アバウトなつぶやき

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月と六ペンス

2017年03月12日 | よみもの
前回、ワダちゃんと美術館へ行ったとき英文科卒の彼女に「卒論はゴーギャンだって言ってたよね、あっちの展覧会の方が良かったんじゃないの?」って尋ねたところ「ゴーギャンのことを小説に書いた本を題材にしただけで、ゴーギャンが好きなわけじゃないからええの」という話になりました。
え、何、その本。読みたい、貸して、と言ったら英語で書かれた原書の方にするかと聞かれたけどそんなの私に読めるはずもなく、、、↓これを借りてきました。

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本のタイトルは「月と六ペンス」。
これタイトルだけは知ってる!ゴーギャンのことを書いてるなんて知らなかったよ。

ワダちゃんから「ゴーギャンがどんなにクズ野郎かを淡々と書いた話だよ」と言われて読み始めたのですが、いやいや、淡々どころかすごいドラマチックで面白い。
確かに作中で主人公が出会った画家はゴーギャンがモデルなのですが、実際のゴーギャンとはかなり違います。
同じなのは株式仲介人をしてたこととか、妻子を捨ててタヒチに行ったという事実くらいかな?
フランス人なのにイギリス人という設定になってるし、起こした事件も違っている。死に様も凄惨な感じになってます。
解説にも「ゴーギャンの生涯に暗示をうけ」と書かれているとおり、小説として割り切って読んだ方が良いでしょう。

この作品、ゴーギャンとの違いについて気にしながら読み始めたけれど、読み終えてみるとモームの芸術家に対するイメージや理想なんかが詰まった作品な気がします。
ゴーギャンがモデルの画家はストリクランドという名で登場するのですが、ストリクランドの行動や思想は常識からとことん外れています。でも読んでいると、こういう生活の些末なことにとらわれない者が芸術家なんだ、と言われている気がしてきます。芸術とは神の領域であり、人間の営みに気を取られているうちはその領域に入り込めないんだと言っているようです。
ストリクランドの絵が評価されない時に、彼を天才だと言い張るストルーフェという画家が登場します。
ストルーフェは陳腐な絵を描く画家でありながら、確かな審美眼を持つという設定です(悲しい善人であり、とても酷い目にあうのです)。
彼の台詞を読んでいると、主人公と同様に、自分は芸術を見分けることのできない凡人なんだなぁと思い知らされます。
そして私は考えます。確かに芸術家ってやつは常人じゃ理解できない人たちなんだろう、と。

しかし、私はこうも考えます。
芸術とは人間にとってどんなものなのだろうか、と。
芸術は無くても人は生きていけます。ただ芸術に触れずに過ごす人生は味気ないだけです。
神と人間をつなぐ手段である芸術。
私には審美眼は備わっていないけれど、自分好みの美を判別することは出来るし、芸術と呼ばれるものに対峙した時に自分の生活を忘れる瞬間があることも知っている。
信仰心を持たない私は神のことは知らないけれど、人間の生活以外の領域があることは理解できる。
さて、現状に満足している私(および世俗の人)は芸術家から非難されるほどつまらない存在なのだろうか。
芸術家は神の世界を人間に垣間見せる依代を生み出すけれど、聖人でなければいけないとは思えない。人間であってもいいはずだ、と思っている私は、芸術家と世俗は相容れないと考えるのは狭小な考えな気がするのです。
だからストリクランドを汚れた聖人のように描いているのはモームのロマンだな、と感じます。

あと、時代のせいもあるんでしょうが女性を軽視した書き方が垣間見えるのがちょっと気に入らない。
差別的とまでは言わないんだけど、男の人が書いた文章だなぁという気はしました。

というわけで、「月と六ペンス」はモームの思想に言及するように読むよりも戯曲を見るようなつもりで読んだほうが断然楽しいなと思いました。
読んだ後に色々と考えることのできる小説、という点で非常に面白い作品だったと思います。