ブログへの初挑戦。目標はただ一つ、毎日何かを登場させる。続くようであれば次へ挑戦。
何気ない毎日
坂戸駅
坂戸駅が新しい駅舎になったという話題を採り上げたことがある。
新しい駅舎は橋上駅で、完成してからまだ半年強だと思う。
これまでと違って連絡通路ができたことになる。迂回して行ききしていた人たちにとっては便利になったと思う。
東武東上線の車両に乗った状態でこの駅を通過する回数は多いが、橋上へ上がってみたのは昨日が初めてであった。
改札を利用することはないといことである。
通勤や通学時間と違った時間に行ったので人影がわずかなのが新鮮に見えてしまう。
連絡通路で北口方向を:クリック可
連絡通路で南口方向を:クリック可
改札口
店舗が3軒
新しい駅舎は橋上駅で、完成してからまだ半年強だと思う。
これまでと違って連絡通路ができたことになる。迂回して行ききしていた人たちにとっては便利になったと思う。
東武東上線の車両に乗った状態でこの駅を通過する回数は多いが、橋上へ上がってみたのは昨日が初めてであった。
改札を利用することはないといことである。
通勤や通学時間と違った時間に行ったので人影がわずかなのが新鮮に見えてしまう。
連絡通路で北口方向を:クリック可
連絡通路で南口方向を:クリック可
改札口
店舗が3軒
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キュウリが伸びてきたが
種苗店で買ってきたキュウリの苗が伸びてきた。
たった一本だけのキュウリに期待したいところであるが、分からないことがある。
今現在50cmを超えるぐらいの背丈になってきた。
キュウリに雄花がないことは珍しいことではない。
今回の苗は下から4枚目の葉の付け根から順にから始まって葉毎に5ヶの雌花がついている。雄花はひとつもない。
最初の雌花の何ヶかは自然にしぼんでしまうと思っていた。
しかし、今現在5ヶの雌花のキュウリもどきは元気に見えるのである。
多分空元気であり、枯れてしまうと思うが、大きく成長するのではという期待も持ってしまう。
たった一本だけのキュウリに期待したいところであるが、分からないことがある。
今現在50cmを超えるぐらいの背丈になってきた。
キュウリに雄花がないことは珍しいことではない。
今回の苗は下から4枚目の葉の付け根から順にから始まって葉毎に5ヶの雌花がついている。雄花はひとつもない。
最初の雌花の何ヶかは自然にしぼんでしまうと思っていた。
しかし、今現在5ヶの雌花のキュウリもどきは元気に見えるのである。
多分空元気であり、枯れてしまうと思うが、大きく成長するのではという期待も持ってしまう。
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豊前国分寺跡の三重塔
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無断使用の画像
昨日の午後3時ごろは、日高地方も大荒れの天候であったらしい。
建屋外の花や野菜は大災害にあったというメールが届いた。
この天災を喜んでいる人も居たと書いてあった。
メールに届いた画像を無断使用である。
うまそうな白い塊(雹)
食べては駄目だと知って、
足を冷やす
日高地方は北海道と決まったわけではない。埼玉県にも日高地方が存在するのである。
【ついで『その1』 】
工場廃液の処分で、成分が分らないものは一般河川へ捨てても良いのらしいということを初めて知った。
先日発生した上水道の広範囲にわたる取水停止の原因の元の会社、それを依頼されている排水処理業者が我関せずと思っていたとも思えない。
発生源は自分たちだと名乗り上げなかったのであろうか。しかも、初犯ではないということであった。
埼玉県が会見を開いて発表した内容にも排出元に対して優しさを感じてしまう。
【ついで『その2』 】
地元のJAの販売所へ米を買いにいった。
今までとはチト違っていた。
米の購入者が持ち帰るための糠が姿を消したいたのである。。
農水省の通達で糠の持ち帰りが禁止されたという。
糠漬けなど食用にすることを禁止するという配慮からの禁止と表示がされていた。
