アバウトなつぶやき

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小川千甕展 ‐縦横無尽に生きる‐

2015年12月14日 | かんしょう
先週、京都文化博物館で開催中の「小川千甕(せんよう・ちかめ)」展に行ってきました。
今年の展覧会巡りはこれで終わり。今年の秋は結構行けた♪

 小川千甕(1882〜1971)は、明治末期から昭和期までの長きにわたって、仏画師・洋画家・漫画家・日本画家として活躍しました。
 京都の書肆「柳枝軒」の家に生まれた千甕は、少年時代は仏画を描いていました。その後、浅井忠に洋画を学ぶ一方で、新感覚の日本画も発表し始めます。同じ頃、京都市立陶磁器試験場の絵付け技手となったことをきっかけに「千甕」(せんよう)の雅号を自ら名付けますが、俳画や挿絵の画家としては「ちかめ」の名でも親しまれていました。
 明治末、28歳で東京へ越し、『ホトトギス』などに挿絵、漫画を発表して人気を博します。さらに1913年(大正2)には渡欧し、印象派の巨匠ルノワールにも会っています。帰国後は日本美術院に出品し、本格的な日本画家として活躍しました。その後、少年時代に憧れた富岡鉄斎を思わせるダイナミックな筆遣いの南画(文人画)で愛されました。
 本展は、千甕の初期から晩年に至る仏画、洋画、漫画、日本画約140点とスケッチブック、工芸などの資料を一堂に展示し、その芸術を紹介する初めての回顧展です。

※京都文化博物館HP〈開催概要〉より


小川千甕の事は展覧会の案内を見るまで知りませんでしたが、経歴を見た時に彼の人間性に対して強烈なイメージが涌き出てきまして、作品も観ていないのに「この人、好きだ!」と思ってしまいました。
そしてその直感したイメージは展覧会を観た後でも変わることはなく、むしろ確信に近いものになりました。



この展覧会の感想、一言で言えば「暗さがない」。
おおらかさで満ちあふれていて、素直で自由闊達な彼の人生が伝わってくるようです。


まず、入場すると少年時代の仏画の下絵が迎え入れてくれます。
緻密な線で描かれたそれは到底15才が描くレベルのものとは思えず、感心させられます。いくら家業から身についたものだとしてもその才能は凡人あらざるものに違いありません。
それが、浅井忠と出会った20代の作品になるとあっという間に近代の洋画へと変わります。遠近法や光の捉え方の雰囲気が浅井忠の作品に通ずる、確かなデッサン力を思わせる作品です。
同時期、千甕は浅井忠に学びながら同門の仲間と日本画の団体を設立しています(団体名が分からない 汗)。
ただ、その団体の一回目の作品展には出展していないのですが、設立した団体が師である浅井忠のお気に召さなかったのを気にしてのことだったという逸話が紹介されていて、思わずくすりと笑ってしまいました。なんだか先生に怒られてしゅんとなっている千甕の姿が想像できたからです。
仙(せんがい)や富岡鉄斎が好きだという彼の日本画はやさしく丸みを帯びた線で描かれています。
この後、それがデフォルメされるかのように変遷を遂げていくのですが、まだこの時点では個性の強烈さよりも愛らしさや美しさが勝っています。

浅井忠が京都高等工芸学校の教授だったこともあってか千甕は京都市立陶磁器試験場の絵付けの技手になりますが、その時に大津絵を手がけています。
浅井忠の手がけた大津絵の写しなどもありました。
大津絵(おおつ-え)とは、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていた。
神仏や人物、動物がユーモラスなタッチで描かれ、道歌が添えられている。多くの絵画・道歌には、人間関係や社会に関する教訓が風刺を込めて表されている。
※ウィキペディアより抜粋

後にこの大津絵は渡欧で見た様々な風俗を描き出す手法の一つとして、のびのびと描かれることになります。

千甕は31才で渡欧したのですが、その時のことを日記に綴った「滞欧日記」の中にルノワールに関する記述がありました。
その時の、彼の感想はまさに愉快!
あのルノワールのことを「白髭がヂヂムサイ…何だか今にも死に相な、いや死体の様な老爺」と表現しています。大した人だとわかっていながら、よぼよぼのジジイ扱いです(笑)
日記ですから、素直な感想をそのまま綴っていたのでしょう。
もちろん渡欧で見たものは水彩、油彩、スケッチと様々に残っていますが、その作品が農村風景から街の雑多な風俗にまで及んでいて「珍しいものを見たぞ、描いて残しておこう♪」と思っているのが伝わってきます。
なんというか、、、どれを見ても楽しそうなんです。作品が。特に大津絵はデザイン画として明るい色彩で描かれているのでとても愛らしい。

