昨日は、長男の茶道のお稽古夏休みバージョンということで、石水博物館へ足を運びました。茶道の先生は毎年、夏になると茶道にゆかりのある場所へ案内してくれるのです。
石水博物館は、伊勢商人(豪商)の川喜多家の当主が代々蒐集してきたコレクションを展示しています。
川喜多家でもっとも有名なのが「川喜多半泥子(はんでいし)」。この博物館を設立したのも、半泥子その人です。
以前は津市街地の百五銀行の2階という人知れない場所にあったそうですが、このたび公益法人となり今年5月に新築オープンに至りました。
市内の別荘地という場所にあり、落ち着いた良い雰囲気の博物館なのですが、とても分かりづらいのでご注意を。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/aa/1f6908e5d6de272ac29cd6b1ffda92f7.jpg)
川喜田半泥子(かわきたはんでいし:1878~1963)は、伊勢商人川喜田久太夫(きゅうだゆう)家十五代の長男として生を受けました。本名は川喜田久太夫政令(まさのり)、幼名善太郎。川喜田久太夫家は伊勢国津に本拠を置いて江戸大伝馬町(おおでんまちょう)に大店を持ち、主に木綿太物を扱っていた豪商。創業は寛永年間で、半泥子生誕の頃には既に200年以上の歴史を持つ老舗でした。
半泥子は幼くして両親と別れ、1歳で家督を相続し十六代久太夫を襲名することとなり、祖母・政や筆頭分家の川喜田四郎兵衛らから教育を受けました。また祖母の勧めにより若くから参禅したことによって強靭な心身を会得し、商家の当主として、また百五銀行第六代頭取他数々の企業の要職をこなしました。また先祖の意志を継いで地域振興の事業も手がけ、文化財団石水会館設立もそのひとつでした。
その多忙な日常において、書画、茶の湯、俳句、写真など実に多彩な趣味を持ち、いずれに対しても形にとらわれない自由で伸びやかな姿勢で風雅に遊びました。なかでも陶芸においては破格でした。本格的に陶芸をはじめたのは還暦が近くなってからのこと。晩年の手紙に「子供の頃から焼物好の私が昭和八年ニ千歳山ニ窯を築いて二三万作った 又廣永で今迄ニ作った一万斗(ばか)りと合すと大分の数になる」と記しています。戦前は自邸の千歳山に窯を築いて、中里無庵(1895~1985・十二代太郎右衛門)、荒川豊蔵(1894~1985)、金重陶陽(1896~1967)、三輪休和(1895~1981・十代休雪)、小西平内(1899~1991)といった若き陶工たちと交わって研究を重ね、戦後は津市郊外の広永に窯を移して会社組織の広永陶苑を設立、坪島土平(1929~)ほか若い弟子たちと作陶を楽しみました。陶芸においてシロートであり続けた半泥子の遊び心あふれる陶芸作品は、趣味の域を越え、高い評価を受けています。
石水博物館HPより抜粋
半泥子は多才な方だった様ですが、特に評価が高いのは陶芸です。
半泥子と時代を同じくし、美食家・陶芸家で名高い「北大路魯山人」はご存知の方も多いはず。陶芸家としての才を発揮しつつも他の分野でも成功しているという意味でしょうか、「東の魯山人、西の半泥子」とも称されます。
魯山人は食をベースに考えた陶芸です。以前、魯山人の陶芸展を見たことがありますが、その時は器自体を美しいとは感じませんでした。
しかし、魯山人の器に料理が盛り付けられた写真を見ると、料理が趣のある佇まいをしていたので「なるほど、使うことを考えて作ってる器なんだなぁ」と感心した覚えがあります。
その点で、半泥子の作品は茶道に非常に適しているのだとか。
茶道の先生に言わせると、ご自分でお茶を嗜んでいない陶芸家の茶碗は見た目に美しくても使いづらそうな姿をしているものがよくある。けれど、半泥子は自身がお茶を好きで茶道具を作っているため、とても使いやすそうだというのです。ふむ、確かにそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/33/5799ceef45e49c0c236860ab71031d96.jpg)
半泥子の作品は銘が面白い。
半泥子との比較として、陶芸家「荒川豊蔵」に先月の徳川美術館の記事でも触れましたが、半泥子には余裕があるという話。
作陶に全身全霊を傾けた豊蔵に対し、探究心で自由に作陶を続けた半泥子…。
特に師についたわけではなく、歴代の川喜多家の蒐集物や他の高名な作品が師となり、模倣から作品を生み出していった半泥子。
その「余裕」は、そのまま「遊び心」となって作品に表れています。
遊び心というのは心地よく人の心を掴み、また、その情熱は深みを醸し出すために愛される作品となるのでしょう。
細川護熙氏の展覧会で感じた「良いモノに囲まれて育つと目が肥えるんやねぇ。目が肥えてる人は労せずして(多少の違いはあれど)良いモノ作りよる。恵まれた人はどこまでも恵まれてるよなぁ」という思いがまたもやむくむく。