我が家は玄米しか買わず、玄米飯しか食べないと決めている。
姿は違っているが糠つきの玄米を買い、糠つきの玄米ご飯を食しているのである。
食べると決まっている糠つきの米(玄米)売っても農林水産省の通達に違反していることにはならないのであろうか。
建屋外の花や野菜は大災害にあったというメールが届いた。
この天災を喜んでいる人も居たと書いてあった。
メールに届いた画像を無断使用である。
うまそうな白い塊(雹)
食べては駄目だと知って、
足を冷やす
日高地方は北海道と決まったわけではない。埼玉県にも日高地方が存在するのである。
【ついで『その1』 】
工場廃液の処分で、成分が分らないものは一般河川へ捨てても良いのらしいということを初めて知った。
先日発生した上水道の広範囲にわたる取水停止の原因の元の会社、それを依頼されている排水処理業者が我関せずと思っていたとも思えない。
発生源は自分たちだと名乗り上げなかったのであろうか。しかも、初犯ではないということであった。
埼玉県が会見を開いて発表した内容にも排出元に対して優しさを感じてしまう。
【ついで『その2』 】
地元のJAの販売所へ米を買いにいった。
今までとはチト違っていた。
米の購入者が持ち帰るための糠が姿を消したいたのである。。
農水省の通達で糠の持ち帰りが禁止されたという。
糠漬けなど食用にすることを禁止するという配慮からの禁止と表示がされていた。
我が家は玄米しか買わず、玄米飯しか食べないと決めている。
姿は違っているが糠つきの玄米を買い、糠つきの玄米ご飯を食しているのである。
食べると決まっている糠つきの米(玄米)売っても農林水産省の通達に違反していることにはならないのであろうか。
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皆野町のポピー畑
この時期、鴻巣市の荒川河川敷までサイクリング、ポピーの花を見に行くところであるが、何とはなしに今年は気乗りがしなかった。
昨日の朝、いきなり誘われて鴻巣とは反対方向の奥武蔵の皆野町「彩の国ふれあい牧場」までポピー畑を見に出かけた。
昨年はときがわ町から白石峠、今回は小川町から西へ向かった。
垂れ下がった蕾が多く、これからさらに一面が花弁で埋まるという状態であった。
駐車場は無料である。
昨日の朝、いきなり誘われて鴻巣とは反対方向の奥武蔵の皆野町「彩の国ふれあい牧場」までポピー畑を見に出かけた。
昨年はときがわ町から白石峠、今回は小川町から西へ向かった。
垂れ下がった蕾が多く、これからさらに一面が花弁で埋まるという状態であった。
駐車場は無料である。
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ヒメダカはカメレオン
ヒメダカは、秋口から冬越しのための凍結対策ということもあり暗い環境にしていた。
そのヒメダカ、日を追うごとにこれがヒメダカと思ってしまうように黒い模様か黒い個体になってしまう。
ヒメダカは、今月初めから卵をぶら下げている個体が目立っていた。
重い腰を上げて新しい環境の新しい水に移した。
ヒメダカもどきに見えた黒いヒメダカは、環境を受け入れて見る見るうちに本来のヒメダカの姿に変身してくれた。
変身中
変身完了
そのヒメダカ、日を追うごとにこれがヒメダカと思ってしまうように黒い模様か黒い個体になってしまう。
ヒメダカは、今月初めから卵をぶら下げている個体が目立っていた。
重い腰を上げて新しい環境の新しい水に移した。
ヒメダカもどきに見えた黒いヒメダカは、環境を受け入れて見る見るうちに本来のヒメダカの姿に変身してくれた。
変身中
変身完了
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豊前国分寺跡
田川市石炭・歴史博物館に行ったついでに、東へ足を延ばし京都という地区へ行ってきた。
「京都」と書いて「みやこ」と発音する。
目的地は、「みやこ町」にある豊前国分寺跡で、三重塔でも眺めようということであった。
豊前国分寺跡の敷地の一部に現存の国分寺がある。その境内内に三重塔が再建されているということであった。
