アバウトなつぶやき

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信貴山縁起絵巻 -朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の秘宝-

2016年05月18日 | かんしょう
先週、シロウタと奈良国立博物館に信貴山縁起絵巻を観に行って感想書こうと思って画像だけ下書きに入れておいたらあっという間に時間が過ぎてしまった…。
これ書いてる現在、もうこの展覧会が終わっちゃってるのでまったくの備忘録。




国宝ってことで混雑覚悟で行ったけど、集客自体は通常の人気展覧会と同等?
絵巻なので順に観ようと思うと並ばなきゃいけないってだけで、うんざりするような人混みではありませんでした。



とにかく、面白かった。(細かい感想は今回は割愛)
ちょっとざわざわしてて、友人と話しながら観ても気にならないのが気楽で良かったです。

その後、近所で食事して春日大社へお散歩。

修学旅行の小学生にインタビューされた我々。
「なぜ春日大社へ来たんですか?」と尋ねられて「博物館のついでにお散歩」としか答えようがなかったわ。申し訳ない。。。


入り口にある万葉植物園に寄ったけど、藤が終わっててホント殺風景なことになってました(ーー;)
もっと手入れした方が良いですよ。

↑この木の生命力だけは感心したので写真をパチリ。

藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-

2016年05月10日 | かんしょう
マーガレット展を観たあと、名古屋市美術館にも足を運んで「藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-」を観てきました。

藤田嗣治の生誕130年記念のため、彼の画業を振り替える展覧会になっています。



最近藤田自身の作品や藤田と同時代の画家の作品を目にする機会が多くて、私の中で藤田に対する評価がどんどんと変化しています。
もともとは個性的な自画像や白っぽい女の人を描く画家という程度の認識だったのですが、独特の乳白色を観ているうちにだんだんとその表現がくせになってきて目が離せなくなってきました。

その視点で、今回私が気になったのは「バラ」という作品です。白い壁に白い花瓶、白に柄の入ったクロスという白を基調とした画面に乱雑に生けられたバラ。生けられたというより放置されてスカスカになっているためバラ自体の美しさを愛でるための絵でないのは明らかです。
肌以外のもので乳白色を巧みに使っているわけで、藤田の乳白色はこんな風にいろんな表現もできるんだぞ、と誇示していていっそすがすがしい。




黒と白のコントラストがはっきりしていてとても美しい上に藤田の愛した猫も描かれた「横たわる裸婦と猫」もイイし、


日本画の雰囲気を生かしつつ、上品な女性を描いた「座る女」も良かった。


もともと私が抱いていた藤田のイメージは、-早くから世に受け入れられ「狂乱の時代」と呼ばれる贅沢な時間を過ごし、日本に戻ってからも戦争画という時代の流れに乗った絵を描いた要領のいい人物-というもので、決して良かったとは言えません。
成功者へのひがみがちょっと混じってるかも。



ただ、こうして人生を通じた展覧会を見ることでずいぶんイメージが変わってきました。
それは藤田の寂しさを感じるようになったことです。
日本の画壇で受け入れられなかった藤田。
日本人でありながら日本に受け入れられないつらさというものが「成功者」という名に隠れていて、私にはわかっていませんでした。
しかし考えてみれば「世の中金だ」なんていうのは持っていないから渇望するのであって、元来不自由していない者ならそれ以外のものに心のよりどころを求めるというのは至極当然のように思えます。
そう考えれば、戦争画を描くことで日本の世に受け入れられたという実感が藤田を高揚させたのも、戦争に荷担した責任を問われて日本を捨てたのも、当然の成り行きのように思えます。
なんというか、普通に傷つきやすい心を持った人間らしい人だったんだと実感してやっと親しみを持てるようになりました。

