アバウトなつぶやき

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'15日本のガラス展

2016年09月28日 | かんしょう
ただいまパラミタミュージアムでは'15日本のガラス展を開催中。

会期初めの8月の終わりごろにまず前期を観たのですが、ガラスの美しさにうっとり♡
そうだ、私ってガラスがすごく好きなんだった!てなことを思い出し、後期にも足を運んできました。


ガラス工芸協会主催のこの作品展。
3年ごとに開催されているようなのですが、1999年以来一般公募が行われていなかったようです。
公募作家の作品があったおかげで個性の違う作品をたくさん見ることができてとても楽しい!
ガラスの表現がたくさんあることを改めて認識します。



私はガラスは透明度の高いものが好ましく、ガレよりラリックが好きです。
もちろんエミール・ガレドーム兄弟も好きなんですが、あれはアール・ヌーヴォーのデザインがあってこそだと思ってます。そして、ランプのように灯りがあってこその美しさなのかなぁ、と。
いやいや、確かにランプは秀逸なんだけど、花瓶とかも素晴らしいですし。パート・ド・ヴェールもエナメル彩もやっぱり好きですし。
結局、ガラス作品全般好きなんですよねぇ。
透明感、光の反射、飴のような断面、個体より液体であると言われてきた神秘の物質。
ホント、ガラスって魅力的な素材です。

今回、「なんて素敵~!」とか「どれだけでも見ていられそう」と思ったのは上野ツカサ氏の『水の記憶』、磯谷晴弘氏の『泉』、海藤博氏の『光の器』、小林淑郎氏の『未来』、高木ひろ子氏の「想う」、中原司氏の「ゆれる」、藤井哲信氏の宙吹硝子三層盛器『アクア』、山本菜央氏の『一滴ずつ』、、、メモしたのはこんな感じですが、他にも素晴らしい作品、気に入った作品はてんこもりでした。
結局、作家のカタログみたいな気持ちで図録買っちゃったわ。

今までもこの作品展が巡回してたんだろうと思うと悔やまれます。もっと気にしてれば良かった。
次、3年後ですか。。。
次回も絶対観に行こうと誓った展覧会でした。

世界遺産 ポンペイの壁画展

2016年09月28日 | かんしょう
先日、会期の終了した「ポンペイの壁画展」。


先々週にシロウタと観に行ったんだけど、感想書く前に終わっちゃったのでもう細かい説明と感想は割愛。
他にも感想書きたい展覧会もあるので、後日、その気になったら再編集するということで。(なるんかいな)
とにかく「これが弥生時代に描かれてたなんて、文化水準が高すぎる!」と驚いてきました。



平日は写真撮影OKな展示がいくつかあり、記念なんだから撮っておこうと思って撮ってきたのがコチラ↓
  
「カルミアーノ農園別荘」の壁画を当時の別荘を再現した状態で展示しています。
 
▲こちらがキャプション。

当時の貴族の教養としてギリシャ神話は外せないらしい。
それで壁画に描かれているのですが、教養の足らない私としては分からない題材がいっぱい(涙)
里中満智子先生の描いたギリシャ神話、図書館で借りて全巻読んだはずなんだけど覚えてないのが悔やまれます。
  

楽しかったから、途中の写真スポットで写真撮ってきた。

衣装やら小道具やら置いてあるんだけど、みんな恥ずかしがってやる人なんていやしねぇ。
私がシロウタに撮ってもらってるところをケータイで撮ってる人がいたので「私なんか撮ってないで次どうぞ」って言ったら逃げられた。
阿呆になって楽しんだほうが良いと思うのですが、、、年甲斐なくてすみません。

ダリ展

2016年09月03日 | かんしょう
新学期の始まった9/1、京都市美術館で開催中のダリ展を観てきました。

私は若いころは熱狂的にシュルレアリスムを追っかけてた時期があり、もちろんその対象にはダリがいました。
ダリが近代美術にハマったきっかけと言って過言ではありません。