国分寺
豊前国分寺云々:クリックすると拡大
案内所内で
案内所内の全面解体修理前の画像である。
創建当初は七重の塔、明治29年に今の形になったとの説明を受けた。
本堂
護摩堂
計画された方たちにとっては自信作だと思うが、この場にあってはチト場違いに見えてしまった。
人それぞれ感じ方が違うので何とも言えないが、クリックすると場違いという意味が分かる人もいると思う。
あとの画像は、今現在の国分寺境内の佇まいである。
三重塔については別途報告する。
「京都」と書いて「みやこ」と発音する。
目的地は、「みやこ町」にある豊前国分寺跡で、三重塔でも眺めようということであった。
豊前国分寺跡の敷地の一部に現存の国分寺がある。その境内内に三重塔が再建されているということであった。
国分寺
豊前国分寺云々:クリックすると拡大
案内所内で
案内所内の全面解体修理前の画像である。
創建当初は七重の塔、明治29年に今の形になったとの説明を受けた。
本堂
護摩堂
計画された方たちにとっては自信作だと思うが、この場にあってはチト場違いに見えてしまった。
人それぞれ感じ方が違うので何とも言えないが、クリックすると場違いという意味が分かる人もいると思う。
あとの画像は、今現在の国分寺境内の佇まいである。
三重塔については別途報告する。
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石炭記念公園
先に投稿した田川市の「石炭・歴史博物館」は旧三井田川鉱業所伊田坑の跡地である「石炭記念公園」内にある。
「石炭・歴史博物館」での見学を終わり少々公園内をぶらついた。
炭坑夫像
坑内での作業は、その昔は男女とも裸であった。この像は少し近代化した時点の姿である。
因みに、坑内作業の後は風呂に入るのが当たり前。その昔は混浴だったそうである。
炭坑のシンボル1
竪坑櫓である。
炭坑のシンボル2
動力源として地下で石炭を焚いたときの排煙用煙突である。
炭坑節発祥の地
炭坑節に出てくる「ヒト山フタ山ミ山超え」の三つの山は、すぐ隣の町にある。
「石炭・歴史博物館」での見学を終わり少々公園内をぶらついた。
炭坑夫像
坑内での作業は、その昔は男女とも裸であった。この像は少し近代化した時点の姿である。
因みに、坑内作業の後は風呂に入るのが当たり前。その昔は混浴だったそうである。
炭坑のシンボル1
竪坑櫓である。
炭坑のシンボル2
動力源として地下で石炭を焚いたときの排煙用煙突である。
炭坑節発祥の地
炭坑節に出てくる「ヒト山フタ山ミ山超え」の三つの山は、すぐ隣の町にある。
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足跡をたどる
ちょうど一週間前の18日の金曜日、滞在中の福岡の古賀市から熊本へ連れまわされることになった。
中学のクラス会の開催地へ逆戻りをしたことになる。
目的は、お寺での行事である施餓鬼法要に参加するためである。
10時から始まるという時間に合わせて、古賀インターから植木インターまで高速、あとは一般道を使い本妙寺の寺に、ぴったりの時間で到着した。
我が家の寺であるが、我が家には坂戸市にも寺があり、こちらでも施餓鬼法要が予定されている。
法要が終わりお寺で用意した昼食をとった後は墓掃除兼墓参りである。
余った時間をむかしの棲みかの現状を見てみたいという希望が出され、その一部を辿ってみることにした。
本庄(本荘):歯医者さんとあと一軒に
大戦中に東京から引き揚げてきた自宅である。
焼夷弾で本建屋が焼失したが、離れが残りそこでしばらく暮らしたところ。
北を眺めると、
長六橋
小学校時代は、
九品寺(くほんじ)
小学校高学年までの借家、当然昔の面影は残っていない。
前の通りは
家の反対側は煉瓦塀が続いていたがすべてなくなっていた。右側の家のすぐ南隣は熊本大学医学部である。
小学校高学年から中学校2年?途中までは、
新屋敷町傘(からかさ)6番丁
借家であった。
大水害にあったところである。アパートに変身していた。
家の前からの眺め
お隣の立派な石塀は当時のままであった。
