明治33年発行の清水清風著「うなゐの友」2篇に描かれている丸〆猫の図について長年考えていました。描かれた玩具はすべて清水清風の手元にあったものを観察して描いたものと考えられます。どこかで聞いた話ですが、描かれたものの中には実物が収集家の手元に現存するものもあるそうで、例えば、丸〆猫と同じ2篇の中に登場するこけしなどどこかにあるとかないとか、、。
描かれた丸〆猫は、伝世する昭和はじめの作といわれる10センチくらいのものに構図といい配色といいよく似てはいるのですが、重ね合わせても全く同じというでもなくちょっと違います。
しかし描かれた実物については写真などで残っていると聞いたこともなく、確認できません。
昔の人の描画についてどこまで実在の立体として信用して捉えることができるものなのか?かなりデフォルメされているのかどうか、、?
画像が昨年暮れに試みに画から推定してモデリングしたものです。招く腕の出方や背中から腰にかけてのラインや前膝あたりの張り型も画のようにモデリングしたつもりです。首輪(ひも)はありません。絵の猫は鼻梁も長くなくて豚の鼻のように鼻腔が正面を向いているようです。両目はもう少し寄せて下のほうがよかったかどうか?
背面は図に描かれていないので実際わからないところですが、正面の姿と昭和はじめの丸〆猫との折衷式のモデリングとし、丸〆の彫りの〆は立ててみました。
配色についてはよだれ掛けの縁が白緑のような色に描かれていること、朱色よだれ掛けの中を2本の金線(昭和はじめ型では銀線)が走っていることなどを画のとおりにしました。
瞳の表現については画像はあくまで想定で、上瞼だけ描いて上目づかいの瞳をいれましたが、画には下瞼らしき線もあり、上下の瞼を描いたほうがよいのか、あるいは上下の線とも眼のでっぱりを示す線にすぎないのだとすれば瞳だけ入れるという可能性もあります。実際どうだったのでしょう。
鼻腔は画では黒点ふたつでただ鼻腔の孔があるだけで朱を入れていないのかもしれませんが立体の場合朱を入れないとバランスがとりにくいような気がするので入れてみました。手足の爪を表す朱のぽちぽちも画には描かれてはいません。
清風の描いた丸〆猫が実存するならば、どうなのでしょうか?実際をわかるまでは、画像のように想定しているばかりです。
写真ならともかく描かれた画はどれくらいデフォルメされているのか、その匙加減がわかりません。先日日本人形学会のHさんとこれについて話をしていたのですが、後に「うなゐの友」を引き継ぐ西沢笛畝の画になると、描かれているものは、本人の自由な表現のためのモチーフにすぎないようで、画そのものと実物とはかなりかけ離れているのではないか?それに比べれば清水清風に画は資料的には信頼できるのではないかとのことでした。もちろん川崎巨泉くらいに忠実に描いてあるものはかなりの信ぴょう性はあるのだろうと思われます。
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