三重県立美術館で開催中の「平櫛田中(ひらくしでんちゅう)」展を観てきました。(まっちゃん、チケットありがとう♪)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d4/2f789ea775b94c3216f67c471ad58e53.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/f4/e959a6eb02c7985558e03b975c3c2c3a.jpg)
平櫛田中は大正~昭和の時代を生きた彫刻家で、107歳という長寿を全うしました。
岡山の「田中」家に生まれ、広島の「平櫛」家に養子に入ったことから平櫛田中と名乗ったそうです。
彼は岡倉天心(急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残した人物)の教えから深い精神性漂う作品を発表しています。
制作活動期間が長い方なので作品の種類や制作技法が多岐にわたり、西洋的造形と前近代的造形の間で振幅を見せている…と評されますが、どのあたりのことを西洋的造形と呼んでいるのかイマ一つ分からなかったワタクシでございます。(西洋人の少女の彫刻あたりかなぁ)
非常に写実的な彫刻を作る人で、どの時代の作品を観てもとにかく精巧です。
しょぼくれた翁の彫刻を後ろに回って見てみると、背中でしょぼくれてるのが分かる(笑)
昭和に入ると着彩された肖像が多くなるのですが、この人物は間違いなくこんな顔をしたこんな雰囲気の人だったのだろうと思わされます。
彩色像は非常に美しく、着物の小紋まで書きこまれる細かさです。前田青邨の手によるものもありました。
技巧の紹介もあり、器具により塑像に星(しるし)をつけて同じ作品を複数制作するという近代的な手法を取り入れているところに、生前から成功した芸術家という印象を受けました。
分かりやすく美しい、見ごたえのある作品ばかりでした。
ところで平櫛田中は三重の橋本平八と交流があり、よく訪ねたり作品を収集したりしていたとありました。
それで2階の常設展には橋本平八の特集展示があったのですが、平八さんの写真見たらかなりの男前じゃん!
なのになぜ彼の作る作品の顔は面長なの?
佐伯祐三のときも男前と思ったけど、橋本平八もなかなかでした(笑)…本人達にすりゃ、作品以外を誉められても嬉しくないでしょうけどね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d4/2f789ea775b94c3216f67c471ad58e53.jpg)
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平櫛田中は大正~昭和の時代を生きた彫刻家で、107歳という長寿を全うしました。
岡山の「田中」家に生まれ、広島の「平櫛」家に養子に入ったことから平櫛田中と名乗ったそうです。
彼は岡倉天心(急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残した人物)の教えから深い精神性漂う作品を発表しています。
制作活動期間が長い方なので作品の種類や制作技法が多岐にわたり、西洋的造形と前近代的造形の間で振幅を見せている…と評されますが、どのあたりのことを西洋的造形と呼んでいるのかイマ一つ分からなかったワタクシでございます。(西洋人の少女の彫刻あたりかなぁ)
非常に写実的な彫刻を作る人で、どの時代の作品を観てもとにかく精巧です。
しょぼくれた翁の彫刻を後ろに回って見てみると、背中でしょぼくれてるのが分かる(笑)
昭和に入ると着彩された肖像が多くなるのですが、この人物は間違いなくこんな顔をしたこんな雰囲気の人だったのだろうと思わされます。
彩色像は非常に美しく、着物の小紋まで書きこまれる細かさです。前田青邨の手によるものもありました。
技巧の紹介もあり、器具により塑像に星(しるし)をつけて同じ作品を複数制作するという近代的な手法を取り入れているところに、生前から成功した芸術家という印象を受けました。
分かりやすく美しい、見ごたえのある作品ばかりでした。
ところで平櫛田中は三重の橋本平八と交流があり、よく訪ねたり作品を収集したりしていたとありました。
それで2階の常設展には橋本平八の特集展示があったのですが、平八さんの写真見たらかなりの男前じゃん!
なのになぜ彼の作る作品の顔は面長なの?
佐伯祐三のときも男前と思ったけど、橋本平八もなかなかでした(笑)…本人達にすりゃ、作品以外を誉められても嬉しくないでしょうけどね。