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渋谷・駅から公会堂へ

14日木曜日に渋谷駅から渋谷公会堂へ向かって歩いた。夕闇迫る時間であったので飾られているクリスマスのイルミネーションが目立ち始めていた。

ハチ公広場で


一番近そうな公園通りを通った。

公園通り





渋谷公会堂に着くと異様な感じを受けてしまった。「渋谷C.C.Lemonホール」と名前が変わっていた。正面入口上の物体も名称も何かシックリシナイ。何でも命名件を売り買いする時代である。

渋谷公会堂【渋谷C.C.Lemonホール】


公会堂前広場の像


並んでいるわけではないが、この広場に三々五々人が集りつつあった。
ホール入口にいたStaffの一人に尋ねてみた。「韓流感謝のつどい」と独特の発音で応えてもらった。韓国から来た人らしい。
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映るを写す

昨日はあったかい1日であった。
調布まで出かけたときの画像を貼り付ける。

調布市文化施設「たづくり」を撮り込んでみた。

南側


北側

  
室内から

   

こちらは中継地点池袋


ガラスと青空がテーマである。
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大宮公園

前にも何回か採り上げたが、大宮公園の横に就職した会社の独身寮があった。就職して出てきた場所がここであった。出来たばかりの新館側への部屋割りで、6畳2人部屋である。

大宮から私二駅目、アルコールが入ってしまえば歩くのには格好の距離であり、その際は公園内を突っ切って帰っていた。
春のサクラの時期には繰り出していたが、普段は夜池の周りを走っていた。ジョギングなんという格好いい表現はなかったように思う。思い出残る場所である。

その時を思い出して、屋台の写ってない画像(前回来たときに撮り込み)を貼り付ける。

広場とサクラの木


池南側


池中央


池北側(線路側)


同じ寮の一年先輩の中に背の高・低差のある2人がいた。いずれも同じ職場になったり離れたりした先輩である。この2人、夜になると扮装してアベックに見せかけ(と言っても背の低い方がコートを引っ掛けあたまに風呂敷を被っただけ)本物のアベックを観察に出かけていた。

数年たって部屋の相棒が寮を出て行った。一部屋を独り占め、嬉しくなっていたが、ほぼ同じ時期に一人になった背の低い方の先輩が飛び込んできた。招きたくない客人であった。会社から相手を見つけて一部屋2人を実践するように言われた結果らしい。

噴水のある池:氷川神社側



今日も出かけてきた。調布市の文化会館「たづくり」という施設での催しを見るためであった。オマケ付きであった。クロマティック・ハーモニカの世界トップ演奏者がそこを訪れたのである。今日もプロの音楽家の生演奏を聴くことが出来た。
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冬支度への迷い

昨日今日と霜は降りなかったが、一気に野菜の冬越しへ突入すべきかを迷っている。欲が張っているのである。
12月になり既に数回霜に見舞われている。
庭の水前寺菜は、元気には見えるが霜に当れば葉に傷みは出てくる。しかしまだしばらくは大丈夫だとも思える。
いっきに地上部を刈り取り冬を越す体勢にもってゆきたいが、欲が出る。あと少し食べたいという欲である。株そのものが枯れてしまうにはあと数回の霜には耐えてくれると判断した。

昨日の状態


収穫


あと1回は食べたいために冬越し準備は先延ばしをした。


ここまで終わらせた時電話が鳴った。悲しい知らせであった。伯母を共通にもつ人(姉)が亡くなったとの連絡、寂しさを感じる。郷里での宿泊先のホテルでとのこと、すべてその郷里で終わらせた後の連絡であった。

この日は前から予定していた事があり午後過ぎから出かけた。討ち入りである。場所は渋谷。新進気鋭の松田里奈さんのヴァイオリンと大ベテラン曽我部清典さんのトランペットという素晴らしい組合せ、暗くなった気持ちを和らげてくれた。その時モーツァルトの誕生日でもあるとのことも聞いた。

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氷川神社・十日市の屋台

出かけていてただいま帰宅、そのままパソコンに向かった。まだ続く祭の話題である。

氷川神社の境内外の屋台の数は、昔に比べるとヤタラニ増えているのではないかと思う。
二番鳥居から先の参道は当然ながら、大宮駅東口の線路と並行している駅前通りから、参道へぶつかる脇道にも屋台が並び大宮公園の中にも溢れかえっていた。更に追跡確認はしなかったが、東武野田線の最寄り2駅や、かなり離れている大型駐車場まで続いている気配であった。

