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水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「人には・82」

2013-04-01 20:13:34 | Weblog



人と人が集まり、力を合わせて生活する。
個別の家族意識はなく、全ての人が家族であった。
そこには普通に思いやりが満ちていただろう。
の所有という概念はあっても、個別の所有意識はない。
足りなければ、お互いが工夫して助け合う。
そうしないと暮らしていけない、という状況でもあった。

今の人社会の原型となった集団だ。
本来の姿でもあるだろう。
現代がいかに歪み、狂いが生じている社会になってしまったとわかる。
現代が一時的に狂ってしまった。
僅か3000年くらい前からだろう。

人類の歴史をどこからにするか説があるだろう。
600万年とするか、3万年とするか。
3万年としても、その100分の1の歴史で急激に狂った。
更に科学の発展という200年前から狂いは加速した。
更に更に、核家族化が進んだ50年前くらいから超狂いとなったのだ。
だが人の内には、長い長い間の思いやりの遺伝子があるのだ。




(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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「人には・81」

2013-04-01 19:51:21 | Weblog



定住は生死観も変えた。
移動生活より危険は少なくなった。
病になっても休める家がある。
日常生活に共にあった死が少なくなった。
それは、死というモノを意識することとなった。

死を意識すると同時に生も意識するようになった。
誕生はの繁栄。
死は協力社会のに貢献してくれた者への別れ。
葬儀という概念が大きくなった。
移動生活にはなかった墓という神聖な場所もできた。

墓は先祖という考えも意識した。
といっても、現代のように直接血縁の先祖とは違う。
家族は大家族制だし、子は村の共同の宝だ。
多少の財産があるとはいえ、受け継ぐようなものではない。
誰の子供でも同じなのだ。
能力の違いがあるだけなのだ。
子も親も所有物ではない。
共同の宝だから、先祖も共有の先祖だった。



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