西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

利己主義と利他主義(鷲田清一さん小文より)

2011-01-17 | 文化論、科学・技術論
町の図書館に先週金曜日に行って新聞、雑誌を少し見た。で、『科学』(岩波)という月刊誌を見て、気にとまった文章があったのでノートした。昨日のブログに太平洋戦争に至る日本陸軍の暴走についてのテレビ番組を見て、感想、小考察を載せた。

今日は、それにも関連し、金曜日にノートした巻頭エッセイの「「他人」の位置」という鷲田清一さん(阪大総長、哲学)の文章の中から一部引用してみたい。

「…ひとの存在が社会的なもの、つまり相互依存的(inter-dependent)なものであるかぎり、利己と利他はいずれも貫きとおすことの不可能な主義である。いずれも自身の死へつながるからである。
 わたしたちの生存は、だれも独りでは生きられないという、そういう峻厳な条件の下にある。そう、わたしたちの存在はつねに相互依存的なものである。
育児から食事、労働、教育、介護、看取りまで、それらをひとはつねにだれかに頼り、頼られつつ営んできたのであって、独立(in-dependent)して生きうる者などいない。そのように考えるなら、「自立」とは、独立のことではなく、いざというときにインターディペンデンスの仕組みにいつでも頼れる準備ができているという状態を意味することになる。利己か利他かの二者択一を迫るのは、さして身のある議論とは思われない。」

つまり、普通は利己と利他は混じっていて、どういう条件でどちらに傾くか、であろう。しかし、絶えず条件依存的ではなく、各人でその持っている色合いはあるであろう。まあ利己が利他よりも多いのが普通である。
そして、利他は個人に依存するのではなくシステム(仕組み)が必要なのである。