西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

老いを考え、老いを実践していく

2011-01-14 | 時論、雑感
無事、今年の誕生日が来ると、いわゆる「古稀」(70歳)となる。「古来、稀なり」である。まあ、私の父は84歳まで生きたので、それから考えるとまだまだだ。だが母方祖父は66歳で亡くなったので、それは「越した」ことになる。

まあ、「古稀」を過ぎれば「老いを考え老いを実践する」立場になる、と自覚している。
昨日、今日とラジオ深夜便で作家・黒井千次さん(78歳)が「老い」を語っていて興味深いものだった。一言で言うと「自然に老いるのが良い(だが、最近は、老いの型が失われている)」といった認識を語っていた。

他に、男性と女性では「老い方が違うのでは・・・」とか、「死ぬまでに自分としてやるべきことを完結すべきか(完結できるか)、中途半端に終わるのか・・・」といったことも語っていた。

私は、基本的に男女平等としても、女性は産み育て色々世話して生き抜く性、男性は後姿を見せて静かに黙って死する性と考えている。それは自分自身の祖父母、父母の体験に接してそのように思うようになった。

「完結するか中途半端か」については、良く考えてみると、「全ては中途半端である」と言えるのではないか。そうであるからこそ、後の世代が、感心したり、批判したりしながら、その「中途半端」を引き継いでいくのではないか。

どんな偉人でも大学者でも、「完結」はありえない。そう考えると、今からでも新しいことにチャレンジする勇気がわいてくる感じだ。どうであろうか。