例えば百姓型の依存。
相手は自然だ。
理を解し、応用するのが生き方。
だが、相手の自然があまりに大きく深い。
理を解するのを放棄してしまうことがある。
自然を操ることはできない。
基本的には自然の為すままを受け入れる。
ある意味、依存以外に道はない。
だが、理解放棄してしまうと応用が出来ない。
自分の動ける分まで放棄してしまうからだ。
依存をするべき時や相手はある。
そこを依存しても、自分の持ち分もあるのだ。
全てを放棄する事と依存は違う。
依存を自分の積極的な生き方の方法の一つとしているかどうか。
百姓型の依存は、とらえ方により分かれるようだ。
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