でも、その才を世に還元して下さってるのでオッケー。
次元が違うから、ただただその功労に感謝ってことで。
石水博物館は、伊勢商人(豪商)の川喜多家の当主が代々蒐集してきたコレクションを展示しています。
川喜多家でもっとも有名なのが「川喜多半泥子(はんでいし)」。この博物館を設立したのも、半泥子その人です。
以前は津市街地の百五銀行の2階という人知れない場所にあったそうですが、このたび公益法人となり今年5月に新築オープンに至りました。
市内の別荘地という場所にあり、落ち着いた良い雰囲気の博物館なのですが、とても分かりづらいのでご注意を。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/aa/1f6908e5d6de272ac29cd6b1ffda92f7.jpg)
川喜田半泥子(かわきたはんでいし:1878~1963)は、伊勢商人川喜田久太夫(きゅうだゆう)家十五代の長男として生を受けました。本名は川喜田久太夫政令(まさのり)、幼名善太郎。川喜田久太夫家は伊勢国津に本拠を置いて江戸大伝馬町(おおでんまちょう)に大店を持ち、主に木綿太物を扱っていた豪商。創業は寛永年間で、半泥子生誕の頃には既に200年以上の歴史を持つ老舗でした。
半泥子は幼くして両親と別れ、1歳で家督を相続し十六代久太夫を襲名することとなり、祖母・政や筆頭分家の川喜田四郎兵衛らから教育を受けました。また祖母の勧めにより若くから参禅したことによって強靭な心身を会得し、商家の当主として、また百五銀行第六代頭取他数々の企業の要職をこなしました。また先祖の意志を継いで地域振興の事業も手がけ、文化財団石水会館設立もそのひとつでした。
その多忙な日常において、書画、茶の湯、俳句、写真など実に多彩な趣味を持ち、いずれに対しても形にとらわれない自由で伸びやかな姿勢で風雅に遊びました。なかでも陶芸においては破格でした。本格的に陶芸をはじめたのは還暦が近くなってからのこと。晩年の手紙に「子供の頃から焼物好の私が昭和八年ニ千歳山ニ窯を築いて二三万作った 又廣永で今迄ニ作った一万斗(ばか)りと合すと大分の数になる」と記しています。戦前は自邸の千歳山に窯を築いて、中里無庵(1895~1985・十二代太郎右衛門)、荒川豊蔵(1894~1985)、金重陶陽(1896~1967)、三輪休和(1895~1981・十代休雪)、小西平内(1899~1991)といった若き陶工たちと交わって研究を重ね、戦後は津市郊外の広永に窯を移して会社組織の広永陶苑を設立、坪島土平(1929~)ほか若い弟子たちと作陶を楽しみました。陶芸においてシロートであり続けた半泥子の遊び心あふれる陶芸作品は、趣味の域を越え、高い評価を受けています。
石水博物館HPより抜粋
半泥子は多才な方だった様ですが、特に評価が高いのは陶芸です。
半泥子と時代を同じくし、美食家・陶芸家で名高い「北大路魯山人」はご存知の方も多いはず。陶芸家としての才を発揮しつつも他の分野でも成功しているという意味でしょうか、「東の魯山人、西の半泥子」とも称されます。
魯山人は食をベースに考えた陶芸です。以前、魯山人の陶芸展を見たことがありますが、その時は器自体を美しいとは感じませんでした。
しかし、魯山人の器に料理が盛り付けられた写真を見ると、料理が趣のある佇まいをしていたので「なるほど、使うことを考えて作ってる器なんだなぁ」と感心した覚えがあります。
その点で、半泥子の作品は茶道に非常に適しているのだとか。
茶道の先生に言わせると、ご自分でお茶を嗜んでいない陶芸家の茶碗は見た目に美しくても使いづらそうな姿をしているものがよくある。けれど、半泥子は自身がお茶を好きで茶道具を作っているため、とても使いやすそうだというのです。ふむ、確かにそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/33/5799ceef45e49c0c236860ab71031d96.jpg)
半泥子の作品は銘が面白い。
半泥子との比較として、陶芸家「荒川豊蔵」に先月の徳川美術館の記事でも触れましたが、半泥子には余裕があるという話。
作陶に全身全霊を傾けた豊蔵に対し、探究心で自由に作陶を続けた半泥子…。
特に師についたわけではなく、歴代の川喜多家の蒐集物や他の高名な作品が師となり、模倣から作品を生み出していった半泥子。
その「余裕」は、そのまま「遊び心」となって作品に表れています。
遊び心というのは心地よく人の心を掴み、また、その情熱は深みを醸し出すために愛される作品となるのでしょう。
細川護熙氏の展覧会で感じた「良いモノに囲まれて育つと目が肥えるんやねぇ。目が肥えてる人は労せずして(多少の違いはあれど)良いモノ作りよる。恵まれた人はどこまでも恵まれてるよなぁ」という思いがまたもやむくむく。
でも、その才を世に還元して下さってるのでオッケー。
次元が違うから、ただただその功労に感謝ってことで。