アバウトなつぶやき

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第10回 円空大賞展

2020年02月23日 | かんしょう
岐阜県美術館で開催中の「第10回 円空大賞展」を観てきました。





岐阜県は好きだけど、いつもスルーしてしまう円空大賞展。
でも今回は池田学氏が入賞してる!作品が間近で見れる!
行かないわけにはいきますまい。
そして実物に対峙すると予想と違う驚きのあるのが美術展の面白いところ。
今回も池田氏以外のアーティスト作品に驚きをもらい、気になる作家さんを増やして帰ってきました。

今回の円空大賞(最高賞)はTara オーシャン財団です。

「世界を舞台に環境問題の提起につながる調査を続け、海洋が未来のために決定的な役割を果たしていることを、アートを通して次世代に伝える」という活動をしています。
 調査に行く際いつもアーティストが同船して、記録を取ったり体感したことを表現してもらったりするそうな。
 だから、作品展示といっても絵や彫刻が並ぶ形態ではなく、活動紹介や活動内容展示が含まれています。
 個人のアーティストでなく団体が入賞したのは今回が初めてなのだとか。



↑コレは海の生物をプログラミングして、コンピュータが削り出した木彫作品。

ロビーにもパネルや映像が展示され

休憩所にも実物大のクジラの作品が。
 海洋調査という博物館で扱われがちな活動が、美術館で紹介されても違和感がないどころか美術館でこそ映える、という新しさがあります。学術と芸術の垣根を取り払う活動です。

次に見たのが安藤榮作氏の《鳳凰》です。
斧ひとつで削り出すという荒々しい作風で、リーフレットを見た時にはそれほど興味を引かなかったのですが、いざ本物を目にすると迫力あります。

 メイン作品である《鳳凰》はもちろんなのですが、一緒に展示されているそれぞれの作品(作品名をメモしてこなかった💧)がストーリーを作り出すかのような展示で、この部屋自体がインスタレーション作品になっています。
 福島原発を思わせる壁に描かれた絵、そこから吹き出すように並べられた人型、それらと同じ方向を向いて飛び立つ鳳凰、その背中を見守る円空仏(円空仏は作品ではなく本展用に貸し出されたもの)、天に突き出す手のような形をした炎…。

 安藤氏は福島県いわき市にアトリエを構えていたため、震災の折に数百体という作品を津波と火事で失ったそうです。
 実際に被災した人の持つ重さを感じる作品で、この部屋に入ると心がざわざわします。
 しかし鳳凰は再生の象徴。後ろに構える円空仏は不動明王、一般的には炎を背負って描かれる救済の仏様です。
 この不動明王は安藤氏が希望したというわけではなく、展覧会に合わせて美術館が展示用に借りた仏像であり、ここに展示されたのは(もちろん安藤氏の許可は得たはずですが)美術館側の意向のようです。
 でも、コレがおそろしくマッチしている!不動明王があることで祈りとか希望とかを強く感じるようになり、作品の見方が限定される部分がある一方、深みが増していると思うのです。作家の意図するものが仏像の性格と同じであれば、これはまさに奇跡のコラボでは、と思う私。もし安藤氏の個展で同じ作品を見てもこの展示方法はここでしか見られないわけですから、コレは貴重。あぁ、来て良かった。

 この後、羽田澄子氏の映像作品があったのですが、撮影するのが困難だと思いましたので写真はありません。この映像作品、根尾の淡墨桜を舞台にしたドキュメンタリーなのですが、長そうだったので見るのを断念してしまいました。実際42分作品らしい💧
 ただ、後で美術館の方に聞いたら、若木を接木をしてまで樹齢1500年を保つ桜に「まだ生きるのか」と問いかける場面などもあり、生死を問う結構こわい作品ですよ、ということでした。なるほど、それはなかなか奥深い…。見逃したのは残念でした。
 
 そしてやってきたのが池田学氏の作品です。
私が初めてテレビの紹介を見て目が釘付けになったのが2年前。リーフレットに掲載されている《誕生》です。
 今日はコレが見たくてやってきました。
 …が、《誕生》は作品集もアプリも持っているので撮影せず。(ブログ書くなりゃ撮っておけばよかったかも)



 池田氏は基本、ペンで恐ろしいほどの細かい書き込みをして作品を作り上げていきます。《誕生》に至っては3✖️4mというサイズなので3年かかって制作しておられる。
 私が彼の作品で好きなところはどんな細部にもストーリーがあるところでしょうか。
 たとえば↓この花の絵。

