3月17日
上野公園で生け花展を見たあと、旧岩崎邸庭園に行くことになりました。
不忍池の周りに沿って行きます。
不忍池にはキンクロハジロがいました。
このキンクロハジロは他人とは思えません。
写真の3羽いる中の一番上の子は特にです。
あのヘアスタイル、寝ぐせそのまんまって感じで平気で泳いでるところ。
まるで私のようです。
キンクロハジロはネグセドリと言う俗称があるそうです。
なるほど~~~と思いました。
ユリカモメもかわいいですね。
水かきのついた足で、器用に杭の上にとまっています。
何だか落っこちそうなんですけど・・・
不忍池を離れて、ちょっと分かりにくい道や、あれ?と思う不品行な路地を通って
やっと旧岩崎邸庭園にたどり着きました。
何とも、立派なお屋敷です。
何だか、窓からオスカルが手をふってくれそうな・・・
中に入って暫くして、ボランティアによるガイドツアーがありますとの
放送がありました。
一緒に行っていた友人がぜひ参加したいとと言うので参加することにしました。
説明を受けながら見学するのと、ただ、さ~~っと見るのとでは違いますものね。
と言うわけで、これは、入り口横にある袖塀
岩崎家の家紋である三階菱とアカンサスが彫られています。
アカンサスと言うのはこの植物の事です。
思いのほかデカイ葉っぱです。
アカンサス文様はギリシア・ローマ時代から装飾文様として愛用されてきた
と書かれています。
唐草模様の元になったのですね~。
木造2階建て、地下一階のこの洋館は、ジョサイア・コンドルの設計で
日本人大工の手によって建てられたものだそうです。
玄関のステンドグラスや
金唐革紙の壁紙や
ミントン社に特注して作ったと言う2階ベランダのタイル
などの説明を聞きながらも、お昼がまだだったのでお腹が減って減って・・・・
目が回りそうでした。
でも友人はとても興味深そうに熱心に聴いています。
すごいなぁ~~、こんなに勉強熱心な子だったかしら
見直したわ、えらいわ、尊敬しちゃう
と、長年の友人の意外な面を発見したのでした。
それから、やっとお昼にありつけて、落ち着いて、ガイドさんの説明を思い出すと
あの金唐紙の壁紙が、旧岩崎邸がGHQに接収された時代に
ペンキで塗られたと言うのはなんともひどい話だなぁと改めて思いました。
また、和館が取り壊されて、味気ない鉄筋コンクリートの建物に変わったのは
何とも勿体無いことだったなと思わずにはいられませんでした。
時代が高度成長期で仕方が無かったのかもしれませんが
今から考えると宝を海に捨てた様な物だったんだと思いました。
歴史的建造物を後の世に残すということは難しいものなのですね。
上野公園で生け花展を見たあと、旧岩崎邸庭園に行くことになりました。
不忍池の周りに沿って行きます。
不忍池にはキンクロハジロがいました。
このキンクロハジロは他人とは思えません。
写真の3羽いる中の一番上の子は特にです。
あのヘアスタイル、寝ぐせそのまんまって感じで平気で泳いでるところ。
まるで私のようです。
キンクロハジロはネグセドリと言う俗称があるそうです。
なるほど~~~と思いました。
ユリカモメもかわいいですね。
水かきのついた足で、器用に杭の上にとまっています。
何だか落っこちそうなんですけど・・・
不忍池を離れて、ちょっと分かりにくい道や、あれ?と思う不品行な路地を通って
やっと旧岩崎邸庭園にたどり着きました。
何とも、立派なお屋敷です。
何だか、窓からオスカルが手をふってくれそうな・・・
中に入って暫くして、ボランティアによるガイドツアーがありますとの
放送がありました。
一緒に行っていた友人がぜひ参加したいとと言うので参加することにしました。
説明を受けながら見学するのと、ただ、さ~~っと見るのとでは違いますものね。
と言うわけで、これは、入り口横にある袖塀
岩崎家の家紋である三階菱とアカンサスが彫られています。
アカンサスと言うのはこの植物の事です。
思いのほかデカイ葉っぱです。
アカンサス文様はギリシア・ローマ時代から装飾文様として愛用されてきた
と書かれています。
唐草模様の元になったのですね~。
木造2階建て、地下一階のこの洋館は、ジョサイア・コンドルの設計で
日本人大工の手によって建てられたものだそうです。
玄関のステンドグラスや
金唐革紙の壁紙や
ミントン社に特注して作ったと言う2階ベランダのタイル
などの説明を聞きながらも、お昼がまだだったのでお腹が減って減って・・・・
目が回りそうでした。
でも友人はとても興味深そうに熱心に聴いています。
すごいなぁ~~、こんなに勉強熱心な子だったかしら
見直したわ、えらいわ、尊敬しちゃう
と、長年の友人の意外な面を発見したのでした。
それから、やっとお昼にありつけて、落ち着いて、ガイドさんの説明を思い出すと
あの金唐紙の壁紙が、旧岩崎邸がGHQに接収された時代に
ペンキで塗られたと言うのはなんともひどい話だなぁと改めて思いました。
また、和館が取り壊されて、味気ない鉄筋コンクリートの建物に変わったのは
何とも勿体無いことだったなと思わずにはいられませんでした。
時代が高度成長期で仕方が無かったのかもしれませんが
今から考えると宝を海に捨てた様な物だったんだと思いました。
歴史的建造物を後の世に残すということは難しいものなのですね。