漫画や挿絵は28才の時に東京で描いていたもので人気があったようですが、彼の画家人生の中では重きを置いている感じはしませんでした。
かといって生活のために仕方なく描いているという風でもなく、目の前の絵に全力投球している感じがやはり好ましいし、親しみを覚えてしまいます。

少し前に藤田嗣治の人生を描いた映画「FOUJITA」を観て藤田に関心を持ち、彼の逸話などを少々聞きかじりました。
そのしたたかさや意志の強さはそれはそれで魅力的だったのですが、あまりにも千甕と対照的で思い出さずにはいられません。
藤田は巴里に行って自分の絵画を模索。師である黒田清輝に反発し黒田の薦める画材を捨ててしまったような人物です。
一方、千甕は浅井に教えてもらったことを大切にしている風であり、渡欧で見たものを大津絵に表す素直さがあります。
戦争画にしても然りです。
藤田は陸軍美術協会理事長に就任するほどの人物でしたが、千甕は同時代を生きていながら戦争画を描いていません。
友人にするなら千甕のような人ですね、私なら。 もっとも、世界的に有名な画家にはなれませんけど。

さて少し戻って帰国後の、昭和に入った頃、千甕の日本画の画風が変わってきます。
富岡鉄斎のようなダイナミックな筆遣いの日本画を描くようになります。
そしてそれはそのまま南画となり、千甕はこれこそが自分の描きたい絵だと悟るに至るのです。
南画(なんが)とは、中国の南宗画に由来する 日本的解釈の江戸時代中期以降の画派・画様の用語である。文人画ともいう。
※ウィキペディアより抜粋


正直言って、私は南画には興味がないのですが…。
でも、作品を見ているとそののびのびとした作風や「描きたいものを描くんだ」という気持ちはダイレクトに伝わってきます。
南画を作品展に出品して後、「自分の絵は展覧会向きではなくなってしまった」と悟り画壇の一線から退く潔さ。
作品よりもどうしても小川千甕という人物の魅力に惹かれてしまう私なのでした。

この展覧会の最後に、千甕の書が4点ありました。
書いてある言葉が、これまた人となりを感じさせてくれます。

「五風十雨」 「有頂天」 「行雲流水」 「縦横無尽」

それぞれ、とても個性的な味のある字です。文字すらも生き生きと動いています。

素敵な作品を観たわ、というより、楽しい人に会えて良かったわ、と感じる展覧会でした。
こんなのびのびした魅力的な生き方、今の時代に好まれると思うんだけど画家ってのは苦悩の人じゃないとダメなのかな。あまり注目されてないのが残念。
昨年、テレビ「日曜美術館」で紹介されたらしいのに…。今後、人気出てくると思うのは私だけかしら。

イセ文化基金コレクション 近代西洋絵画名作展

2015年12月09日 | かんしょう
仕事帰り、パラミタミュージアムで開催中の「近代西洋絵画名作展」を観に行ってきました。

パラミタには久しぶりに行きましたが、今まで池田満寿夫氏の般若心経シリーズのみだった常設展示室に江里佐代子さんの截金、田村能里子さんの絵画、辻輝子さんの陶芸も展示されていました。

いつ常設展示室の展示変えしたんだろ?
池田満寿夫氏の作品も素晴らしいとは思いますが、同シリーズで埋め尽くされた展示室はもう何年も同じままだったので食傷気味だったのは確か。
江里さんの截金が大好きなのもあり、この展示変えは大賛成です。私。

さて、イセ文化基金のイセは「伊勢」ではなく、International Standard of Excellence=ISE=イセのようです。イセ食品グループの関連で外資3社による基金。


展示品は50点余。出展リストを見るとセザンヌ、モネ、ピカソ他超有名なそうそうたるメンバー揃いなのですが、ほんの1、2点ずつだったりして程よい力の抜け具合を感じます。
友人から小綺麗な宝物をいっぱい広げて見せてもらった感覚でした。
私としてはベルナール・ビュッフェが収まりの良い作品をチョイスされてた事と、色彩を抑えた作品の後にアンリ・マティスのジャズシリーズがあったのが良かったと思いました。おかげで明るい気分になりました^ ^
ものすごい目玉はないけど、質の良い作品が少しずつある展覧会でした。

秋なのでイイ感じに庭が紅葉。

常設展示室も変わってたし、たまに来ると良い気分転換になります。ホーム感が落ち着くぅ。