東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「子抱き(大)」(尾張屋春吉翁 作)★

2015-04-02 04:47:49 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)



最後の今戸人形師と言われた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。今戸人形の中でもよく知られた型です。また春吉翁作の人形の中でも比較的大きな部類に入るものではないかと思います。

背面の帯部分に四角い枠の中に「尾兼」という印があり、型としては春吉翁の養父である尾張屋5代目・金澤兼吉翁(天保4年?~大正8年・76歳)が起した型なのだと思われます。



「子抱き(大)」という名称は、有坂与太郎による著作に表記されているとおりで、(大)に対し(小)とある人形はこの型とは別の形です。



赤子に乳を与えている構図の人形であることは共通しています。



土人形で似た構想のものは、他の地方にもあるようで、山姥と金時になっていたり、マリア様に見立ててあるものもあるようです。



この尾張屋さんの人形は純全たる風俗スケッチという感じです。お母さんは既婚だから眉を落としていて、ほほ笑んだ口には鉄漿(おはぐろ)の黒が覗いて見えます。



子守狐同様、このお人形もまた母性豊かな表情ですばらしいと思います。



戦前で途絶えてしまった人形ですが、戦後になって、途絶えてしまった今戸人形を惜しみ、当時の郷土人形の愛好家がそれまで人形製作をしていなかった白井孝一さんに人形作りをすすめたのを機に、現在に至っているのはみなさん御存じのとおりです。この「子抱き」(大)については当時の愛好家のおひとり、湯島で飾職をしていた袴田穣さんがご自分が大切にされていた今戸人形を戦時中湯島天神下にあった防空壕の中に油紙に包んでおいたものが湿気でやられて色がとれてしまったものを白井に提供された型どりを促したのがきっかけだそうです。現在ではそういった経緯が忘れ去られ、白井さんでは背面の「尾兼」の刻印を消して「今戸焼」という刻印を入れてあたかも自家製オリジナルの如く作っていらっしゃいますが、本来尾張屋さんの人形の型であった事実を風化させたくありません。



 



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