その先は坂になっており一段低くなっているのはそのままであったが、建物は全く変わっていた。大水害時は2回まで浸水した一帯である。
この後2回引っ越したが、時間切れとなった。
中学のクラス会の開催地へ逆戻りをしたことになる。
目的は、お寺での行事である施餓鬼法要に参加するためである。
10時から始まるという時間に合わせて、古賀インターから植木インターまで高速、あとは一般道を使い本妙寺の寺に、ぴったりの時間で到着した。
我が家の寺であるが、我が家には坂戸市にも寺があり、こちらでも施餓鬼法要が予定されている。
法要が終わりお寺で用意した昼食をとった後は墓掃除兼墓参りである。
余った時間をむかしの棲みかの現状を見てみたいという希望が出され、その一部を辿ってみることにした。
本庄(本荘):歯医者さんとあと一軒に
大戦中に東京から引き揚げてきた自宅である。
焼夷弾で本建屋が焼失したが、離れが残りそこでしばらく暮らしたところ。
北を眺めると、
長六橋
小学校時代は、
九品寺(くほんじ)
小学校高学年までの借家、当然昔の面影は残っていない。
前の通りは
家の反対側は煉瓦塀が続いていたがすべてなくなっていた。右側の家のすぐ南隣は熊本大学医学部である。
小学校高学年から中学校2年?途中までは、
新屋敷町傘(からかさ)6番丁
借家であった。
大水害にあったところである。アパートに変身していた。
家の前からの眺め
お隣の立派な石塀は当時のままであった。
その先は坂になっており一段低くなっているのはそのままであったが、建物は全く変わっていた。大水害時は2回まで浸水した一帯である。
この後2回引っ越したが、時間切れとなった。
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野菜庫の中での居心地は
冷蔵庫の野菜庫に数日放置していた山東菜とダイコンの葉を湯通しするために軽く水洗いした。
水切りをするためにしばらく放置しておくことにした。
湯通し直前
冷蔵庫の中で暮らしていた青虫(幼虫)がのびのびと下界の空気を吸っていた。
山東菜のお浸しの一部として食べていたところである。
水切りをするためにしばらく放置しておくことにした。
湯通し直前
冷蔵庫の中で暮らしていた青虫(幼虫)がのびのびと下界の空気を吸っていた。
山東菜のお浸しの一部として食べていたところである。
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世界記憶遺産 山本作兵衛コレクション見学
数年前、福岡の田川市を目的地としてきている。(素通りした回数までは覚えていない。)
川渡り神幸祭を見学するためであった。
その折、祭りの会場から近い石炭記念公園までは足を延ばしたが、公園内にある「石炭・歴史博物館」には時間の関係から入館しなかった。
今回は、その博物館で開催されている炭鉱労働者であった山本作兵衛という方の炭坑画等の展示中であるということで、それが目的であった。
博物館外観
案内
入館すると、
山車展示:クリック可
伊田坑
展示室入り口付近
展示室内は撮影禁止。
ユネスコの世界記憶遺産登録品は、年間展示日数も制限がかかっているということであった。
残念ながら、コレクションの画像は残すことができなかった。
その代わりに撮影可能な常時展示?品を並べておくことにする。
川渡り神幸祭を見学するためであった。
その折、祭りの会場から近い石炭記念公園までは足を延ばしたが、公園内にある「石炭・歴史博物館」には時間の関係から入館しなかった。
今回は、その博物館で開催されている炭鉱労働者であった山本作兵衛という方の炭坑画等の展示中であるということで、それが目的であった。
博物館外観
案内
入館すると、
山車展示:クリック可
伊田坑
展示室入り口付近
展示室内は撮影禁止。
ユネスコの世界記憶遺産登録品は、年間展示日数も制限がかかっているということであった。
残念ながら、コレクションの画像は残すことができなかった。
その代わりに撮影可能な常時展示?品を並べておくことにする。
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