大宮公園側の鳥居


公園内の屋台の流れ


更に続く公園内の屋台の流れ


まだまだ続く屋台の流れ
 

屋台には僅かながら射的が見られたが、殆どは食べ物であった。それも何種類かに限定されていて、隣り合わないように配置されていた。出所は限定されていてお互いの仲間同士ではないかと思えた。全国ネット催しがあればどこにでも出没している予感がする。
もう少しスッキリ(数を限定という事)がありがたい。
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柿の実とムクドリ

昨日13日は「すす払いの日」、我が家ではすす払いどころか床や畳の上のゴミすら取り除けないでいる。一番埃の集る(溜まる)場所は階段である。時々蜘蛛の巣さえ張り巡らされてしまう。綺麗にしたい気持ちは誰にも負けないつもりであるが実行に結びつかないのは何故なんだろうか。自分でも不思議に思っている。
「すす払いやりたいなあ」

今週の月曜日は晴れ間が見られた。牛乳を買いに行った途中で騒がしい柿木を撮り込んだ。騒がしいのはムクドリであった。
関越道の架橋を下りたところのお宅の柿木であった。

柿木:手前が柿の木、実がたくさん残されている


この家の反対側の方にも柿の木があるが、先日枝もぎをして実を取り込んでいたので実は残っていない。この木は樹高が高いせいか、味での欠点があるのか収穫してないようである。
ムクドリはこの時期は集団生活で群れている。しかも、人里を離れては生活できないらしい。何らかの人手がかかった場所が生活拠点である。良く話題になるのは団地や駅前での騒音や憤慨(鳴き声や糞害)である。

食事に集るムクドリ


近づくと飛び去るが、静かにしていると瞬く間に戻ってくる。やはり騒々しい。冬越しの体力作りなのか。しかし一般に鳥類は食いだめができない。雪が積もったあとの鳥を見ていると良く判る。
もう直ぐこの木の実はなくなってしまうことうけあいである。
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武蔵一宮氷川神社

数多く点在している氷川神社の大元締めである。正月、七五三など賑わう行事があるが、なんと言っても師走10日の大湯祭・十日市が一番であろうか。

浦和(いまは同じさいたま市内)の鷺山の南側には氷川女体神社なるものがあったことを覚えている。規模は大した事はなかったように思うが、参道の先(参道の始まり)の丸い池が印象に残っている。ここ大宮が氷川神社の大元締めといっても、こちらが大宮の氷川神社の先輩格だと聞いていた。

神の名を冠した池と橋


楼門


舞殿                            本殿
 

本殿の前にはビニールシートを敷いた賽銭箱ではなく賽銭箱モドキが作られていた。なかなか近寄れなかったが、紙幣もところどころに配置されていた。もちろん金属のものを投げ込み平安を願ってきた。

本殿と社務所の間の彩どり


社務所                           絵馬納め所
 

社務所には御神籤も当然あるが、熊手も置いてある。境内・神池の向こうで混雑している屋台の熊手とは異なり、小さめの質素なものが中心であった。
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ユズの収穫断念

昨日は午後から雨の予報、降り出す前に一作業と思って取り掛かった。庭のユズの実が収穫可能になったと判断したためであった。

まず、一本の枝に表面が黒色化した(食用に適しない)実がまとまって3個あったのでこれを切り取った。
次にいよいよ収穫である。最初の1個でつまづいた。鋏の握り部が破断してしまったのである。

仕方なく鋏を仕入れに出かけた。

鋏:新旧とも同じもの


何を隠そう105円の仕入れ値のものである。野菜の収穫にはこれでも立派に使える。使い古したこことユズの枝が硬かったための破損と納得しての買い替えである。注意すればそう簡単には破損しないと思っている。
この手の店で売っている鋏や包丁類は全てこれに似通っていて金属部は限定使用となっている。

店に行く途中で眼鏡に雨粒がついてきて、昼過ぎから完全な雨となってしまった。しかし夕方近くに薄日が差してきた。早速手作業再開と鋏を包装から取り出したとき、今日の収穫作業は中止と決めた。鋏に機械油のごときものが塗られていたのである。洗剤で洗ってこれで終了とした。したがってジャム作りも後日とした。


2日ほど前に昼のテレビニュース(だったと思う)の中で同じ鋏を見た。苺の観光農園で、食べ放題?の客がこの鋏と同じものを使っていた。しかも三人ぐらい同じ鋏を使っていたので明らかに農園備え付けの鋏であった。
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氷川神社の境内の屋台

タイトルに使った表現が正しくないかもしれない。参道や境内を取り囲んでいる場所にあるのは間違いなく屋台である。熊手を主体とした境内の店を屋台といっていいのかが分からないのである。

