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氷川神社の境内の屋台

タイトルに使った表現が正しくないかもしれない。参道や境内を取り囲んでいる場所にあるのは間違いなく屋台である。熊手を主体とした境内の店を屋台といっていいのかが分からないのである。

境内での売り物はいわゆる縁起物である。熊手が主体であるが、神棚や招き猫なども少し見られた。

熊手といえば酉の市が有名であるが、ここ氷川神社の十日市(とうかまち)も賑わいが感じられた。











掃除する時に使う(昔使っていた)熊手にチョット飾りを取り付けた可愛い熊手はこの屋台では殆ど見ることが出来なかった。本体の熊手を大きくはみだした縁起物の飾りが派手に取り付られて居るものが殆どであった。

商談が決まる毎に周りの店も取り込んで(同業者で結束が固い)の手締めを盛んに聴く事が出来た。景気が良かったのか、それとも来年の一攫千金を期待しての購入であろうか。

気になることは値切った結果の商談成立なのか、それとも言いなりでの成立なのか、更に値切ったとしても値切った額をご祝儀で渡してくるかである。
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山茶花の木の下

北坂戸駅に向かう直前に団地の公園がある。その一角には野球場も備えている公園である。
その公園も中に植えられた木の中には点在してサザンカがある。サザンカといっても花着きが遅い寒椿であり、今が盛りである。花を次々に開きながら順番に花びらを散らしている。その中の1本昨日の画像である。

寒椿の花


寒椿の花びら


ここで別の話。
先日テレビの番組で、話したくても話を聞いてくれる相手が居ない人が増えてきていて対策が必要であるという事が採り上げられていた。一週間またはそれを遥かに超える期間一度も会話をしていない人が多いとのこと、そのためのボランティアの養成も進んでいるとのことであった。
そういう方たちに共通している事は、話を聴いてそれに意見を言うのでなくひたすら相槌を打ち何度も同じ話を聴いてあげる必要があるとのことであった。
ひたすら一方的に聴いてあげるという事は至難の業である。そのためには訓練が欠かせないという事であった。
先月読み聞かせのグループの会へ出かけ楽しい時間を持たせてもらったが、これとは反対に話を聞くグループも必要だという事であった。
自分自身について言えば、長期間会話がないことは良くある。しかし幸いな事に、いまの所は周りの動植静物との会話ができている。これが途切れるようになったら危険信号である。
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