 蘭を思わせるやさしい花ですが、近寄って見ると、、、

 花びらはテントだし、おしべは人が手を掲げた姿です。蕾か花柄を思わせる人の手なんかも見て取れます。

 ↓の書き込まれた鬱蒼とした森

 息苦しいほどの植物の中に、、、

 少年や犬が息づいています。
 こういった仕掛けがとても面白くてついつい見入ってしまうのです。

 最後の部屋は大嶽有一氏の作品です。
 鉄を一度錆びさせてから、安定剤を塗布して独特の質感を表現した作品を作っておられます。
 この手法、昔勤めていた職場の入り口を思い出します。
 同じことをしようとした所長が鉄板の扉にサビールを塗って錆させていました。結局、錆の状態で安定してるからと安定剤が塗布されることはなかったのですが、あの部屋が今の私の一部を作ったと思うと錆びた鉄は懐かしさを想起させます。
 が。
 大嶽氏の作品は錆びが付着しているわけではなく、鉄の良い質感が出ています。どんな薬品かは知らないけど、保存処理して戻ってきた鉄製品みたいなんだなぁ。(埋文だと、鉄鏃とか出土すると業者さんに保存処理を頼むので)
 と、個人的な鉄あるあるは置いといて、鉄という重いものを軽い造作で見せてくれます。


 この日、「ナンヤローネ アートツアー」があるというので参加しました。ギャラリートークのようなものかと思って観覧後にホールで待っていたら、しばらくすると美術館の方たちが何やら準備を始めました。
 ナンヤローネは岐阜美の取り組みの中で、説明を聞くというより体験型イベントになっていて参加者同士がお互いの感じたことを話しながら作品を鑑賞するとのこと。(「何やろうね?」からきてるんでしょう) 最後にはそれを絵で表現するというところまででワンセットです。
 描くのかぁ、とちょっとビビりましたが、進行役の美術館の方がガイドとしてついてくれたおかげでちょっとした裏話なんかも聞くことができたし、軽い感じで質問ができたりと、結果的には普通のギャラリートークより印象に残る作品鑑賞が出来た気がします。
 円空大賞展、とても楽しめました。
 大規模展覧会だけが楽しいとは限らないんだよねぇ。


SEVEN ARTISTS展

2020年02月03日 | かんしょう
岸田劉生展の後、松坂屋美術館に寄ってSEVEN ARTISTS展を観てきました。

この日、個人的にはこっちの方が楽しみだったかも知れません。
岐阜県美術館のコレクション展で神戸智行氏の作品を観て以来、もっと色んな作品を見たいと思っていたのです。

注目株の若手7人の展覧会ですが、それぞれ方向性が違うためこんな企画でもない限り一緒に展示されることはまず無いのだとか。確かにそうかも知れませんね。

会場をのびのびと使ったレイアウトで、大作が掲げられていて見応えがあります。
まず入ってすぐに岩田荘平氏の作品がどーんと迎えてくれます。
ブルーをまとった《こい》の迫力も、花の鮮やかさ、華やかさもパンチが効いている。
お目当ての神戸智行氏の作品も点数は多くはないけれど習作揃いで、画面にちりばめられた小さい生き物たちが愛おしい絵ばかりでした。
山田大貴氏は写実画でとても美しい女性を描いていましたが、機械×少女という組み合わせはまさに現代作家という感じがあって可能性を感じました。

▲撮影OKだった山田大貴《Aeoian Harp》。こっちはメカじゃないけど美しい

呉亜沙氏の作品が作りだす空間は可愛らしく、それでいてちょっと不思議です。奥行きも感じさせられるし、私にとって「家にあったら嬉しいだろうな」と素直に思える作品でした。
金子富之氏はまさに圧巻。神秘的なテーマを熱量を持って描き込んでいます。色も激しかったり、大胆だったり。あんな大きな画面によくあれだけ描き込めるなぁ、と感心します。
大竹寛子氏はたらし込みが特徴的。そして女性らしい絵です。

そしてトリは入江明日香氏の作品です。
私、この人の絵は本の表紙で(恩田陸さんの小説)見たことがありましたが、細かくてキレイだな、というくらいで特に気にとめてはいませんでした。
けれど今回、実物を見てその美しさと緻密さ、それから遊び心に度肝を抜かれました。
技法も銅版画とコラージュと絵の具の手描きという独特なものだから実物の発色だの質感だのが何とも言えない効果を生み出しているし、掛け軸の表具まで描き込んで作品にしてしまっているのには脱帽しました。
人物が動物や植物と融合するかのような描き方もドキッとするし、作品の中に描き込まれた小さなモチーフ達も愛らしくて探す楽しみに溢れています。