境内での売り物はいわゆる縁起物である。熊手が主体であるが、神棚や招き猫なども少し見られた。

熊手といえば酉の市が有名であるが、ここ氷川神社の十日市(とうかまち)も賑わいが感じられた。











掃除する時に使う(昔使っていた)熊手にチョット飾りを取り付けた可愛い熊手はこの屋台では殆ど見ることが出来なかった。本体の熊手を大きくはみだした縁起物の飾りが派手に取り付られて居るものが殆どであった。

商談が決まる毎に周りの店も取り込んで(同業者で結束が固い)の手締めを盛んに聴く事が出来た。景気が良かったのか、それとも来年の一攫千金を期待しての購入であろうか。

気になることは値切った結果の商談成立なのか、それとも言いなりでの成立なのか、更に値切ったとしても値切った額をご祝儀で渡してくるかである。
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山茶花の木の下

北坂戸駅に向かう直前に団地の公園がある。その一角には野球場も備えている公園である。
その公園も中に植えられた木の中には点在してサザンカがある。サザンカといっても花着きが遅い寒椿であり、今が盛りである。花を次々に開きながら順番に花びらを散らしている。その中の1本昨日の画像である。

寒椿の花


寒椿の花びら


ここで別の話。
先日テレビの番組で、話したくても話を聞いてくれる相手が居ない人が増えてきていて対策が必要であるという事が採り上げられていた。一週間またはそれを遥かに超える期間一度も会話をしていない人が多いとのこと、そのためのボランティアの養成も進んでいるとのことであった。
そういう方たちに共通している事は、話を聴いてそれに意見を言うのでなくひたすら相槌を打ち何度も同じ話を聴いてあげる必要があるとのことであった。
ひたすら一方的に聴いてあげるという事は至難の業である。そのためには訓練が欠かせないという事であった。
先月読み聞かせのグループの会へ出かけ楽しい時間を持たせてもらったが、これとは反対に話を聞くグループも必要だという事であった。
自分自身について言えば、長期間会話がないことは良くある。しかし幸いな事に、いまの所は周りの動植静物との会話ができている。これが途切れるようになったら危険信号である。
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大宮氷川神社の境内まで

振り返ってみると、就職して大宮の独身寮へ入ってから40年を越してしまっている。
歳を取ってしまったせいか寮に近かった大宮公園と氷川神社が懐かしい。とは言え、知人を案内して今年は既に2回も来ている。もちろん案内コースには盆栽村も含まれていた。

今回は氷川神社の正面からの参道をつかった。参道の始まりはもっと離れた場所である。途中からの入場である。駅前の道路を東に進み交番のある交差点から参道へ入った。

参道:平成広場と呼ばれるようになっていた


真ん中は車両通行禁止である。これは昔と変わっていないが公園化され整備されていた。歩行者天国である。この両サイドには車が通れる道があり、そこは昔のままに近い。次にある鳥居までは4~5百メートルだと思う。この広場の途中までは混雑は見られなかった。

平成広場の中間点:自転車置き場となっていた


自転車置き場の先辺りから混雑が始まった。

参道と旧国道16号線との交差点からの様子


この交差点を渡ると鳥居があり更に参道が真っ直ぐ続いている。次の鳥居が境内への入口となるが、そこまでが5~6百メートルである。
これから先の参道が大変であった。屋台が5列途切れることなく並んでいた。まだ午後の3時過ぎだというのに大混雑である。夜になったらどういう状況になるのだろう。この時点で早めに帰らなくちゃと決め込んでしまった。

交差点を渡り鳥居の正面から


参道最後の鳥居


この鳥居の向こう側が境内である。そこにある屋台はここまであった物とは全く違ったものである。熊手を売る屋台が主体であった。

今回はここまで。折角の機会である。日常平々凡々の生活話題が少ない。今回の話題は分散し有効活用するつもりである。
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ヤーコンを食べる

先日掘り起こしたヤーコン1株、芋周りの土を乾かすためにベランダの下に放置していたが、雨が降り続いたため別の濡れない場所へ移してある。
昨日の朝、移し損なった芋が転がっているのに気付き食することにした。

昼食


ヤーコンでキンピラを作った。千切りヤーコンに、酢、塩コショウ、料理酒、輪切り唐辛子をぶち込みサラダ油で炒めた。最後に醤油少々で出来上がり。慣れないため炒め過ぎてしまった。しかし、シャキシャキ感は残っていて極めて美味であった。その他の食べ方を調べてみたい。簡単なレシピが良い。キンピラは千切りにするのが誠にメンドクサイと思うぐらいの人間である。簡単がイチバン!

