アバウトなつぶやき

i-boshiのサイト:「アバウトな暮らし」日記ページです

「舟越桂 私の中のスフィンクス」「フリオ・ゴンザレス」展

2016年04月04日 | かんしょう
 三重県立美術館では「舟越桂 私の中のスフィンクス」「フリオ・ゴンザレス」展、二つの展覧会を同時開催中。
 各展覧会、一般1100円の入場料ですがセット券だと1500円になるのでお得です。両方観るならぜひこちらをおススメします。

「舟越桂 私の中のスフィンクス」展は、シロウタと2月中に観に行ったのですが、同時に二つの展覧会は疲れてしまうので「フリオ・ゴンザレス」展は後回しにしていました。一緒に感想を書くつもりだったわけじゃないけど、結局ひと月以上経ってからになってしまった(^_^;)
 




舟越氏は近年、スフィンクス・シリーズという両性具有で長い耳朶(じだ)を持つ像を制作しています。
そのため、タイトルだけ聞くと新作展かと思いがちですが、実際は初期の作品から現在までを追う流れになっており舟越氏の歩みを知る事のできる展覧会になっています。
一目で作家が分かる、独特な面持ちと表情を持った作品ばかりです。
この、見た者が忘れられない、人を引きつけるうつろな表情は目に秘密があるようです。
作品に目を入れる際、ほんの少し両目の視線が外に向くようにするのだそうです。そうすると目の焦点が合わないため、作品を観ている者とも目が合わない。
それがあの等身大でありながら現実感を感じさせない人物を作り出すのだとか。

見つめていると吸い込まれ、水を打ったような静けさに連れて行かれます。清らかで穏やかな空間にいるはずなのに、心がなんだかざわざわする…そんな気持ちにさせる作品達でした。






フリオ・ゴンザレスはこの展覧会が開催されるまで知らなかった方です。
現代彫刻には計り知れないほどの影響を与えた作家であり、ピカソの彫刻において鉄の扱いを教えた人物であるというので非常に興味がわき、舟越氏以上に楽しみにしていました。
おかげで、作品数100点程度の展覧会で2時間近く居てしまった。

まずは、彼の若い頃の作品で細工の技術が確かなものであることが紹介されています。
金工職人の息子として生まれた彼は当初は画家を志しており、50代の頃に自由な表現の作品を作り始めるまでは、工房は生活の手段という側面が強かったようです。
当時のスペイン、バルセロナはモデルニスモと呼ばれる新しい芸術運動の中心地でした。その頃のヨーロッパではパリのアール・ヌーヴォーやエコールド・パリなど、新しい表現が続々と台頭していた時代でもあります。
そんな中、新しい芸術に敏感だったフリオがピカソと親交を深めたのは当然なのでしょう。

フリオは彫刻の素材に鉄を用いたことが大変新しかったと言われています。工業新興時代の新しい素材であり、それを扱う技術が伴っていたことも大変注目されています。
しかし、この展覧会を観たことで素材だけではない表現としての革新を感じさせられる彫刻であると気付きました。
ピカソはキュビズムで絵画という二次元に三次元を表現しました。
フリオは空間に鉄で描く「空間の中のドローイング」、または、空間も素材として組み合わせることで形態を生み出す、という考え方で彫刻を作っています。
「空間の中のドローイング」は空間をカンバスのように見立てることで、立体で絵画的要素を表現しているのでしょう。一面から見ればピカソと逆の表現方法ですよね。
また空間を素材として鉄と組み合わせた包括的な彫刻であるという考え方は、概念が見ている側の居る【空間】内に表現されているわけで、となると、彼の彫刻は立体表現として表現者と鑑賞者の間に隔たりがないということになる…?

そういう風に考えて観ていると、普段何気なく美術品を鑑賞しているときには「美しいか美しくないか」「好きか嫌いか」という観点を大事にしている自分が、別の次元に連れて行かれるのを感じます。
芸術というのは表現方法を模索することで、哲学であったり信仰であったり時には真理だったりを追求する手法=「術」なんだということを思い知らされるのです。
けど、そういうことを考えながら鑑賞するのはやっぱり大変~!
改めて、芸術鑑賞の奥深さをのぞき見て「入り口でいいか…」と思い知らされてしまうのでした。

さて、展示作品のキャプションを見ると、ほとんどがブロンズの鋳造でした。
つまり、オリジナルは鉄を溶接して作った作品ですが、そこから型を起こして鋳造作品が作られているのです。
この場合の鋳造作品がレプリカではなく、版画と同じように本物というのが彫刻作品の妙。
ほんの数点、オリジナルが展示されていましたが、やはり鉄は錆を帯びて茶色い風合いが出てきているので趣が違います。
版画は同じクオリティが表現できた版にシリアルナンバーが付いていると思うのですが、この場合は素材も手法も違うわけで、そう考えるとフリオ氏が制作時に表現したかった事は鉄の風合いではなくやはりこの表現方法だったんだなぁと思い当たるわけです。
とは言え、鉄とブロンズは似てるから良いけれど、石彫の作品もほとんどがブロンズ彫像だったので、これについては博物的価値は感じるけれど芸術的価値は劣る気がしてしまいました。

考え出すと深くなるけど、軽く観てもかわいらしい作品とかもあって楽しめると思います。
どちらにせよ私には印象深い展覧会になりました。