それでも、やはり戦争画を観ると暗い気持ちになってしまうので私はあまり好きではありません。
けれど当時の熱のようなものや悲しみが伝わってくるので、芸術であり博物的価値の高い作品であることは確か。
藤田の戦争画でもっとも有名な「アッツ島玉砕」も展示されていて、一見の価値はあります。
とにかく、名だたる藤田の代表作がそろい踏みの素晴らしい回顧展だったと思いました。


ところで。。。
藤田の描く子どもの顔、「愛らしい」という表現を時々見かけます。仕草はかわいいけど顔はこえーよ、と思っているのは私だけでしょうか。
あれも見慣れるとかわいく感じるようになるのかなぁ。

わたしのマーガレット展

2016年05月09日 | かんしょう
GWは特別な用がなかったので、松坂屋美術館で4/29から始まった「わたしのマーガレット展」を観に行ってきました。



ワタクシのマンガ好きはみなさんご存じの通りなのですが、マーガレットのお世話になったのは小学生高学年~高校生までといったところ。
幼稚園から小学校に上がる頃に「りぼん」・「なかよし」に出会って小学生の間は両誌をメインとし、作風が集英社が好みであったために「マーガレット」や「ぶ~け」に手を出し、和田慎二氏を通して「マーガレット」から徐々に白泉社の「花とゆめ」がメインとなる、、、という遍歴の持ち主です。
SF好きだったから徳間書店や朝日ソノラマや東京三世社なんてマイナー誌にハマったし買ってた雑誌も一冊や二冊じゃすまなかったけどそれはともかく。
そんな風なので、マーガレット愛は普通の漫画好きとしての域を脱しておりません。
とはいえ、名作といわれる作品はもちろん外していません!

「ベルサイユのばら」と「エースをねらえ!」は漫画史に名を刻む作品ですので、漫画をほとんど読まない人でも知っているはず。
この2作品はマーガレットの黄金期の代名詞ですからもちろんのこと、映像化された作品群は多彩で、古いものから新しいものまで盛りだくさんでした。
古いところでは「アタックNO.1」や「奥さまは18才」、少し前だと「花より男子」、最近だと「アオハライド」「ホットロード」「ストロボエッジ」…。
今や少女漫画の映像化は一つのジャンルになりつつあるので、王道の少女漫画路線を行く「マーガレット」は映像の原作として使いやすいのかもしれません。



原画を見られるのは本当に楽しいし、感心させられます。プロの作品はやっぱり美しいし、直した跡なんかも苦労が垣間見ることが出来てぐっときます。
しかし、私がそれより強く感心したのは創刊当時の作品の質の高さです。
まだ、漫画が貸本屋から雑誌へと移行し始めたばかりの頃。絵柄は今見れば単純で古くさいようにも思えるけれど、画面の構成や物語の設定が幅広く工夫に富んでいます。
現在の作品の方が心理描写ははるかに巧みだとは思うけれど、あの少ないページでストーリーが展開していくのだから心理描写が単純になるのは仕方がなかったのだと思います。
それを差し引いても、歴史やファッション、一風変わった恋愛模様など現在の漫画作品を作る上でモチーフとなっている要素がすでに展開されていたんですから驚きです。
画面も書き込みが少ないとはいえ、背景や動線表現が書き込まれ、人物は全体像からバストアップまで様々な角度の姿が動きを持っています。
それが、1980年頃になると人物がメインの作品が増え、現在の漫画はリストアップされた作品のほとんどの絵がバストアップメインになってます。
かわいいしきれいな絵になってるけど、ババアには物足りないとしか言いようがない。
恋愛モノに特化した「マーガレット」はやはり少女のモノなんですねぇ。

そうはいっても、やはり紹介されているのは大好きだった漫画がほとんど。
懐かしくて楽しい時間を過ごすことが出来ました。
個人的には弓月光氏のコメントのところに「エリート狂想曲」が一番気に入ってる作品って書いてあったのが嬉しかった~。私も大好きで、大人になってから古本やめぐりして買い直したんだよね、あの作品。