この作品、引きで見ても十分美しいのですが…

近寄って、部分を見ても色んなものが描き込まれていて感心しちゃう久しぶりに図録以外の作品集を買ってしまったわ。

紹介されていた作家さん、それぞれが個性的で見ていてとても楽しい展覧会でした。
これからの活躍に期待しちゃうし、これからも追っかけていきたいと思う作家さんに出会え
ました。行って良かったわ~。

 


岸田劉生展

2020年02月02日 | かんしょう

名古屋市美術館で開催中の「岸田劉生展」を観に行ってきました。

娘を描いた麗子像シリーズで有名な岸田劉生。
誰もが知っている絵を描いているにも関わらずどんな画家なのか気に留めたりはしてこなかったのですが、展覧会のおかげで人物像が少し見えてきたので興味を持ちました。
ちょうど少し前に風景画を観る機会があった(この辺りのコレクション展か何か?でも三重の《麦二三寸》ではなかった)のですが、美しいというわけではないけれど奥へと続く道が印象的な絵だったので風景画がもっと観たいとは思っていたんですよね。

さて、展覧会のおかげで岸田劉生のことを知る機会を得たわけですが…。
まず、38歳という若さで亡くなっているのを知りませんでしたし、20代に肺病と診断(誤診らしいけど)され、外出を控えたため風景画の点数が少ないことも知りませんでした。
まぁ、風景画を目的としなくても「日本近代美術史上に輝く天才画家」なんてあおりを付けられては興味を失うはずもありません。

岸田劉生が天才といわれる所以。
それは日本の近代絵画において黒田清輝が「輸入」した印象派から脱却して自分の画を探求し続けた点にあるようです。
この展覧会はその画業自体が岸田の魅力なのを伝えようとしているのがよく分かる構成になっていて、展示が制作順に並んでいます。
今回、キャプションと作品リストを見て制作年の所に日付まで入っているのに驚きました。
気にして絵を見ると、確かにサインの所に日付が入っていて(このサインも制作の時期や画風によって色々変わっていて面白い)、まるで日記のように試行錯誤しているさまが見て取れます。

印象派のようなタッチからデューラーやファン・エイクらの影響を受けて写実的になり、そこからまた変容を遂げていきます。
岸田は武者小路実篤の「自己のための芸術」という考え方に共感していたということで、自分の表現の追求として色んな技法で自画像や人物画を描いています。
これを見て私は思いました。「この絵、欲しがる人っているのかなぁ」と。
もう、生粋の芸術家ですよね。同じものを何点も、しかも肖像画として注文を受けたわけでもない自画像を延々と描くんですから。
実際、1914年の個展(クラッシックに傾倒した頃)では1点しか売れなかったそうです。
それでも支え続けた奥さま、すごいです。さすが「画家の妻」。
この奥さま、学習院で教鞭を執っていた漢学者の娘で鏑木清方に日本画を師事していたというのだから芸術や文化に理解があるのは頷けますが。
(私が心配しなくても、生活が出来るくらいには仕事はあったのでしょうけど)
娘の麗子も父親のモデルを精一杯務めたようですし、良い家族ですよねぇ。

風景画については苦手だと思っていた時期があったのは確かなようで、「色で画くから画けないことがわかった」「捨てれば描ける」と語ったという逸話が紹介されていました。
なるほど、点数が少なかったのは外出できなかったのだけではなかったのね。
あの独特の風景画、眺めて美しいとは思わないのだけれど道の向こうに何かがある気がして飽きずに見れそうではあるんですよね…。
風景画は自宅周辺を描いた作品と、大連で描いた作品を見ることが出来ましたが、自然の美しさを描きとろうとした作品という印象はなく、色々と考えることが多い人だったんだろうなぁと思ったのでした。

私にとって、美術展と言うより自叙伝でも読んだかのような印象を受けた展覧会でした。
芸術家って大変だ。。。

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おまけ

常設展示室に寄贈を受けた藤田嗣治の作品2点が紹介されていました。
これが両方とも名作で!
特に《夢》という作品は白いわ裸婦だわ猫いるわで、フジタらしさ満載のすごく素敵な絵でした。必見です。