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生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信762 ・「たとえ困難な道でも自主性を」

2011-01-07 06:34:15 | 日記
おはようございます。菅首相は国対委員長として、”偽黄門”の渡部恒三氏を起用するようです。会津弁の”毒”が撒き散らされ、永田町はますます汚染が進みそうです。
生き生き箕面通信762(110107)をお届けします。

・「たとえ困難な道でも外交の自主性を」

 「(菅首相は)国家観、政治哲学を欠いたままで国を担う資格なし」と、西岡武雄参院議長が月刊誌「文芸春秋」に手記を寄せた、と本日の朝刊各紙が伝えています。明日発売の文集に掲載される”憂国の直言”の表題は「菅・仙谷には国を任せられない」。

 菅政治に品格が感じられないのは、国家観や哲学といった次元を欠いていることが天下に露わになってしまったためです。菅さんが、発言する内容、あるいはその振る舞いは、すべてがパフォーマンス。一日でも長く総理の座に居座るためには、いまどうするか、そこからすべて発想しています。国民、国家のことは二の次。だから、品格を論じる場で一番使いたくない言葉ですが、菅さんには「うすぎたなさ」を感じてしまうのです。

 「米への意義や拒否を恐れるな」という見出しの寄稿が、本日の朝日朝刊オピニオンのページ(15面)に掲載されています。筆者はクリストファー・ヒューズさんという東大やハーバード大の客員教授を歴任した、日本の外交・安全保障問題を専門分野とする英国の大学教授です。

 ヒューズさんは「(日本外交が)米国への安易な依存に戻ることは短期的には容易な道だが、長期的には日本外交の失敗を招く。たとえ困難なジグザグの道でも外交の自主性を高める方向に進むべきだ」と提言しています。

 氏からみた日本外交は、自民党時代には同盟強化を求める米国にともかくついていく「しぶしぶながらのリアリズム」。政権交代後は、同盟深化に同意しながらも米国の真の意図に疑念がぬぐえないなかでの米国依存という「いらだち交じりのリアリズム」、と分析。

 そして、日本がとるべきはこの二つのリアリズムではなく、日本のパワーと本質的な国益を見定める「現実主義的なリアリズム」へ進むべきだとしています。

 日本は米国一辺倒ではなく、東アジアで台頭する大小様々な国とも戦略的な関係を強めねばならないし、中国と共存する道を見いださねばならない、とも協調しています。「中国を東アジアの地域統合に取りこむ多国間の枠組みを築く一層の努力が必要だ」と、具体的な指摘も。

 しかし、反小沢に狂奔する菅首相には、こうした貴重な声は届かないのでしょう。届いたとしても、いまのパフォーマンスの演目には取り入れないのでしょう。そうした姿を海外から見ると、「日本国民の政治意識の低さ」、あるいは「日本はつまらない国」と映っています。