▲記憶の固執(1931年) 中学生の時に教科書で見たキリコの形而上絵画とこの絵がそもそもの発端
本当に、シュールなものが好きだったんですよね、昔は。
理解できなくても、それに触れている間は自分の知的欲求が満たされている気分になって生きていることの実感が伴っている気がしたものです。
でも、家庭を持って子どもを育てたせいか生活により生きている実感が得られるようになってきた今。年くったせいもあり思索を要する絵画から離れがちになってきたワタクシとしては、ダリは気合を入れて見る対象ではなくなってきていました。
そのせいで今回京都でダリ展を開催すると聞いてもわざわざ足を運ぶまでもないかな、と思っていたのですが、気が変わったのはこちら↓のリーフレットのおかげ
 
先月のルノワール展を観に行った時においてあった国立新美術館のものなんですが、すごくダリっぽいデザインでイイ!
スキャンして加工もしてない画像なのでわかりづらいですが、これ、紙自体にうにゃうにゃとしたカットが施されています。で、そのカットが額縁のようにシンメトリーではなく不定形な形をしていてすごくダリらしい。表側の茶色く見えるベース部分も実物はブロンズがかったゴールドのインクでインパクトがあるのです。
マンガもCDもジャケ買いすることはほとんどない私ですが、このリーフレットを見たらすごくダリ展を見たくなりました。


▲京都市美術館のリーフレットは普通にA4定型。同じ展覧会でも巡回先で違いが結構あるんだと実感。

さて、展覧会の内容ですが回顧展ということもありダリの生涯を通じた活動内容を紹介していてとても幅広い展示になっています。
ダリ作品を観ることやダリ自身の事を知りたい人ならとても興味深い展示だと思います。
ただ、今の私にとってはちょっと物足らない展示で非常に残念でした。(このブログは私の日記なので主観です)
何より、私の一番好きなダリのモチーフである「燃えるキリン」が全然いなかった(泣)
いや、正確に言えば「燃えるキリン」は『シュルレアリスム的闘牛』のエッチングの中の1枚にいるにはいたんですが、首から上のキリンが
視線あちこち向けてよだれ垂らしてる絵で、「私の好きなクールで緊張感のあるキリンじゃなく、頭の悪い牛にしか見えん」と思ってしまった。
ダリの「活躍」がクローズアップされている展覧会な気がして、私向きではなかったかな。ダリの絵は同じモチーフが繰り返し使われているため、そこに焦点を当てて紹介する展覧会をやってくれたらちょっと嬉しい。(実際に見たら飽きるかな…)

同じモチーフといえばダリは縄跳びをする少女をよく描きますが、この少女が不思議の国のアリスの挿絵として使われていたのを今回初めて知りました。アリスとあの少女を同一として描くって、ダリって肝が据わってる。っていうか、芸術家って独自の解釈を堂々と発表できるからこそ芸術家なのかも。

▲縄跳びをする少女のいる風景(1936年)
私、キリコの「通りの神秘と憂鬱」はもちろん、小川未明の小説「金の輪」も好き。だからこれに神秘性を感じるのは言うまでもなく、不思議の国のアリスの「不思議」と呼応しているのは認めるけど、、、個性強すぎ。

あとはリトグラフ『ガラの晩餐』シリーズはとても面白かった。
テーマがはっきりしていてインパクトがあり、書き込みも細かくてデザインとしてのバランスも素晴らしい。そしてちゃんとグロテスクなのもダリらしいと感じました。

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ダリ展を見てきたと職場で言ったらまっちゃんに「ダリって怖くないですか?」と聞かれました。
若いころの自分はとても不安定で、そんな時に不安にさせる絵を見ると「自分の持っている不安」が「絵を見ている不安」に置き換えられる気がして逆に落ち着いた。失恋した時に悲しい歌を聴くと慰められるのと同じ感じかな~、と言ったらとても納得されました。
彼女は絵を描く人なので、自分が描いたものの中で不気味な感じのする絵は相手を不快にさせる気がして発表せずにいたとか。けれど、描く時というのはそういう絵ほど集中して入り込んでしまうらしい。
不安な絵っていうのもちゃんと需要があるんだ、と思えたらしく今度から発表してくれそう。今回の展覧会を見た結果として、一番良かったことって実はこれかもしれない。