栄養バランスなんか一切考えない食事である。この時だけではない。いつも行き当たりばったりである。不健康の元かも知れない。
質素といってしまえばそれまでである。もう一品は冷凍を解凍した自家製ニガゴリ味噌である。これがなくなれば次を解凍すればよいのである。
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大宮駅西口の変貌

午前中の怪しげな天気が回復したので、午後2時ごろから大宮へ出かけてきた。
目的は氷川神社の大湯祭いわゆる「十日市」を体験するためであった。「とうかいち」ではなく「とうかまち」と呼ばれている。この話題は別途とする。

まず、川越駅でまごついた。パスネットを使ったため、私鉄からJRへ乗り換えるため一度改札を出る事は納得するとしても、JRの案内表示が不親切である。見方がまずかったのかも知れないが「大宮方面」と言う表示がなかったのである。停車している電車の行く先表示「高麗川」は分かった。しかし反対側フォームの電車の行く先表示「新木場」は理解できなかった。地下鉄乗り入れの車両だと思ってしまった。その電車の最後尾まで行き、そこに乗っていた車掌さんに聞いて初めて分かった次第である。要は現実を把握してないと言うだけの話である。

大宮に着いた時その変貌振りには驚かされた。まず駅を利用している人の多さであった。知らないうちに大都会と変身していた。
特に西口は驚きそのものであった。大宮ソニックビルまでは分かっていたがその他は初見である。物見山の平和資料館の搭から見えていたものが見の前で展開されたのである。
昔の西口は、極端な表現をするとすれば開発を拒否したために、戦後のあばら家のようなものがそのまま残り一見汚なさそうな場所であった。そんな所にも時々丼の盛られた豚肉を食べには行っていた。

今日、駅前から撮り込んだ西口の様子を南から北へ向かって順に貼り付ける。









東口は大幅な変化が見てられないように感じたが、Sが付く百貨店やNがつく隣の大型洋品店は名前が変わっていた。T百貨店と昔からあったCデパートは現存していた。
西、東ともとにかく人は多かった。祭の影響が少しは含まれているのかも知れない。
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カラスの集団

川の土手を進むと必ずといってよいぐらいカラスに出会う。大抵は集団は作っていない。土手の斜面には餌になる何かがあるらしい。

越辺川の右岸をいつもとは反対の上流側へ行くと、下流側とは違い川原には草でなく木が生い茂っている。その木の上にはカラスが集団で陣取っている事が良く見られる。三々五々土手にも下りてくる。
一昨日の様子である。自転車に乗っているときはその様子には殆ど変化は見られないが、自転車から降りてカメラを構えると、止まっていたカラスのうち数羽が飛び去ってしまう。距離は変わらないのにである。危険予知しているのだろうか。判断ミスである。






昨日ラジオのローカル情報で大宮の市の話題が流れていた。今日は十日である。参道が動けないほどに混雑していた事を思い出した。氷川神社と大宮公園、遠い昔アルコールを採ったあとに独身寮まで歩いた場所である。
天気が良くなれば行ってみようという気になってしまった。
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馬頭観音

隣の市に北浅羽というところがある。昔は北浅羽村といっていたらしい。大規模造成がされるまではこの時期になると刈り取りの終わった田圃にタゲリやケリが飛来してきていた。今は見られそうにない。

この場所には小高い土盛りがあり、その中心に馬頭観音が祭られている。人々が馬を大事にしていた証拠で、寿命が尽きた時に埋葬し供養をした場所である。

昨日初めて気が付いた。これまでは建てられている石塔は二つだと思っていた。しかし四つ建てられていたのである。近くに行って右側に小さめの碑がふたつならんでいた。

土盛り全体:石碑は二つだけに見える


左側:表側                         :裏側
 

表には観音様?、キチント手を合わせていらっしゃる。裏には「普門・・・」と刻んであるが読めない。

右側:表側                         :裏側
 

表はどなたかに読んでもらいたい。裏には「北浅羽村馬安全」「世話人 村役人」と添えてあり、中央に「明治二?巳年 正月建之」とある。巳年と言う事から明治2年か明治26年のどちらかであろう。?の字が解読できれば答えはついてくる。

今回気付いた石碑二つ
  

いずれも、馬頭(観世音)の字が刻まれていた。

人が通った形跡が草の倒れ方から見て取れた。しかし、供え物はなかった。上下、靴下にまで身に羽織っているものにお土産の野草の種を頂いた。取り損なって家の中まで持ち込んでしまった。


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