2年ほど前に出来た店(伝統野菜と大和牛)で、以前も何かレストランだったようだが記憶がない。

奈良町の伝統町家を内部改装している。最初に予約した時には、席は、一番奥の蔵部を改装した2階となっていたが、今度の参加者には「高齢者」も多く、蔵のやや急な階段が「しんどい」と思ったので店長に頼んでツボ庭が見える和室に変えてもらった。

参加者は、去年の8人にたいして都合で2人欠席で6人、「末広会」になっていない。この「末広会」というグループ名は去年、京都の「魚三楼(うおさぶろう)」で行った時に私が提案して決めたのだが、皆忘れていて、誰も思い出さない。いやー「歳だな」と、思った。しかし去年の日記(ブログ)に書いておいてよかった。「会員」も「末広がり」(定年退職者が次々加わるはずだから)との意味づけもあったはずだが、努力せず?、去年と同じ会員数だ。

60歳台は私も含め3人、70歳代以上が3人だ。先輩3人が「上席」、我々60歳代3人が「下席」、先輩方には座イスをお願いした。まあ「末広会」には、八十歳代になっても益々元気に、という意味ももたせてある・・・。しかし、70歳代で一番若い先生と60歳代で一番若い先生が心筋梗塞の手術をしておられる。今はお二人とも元気だ。

現役時代、食物学科所属が3人、住居学科が2人、生活経営学科が1人である。いきおい、食い物のこととか、住居のこととか、家計のことなども話題となる。田沢湖にいて絶滅したと思われていた「国鱒」が西湖で見つかったというニュースについて水産学科出身の先生が「そんなに大きく扱うニュースとも思わないが、他のニュースから目をそらせるためか」などとうがった見方を提示された。また「今日は天皇誕生日だが、天皇が記者会見で、魚を正確に「うお」と言っておられるのには感心した」とも言われた。

確かに後で辞書をみると、魚類は魚と書いて「うお」と言うのが正しく、「さかな」は元々「酒菜」であって、肴と書く。まあ「うお」も「さかな」に多かったので魚(うお)も「さかな」と言うようになったのだろう。

絶滅と言えば、狼の絶滅が山中の鹿、猪などの異常な増加と関係がある、漢字圏では、狼は獣偏に「良」と書く、日本では「大神」である、と去年ぐらいからの私の認識を披露しておいた。

まあ、共通で健康の問題も話題となり、私は、最近、江戸時代の儒学者の貝原益軒の『養生訓』を松田道雄訳で読んでいることも披露しておいた。

料理は、大和野菜及び世界の伝統野菜がベースの「健康料理」で、それらは奈良市南部の「清澄(きよすみ)の里」でNPO及び提携農家で作られているようで、「粟」の本店は「清澄の里」にあるようだ。

そこは天理にも近く、紅葉や酒の発祥地としての正暦寺(しょうりゃくじ)にも近い。

まあ地産地消である。少量ずつ多くの野菜(大豆含む)料理を頂いた。大和牛のユッケ(生肉千切り)やタタキも頂いた。飲み物は生ビールに始まり、焼酎湯割り、日本酒と「ほろ酔い加減」(貝塚益軒推奨)で頂いた。デザート果物、コーヒーで仕上げである。

店をでて、未だ奈良町にある奈良女子大学のセミナーハウスを見たことがない先生が3人おられたのでぶらぶら見に行った。今日は祝日で鍵がかかっていた、裏に回って庭や縁側を見た。

帰りは、興福寺の五重塔を見ながら近鉄奈良駅方面へ、元興寺の極楽坊にも立ち寄った。これは、明日香の飛鳥寺の移築であり、屋根には一部日本最古の瓦がつかってある、と説明した。生活経営の先生が「農家住宅でも減価償却は最後に1割残るようにし、その1割は瓦代だ」、とのこと、「なーるほど」と思った。元々の飛鳥寺は蘇我氏の寺である。

だから、それを亡ぼした藤原氏の興福寺が北にそびえて五重塔が見え、さらに「上」のほうに聖武天皇建立発願の東大寺がある。一種の「階層構造」になっている、と訳ありに言ってみた。どうでしょうか。

来年は、「末広がり」になるように・・・。

去年の様子:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b1f5e91242b37332d1fbd52eb4203eb7

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