西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

人間の移動と定着ー私の場合からも、歴史的にも考えるー

2011-01-15 | 思いつきから仮説へ
私の場合、生れてから高校卒業までの18年間、金沢市の寺町台に「定着」して住んだ。次に大学進学の事情で京都、と言っても教養部があった宇治に移住、2回生から大学院修士課程まで5年間は京都市内(1度移住)、就職して豊田市に4年、京都に転勤になって京都市内(2度移住)、次に奈良に転勤になったが、しばらくは京都市内に居住、1994年の秋以来、現在地(精華町)に住み、別に奈良市に書庫住宅を持っている。

これを見ると、高校までは極めて狭い地域で「定着」していたが、大学受験ということから別の土地に移住することになった。友人では、もちろん金沢大学に進学し、住まいもそのままの人もいたが、後は東京が一番多く移住した地であり、続いて関西も結構いた。後は北海道から神戸(これは関西だが)まで秋田、仙台、横浜、信州、名古屋、富山、京都、大阪などに散らばった。

大学(あるいは大学院)を卒業(修了)して就職すると、その就職先の事情に左右されて勤務地が決まってきて、また移動(移住)することになる。その後、その職場にいるにせよ、転職するにせよ、色々と移動する。私の場合は、色々な事情で生れて18年間、金沢にいたが、戦争中に父母について満洲(現・中国東北部)に行ったり、戦後も父について東京に行ったかもしれないのである。

事実、私の友人に「君の郷里は?」と聞いた時、「生れたのは○○だが、父が転勤族だったので、××にもいたし、△△にも行った。今は□□に父母がいるが・・・」等と答える場合も多い。

こういう訳で、現代では、生れてこのかた、親の職場移動、自分の進学、就職事情で色々と移動したうえ、リタイアした場合、まあ一般的にようやく「終の棲家」が確定する場合が多い。

これが江戸時代以前の歴史的時代になると、まあ農民の場合は、一定の地域に定着しているかもしれないが、武士になると、大名の戦いによる移動(例えば織田信長の岐阜から安土への移動など)や移封(例えば徳川家康の江戸移封など)によって、移動する。職人や商人も大名について移動する。(例えば、金沢に尾張町という町があるが、これは元々は前田利家が尾張から連れてきた商人を住まわせた町であり、近江町は元々、近江の商人が移り住んだ町である。)

更にずっと昔にさかのぼると、日本列島に大陸から様々のルートで移住してきた。その元を尋ねると6,7万年にアフリカから出た人類に行きつくのである。これらの移動の全ての理由の根本には、「飯が食えるかどうか」ということが横たわっているのだ。

採取時代までは、食えるものをみつけて移動したし(ゴミが堆積し不衛生になっても移動!)、農耕時代にはようやく「定着」したが、国家が出来るにつれて、「定着」とともに「移動」もはげしくなり、経済が国際化(グローバル化)するに連れて地球全体に人類は拡散、混合しつつあるのである。

何時頃に「国境」がなくなるのであろうか。それまで地球はもつであろうか。