昨日、シロウタと一緒に
松坂屋美術館で開催中の「巨匠と出会う名画展」を観て来ました。
この展覧会は千葉県にある
川村記念美術館が改装中なのを受け、関西方面でその所蔵品展を開催しているものです。
確かに巨匠展と銘打つだけあって、レンブラント、モネ、ルノワール、ピカソ、シャガールなど、1~2点ずつながらも有名どころを取り揃えた展覧会になっていました。
所蔵展なのでテーマも盛りだくさん。17世紀から近代に至るまで国内外60点の紹介は変化に富んでいました。
シロウタは出産以来、お出かけが減っているので久しぶりの美術鑑賞に興奮気味でしたが、ワタクシ、自分の脳の老化ぶりを確認するハメに。
美術鑑賞のたびに書いてる気がしますが、ワタクシ、若い頃はシュールレアリスムが好きでそっち系の展覧会はかなり足を運びました。
今回もシュールの作品が何点かあり、以前のようは高揚はないながらも楽しめました。その中の「石化する森」という作品を見つけた時「あ、これ、いい。」と思い作者を見ると
マックス・エルンスト。
その時「あぁ、マックスエルンストか。」と名前は思い出すのに、どんな作品が好きだったか思い出せない!好意的に名前覚えてるって事は、確かに好きな作品があったはず!なのに全然思い出せないんですよ。
もー、呆然でした。
横で生粋美術ファンのシロウタが全然知らない画家の作品を指差して「わたしこの○○って人好きなのよ」とか言ってるのを聞いて「こいつは普段から文化を追求する生活してんだなぁ」と感心することしきり。
だいたい、現代美術やポップアートに多いコンポジション作品を観て感動できる人間って言うのは普段からよほど芸術で頭をいっぱいにしてる人だと思う。
バランスとか哲学とかをいつも追求してない限り、何描いてあるか分からんような絵を観てそれを受け止めることは出来ません。もー、観るのに頭パンクしそうになるので無理なんですよ、普通じゃ。
削って削って、考え抜いて、それをただの線や面で表現するって言うのは相手がそれを受け止められるだけの度量が無いとダメなのに、表現者はそれを表現し続けるわけで…ワタクシはその何描いてあるか分からん作品とシロウタを見比べて「理解してくれる人が居て良かったね」と思ったのでした。
しかしまぁ、そんなことを思いながらも分かりやすい作品もちゃんとあり、楽しむ事ができました。
今回の新発見は
ジョゼフ・コーネル。
アメリカのコラージュ作家ですが、郷愁を誘うその表現にノックアウト。
その、時間と風景を箱に閉じ込めたような作品は、いつまでも観ていたいと思わせられました。しかし、本当にずっと観ていたいかと言うとそうではなく、ふとした時に思い出す昔の思い出のように、時々思い出して胸をキュンとさせるぐらいが愛しいかも知れない、そんな風に感じる作品でした。
その後、下の画廊で開催していた「杉浦康益展」で興奮。
第1回のパラミタ大賞展で大賞を受賞している作家さんでしたが、植物を陶で表現する「陶の博物誌」が紹介されていました。
やきものネット→
陶芸家インタビュー杉浦康益
この方は「陶石」というシリーズも作っておられますが、そっちを観てもこんなに興奮しなかったと思う。「陶の博物誌」シリーズは陶と植物の両方が好きなワタクシにはまさにツボでした。
いつかワタクシが宝くじでも当てたら、辻修氏の次に買って差し上げますので待ってて下さいませ。
その後、
キル・フェボンでお茶して
▲ワタクシの食べたのは「静岡県産 紅ほっぺとコシヒカリのタルト」。
お店のおねーさんに「どこにコシヒカリが使ってあるんですか?」と訊ねると
「タルトの下の層に粒のまま入ってるんです。おはぎみたいなもちっとした食感になってます」
と言われ、おそるおそる注文。
でも、食べたら全然お米って感じじゃなくって、カスタードクリームの食感に変化を出すために入れてるって感じだった。
シロウタは「りんごとクリームチーズのタルト」。
どっちもめっちゃ美味しかった~♪
大須へ寄って長男のお茶グッズを探すも発見できず、結局自分の服と喪服用の帯上げ&帯締めセット買って帰りました。
▲大須観音では骨董市が開催されてた。
若い頃はこーゆーの大好きだったけど…怪しいとしか思えなかった!
レトロかなんか知らないけど、昔おまけでもらったようなゴミがたくさん売られていたぞ。たまたま集まった店が悪かったのかなぁ。
バスに乗る前に
富澤商店に寄ったけど、バターが全部、いえ、どこかの外国産の1パウンド2700円とかするバター(一体、どんな人が買うんだろ?)以外は全部売り切れでした。
やっぱりバター不足なんですかねぇ。