goo

馬頭観音

隣の市に北浅羽というところがある。昔は北浅羽村といっていたらしい。大規模造成がされるまではこの時期になると刈り取りの終わった田圃にタゲリやケリが飛来してきていた。今は見られそうにない。

この場所には小高い土盛りがあり、その中心に馬頭観音が祭られている。人々が馬を大事にしていた証拠で、寿命が尽きた時に埋葬し供養をした場所である。

昨日初めて気が付いた。これまでは建てられている石塔は二つだと思っていた。しかし四つ建てられていたのである。近くに行って右側に小さめの碑がふたつならんでいた。

土盛り全体:石碑は二つだけに見える


左側:表側                         :裏側
 

表には観音様?、キチント手を合わせていらっしゃる。裏には「普門・・・」と刻んであるが読めない。

右側:表側                         :裏側
 

表はどなたかに読んでもらいたい。裏には「北浅羽村馬安全」「世話人 村役人」と添えてあり、中央に「明治二?巳年 正月建之」とある。巳年と言う事から明治2年か明治26年のどちらかであろう。?の字が解読できれば答えはついてくる。

今回気付いた石碑二つ
  

いずれも、馬頭(観世音)の字が刻まれていた。

人が通った形跡が草の倒れ方から見て取れた。しかし、供え物はなかった。上下、靴下にまで身に羽織っているものにお土産の野草の種を頂いた。取り損なって家の中まで持ち込んでしまった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いくつかの雑談

今週月曜日に刈り取ったヤーコンの茎の処理に手こずっている。乾燥があまり進まないのである。と言うより、乾燥させるための前提条件をなかなか完了させられないのである。

茎のカッティング進行状況


乾燥前の全重量5キロである。台所である大きさに切断したあと2階の畳部屋に広げて小さく刻んでいる。カットには鋏を使う。指先が黒くなるのはしょうがないが、困る(作業が進まない)理由が三つある。
一つ目は、鋏を持つ右手の親指と人差し指の皮が剥がれてくるのである。持ち方を変えると他の指までおかしくなってくる。
更にもう一つは、カットするときに飛び散る液である。眼鏡にこびりつく。と言う事は見た目には分からないが部屋の中や着ている服にも飛び散っている筈である。
最後は、腰を下ろしての作業、電話が鳴ってもチャイムが鳴ってもオイソレトは立ち上がれない。立ち上がり終えるまでいくつかのステップを採らなければならない。立ち上がったとしても直ぐには初めの一歩を踏み出せない。年を感じてしまう。


この時期の野草:タンポポ


出来る限りの自然のエネルギーを得、体力をつけるために葉は地表に広がり花茎は短い。花の色は鮮やかである。


役職に着くため守るために嫌な話題が続く。
都道府県は全国で50に満たない。知事というそのトップである首長(くびちょう)の逮捕の確率の高さには驚きを感じてしまう。一切関与を否定した状態での逮捕、そのあとはアッサリ「間違いがありません」と言う全くイサギヨサのない輩、あきれるばかりである。
衆議院議員という経歴を更に延ばしたいための復党も見苦しい。明らかに政治生命を捨ててまで議員と言う権力の座を守りたいと言う見苦しい人たちである。
と言いながら、人間というものは立場を得たらそれを保持したいと言う病気は点いて回るようにも思えてしまう。オソロシイ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする