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生誕150年 横山大観展

2018年06月18日 | かんしょう
先週、シロウタと一緒に京都国立近代美術館で始まった「生誕150年 横山大観展」を観に行ってきました。




※チラシと作品リストは美術館HP内でPDFが公開されています。そちらのほうが鮮明です。

近代日本画の立役者、横山大観。
巨匠というにふさわしい、彼の画業を語る展覧会が開催ということで観に行くべきでしょうと足を運んできました。
一緒に行くシロウタは大観の朦朧体がとても好きということで、楽しみにしていたようです。
私ももちろん朦朧体は美しいと思っているし好きなんだけど、なぜか「横山大観」という名前のもつ重圧と彼の画業を素直に好きだと言えない部分があります。
自分自身で理由は見当がついていて、おそらく戦争アレルギーと成功者へのひがみかな、と思う。

今回の展覧会は横山大観の人間性を表す紹介がとても多く、大観のファンにはとても趣深い展示だと思います。
大観の生きざまはとても力強く、不遇の時代にあってもそれをバネにするエネルギーを感じずにはいられません。
日本独自の芸術にかける思いは誰よりも強かったに違いなく、世間の評価に左右されることもなくただひたすら自分の信じた道を行く姿は、その生き方自体が美しいといえるでしょう。
そして、日本美術院を追われた際も細川護立氏というコレクターに出会っているし、戦時中に描いた絵が時代の風潮にあっているということで世に認められて自身の地位を高めてしまう、運の強さ。
多少苦手な画題があっても臆せず押し通してしまう、みなぎる自信。。。
そんなぶっとい人生、なかなか送れるもんじゃありません。
カリスマ性はいうことなし!人間臭さも持ち合わせていて、魅力的であることも認めます!
だのに、なんだろうな、、、「好きな芸能人は?」と聞かれてもすぐに答えられないような性格の人間には、大観って芸能人っぽい気がしてまっすぐな目で見れないんですよねぇ。

大観という人がどうこう、というのはさておき、作品だけ見るとまた話は違ってきます。
今回の解説でも語られていたのですが、大観は人物や生き物を描くのがあまり得意ではありません。はっきり言って、デッサンが狂ってるのが随所に見られます。
しかしその分、風景画は素晴らしく美しい絵を描いてしまったりします。

私は足立美術館へ行ったことがないため、今回『紅葉』の実物を初めて見て、その美しさと迫力には圧倒されました。
あんな発色の良い顔料で、あれだけの大きさのものを、あんなに大胆に描かれてしまっては褒めないわけには参りますまい。
美しいといえば、永青文庫所蔵の『柿紅葉』はやはり美しかった。柿の葉の紅葉ってあんなふうに斑になるんだけど、それを鮮やかな色彩で描くことで秋の植物の美しさと儚さが際立って、ともすれば汚くなりかねない柿の葉に命を与えているのが非常に上手いと思いました。
それから、朦朧体は水や靄の表現に際立った威力を発揮すると感じた作品が『洛中洛外雨十題』でした。
ここに描かれる雨の情景は色彩を伴っていないのだけれど、そのためになんとも言えない抒情があり、悲しさとか温かさとかのいろんなものが雨によって絵の中に留まっている感じが素晴らしいと思いました。

最後に。
横山大観って谷村新司っぽい顔だよなぁ(そしてスタイルは江頭2:50)、と思ってるのは私だけなんでしょうか。
なんか写真見るたびに思うんだよねぇ。

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