1月12日 月曜日
1月4日の続きです。
バス停水井橋から歩き始めます。
朝6時39分阿南フジグラン発の細野行きバスに乗ります。
乗客は私達だけ。
7時半に水井橋バス停に着きました。
那賀川にかかる水井橋を渡ります。
鶴林寺に行く山道から、この橋が見えましたので、逆にこの橋から鶴林寺へ行く道が見えるはず
なのですが、
さて、さっぱりどこだか分かりません。
水井橋を渡って、鶴林寺の山方面を振り返って見ています。↓
橋を渡ると、ちゃ~~んと道しるべがあって迷う事はありませんでした。
ありがとうございます。
あっち行け こっち登れ
この谷川に沿って行く道の途中に「若杉山遺跡」なるものがあるはずなのですが
さて・・・・
さっぱりどこだかわかりませんでした。
丹生(水銀)の鉱山跡の遺跡らしいので、鉱山跡の洞窟とかに人が入ると危険なので
わざ~~~と分からなくしているのかなぁ???
休憩所
谷川に沿って行く道はなだらかで、う~~んこのままこんな感じで・・・
続くわけがなくて
現れ出でたるいつもの階段
あ~やっぱり
杉林やら 檜の林の中を上って・・・
やっと山門に着きました。
9時15分頃。
けど、ここから杉並木の上り坂は続き・・・
納経所があって、
鐘楼門の階段をのぼった先に本堂がありました。
あっっ・・・・しまった
本堂の写真ありません。
大師堂に向かう道の途中に鶴林寺が見える場所があります。
鶴林寺が・・・・
ここに・・・・・・・・・・・この下に小さく↓
大師堂
納経所の前のベンチのそばに
阿南警察署からのチラシが置いてありました。
山道に迷う人が出て身動きがとれなくなりヘリコプターで救出される事態が起きているとの事
ええ?・・・そうなの?
正規の参道を通りませう
と書いてるので、すっかりビビッてしまい、おっしゃる通りにいたしました。
けど、家に帰って、持ち帰ったチラシをよく見てみたら、「平成22年4月29日」発行のものでした。
去年の11月の徳島新聞には地元の人たちが「いわや道・平等寺道」を整備したと載っていたので
道標もちゃんとあるへんろ道になっている・・はずだと思うのですが
自分で確認してないのでわかりませんが。
いわや道・平等寺道
ところで、その後、友人に聞いたのですが
太龍寺さんは昔から、遠足で登る山だったのだそうです。
50代の友人も子供の頃遠足で水井の橋からの道を登ったそうです。
そして、別の友人の伯母さん(97歳)も、子供の頃、遠足で登ったのだそうです!!
え?何年前??
85年くらい前でしょうか?
その頃は、もしかして草鞋とかはいて登ったのでしょうか?
さすが、太龍寺!!!!!!
昔から近隣近在の子供達にも親しまれていたのですね
舗装された参道(いちおう車道だけれど狭い山道で自分では絶対運転したくない)を下りていきました。
上りもキツイですが、下りの坂もキツイですね。
杖がないと足がつりそうなので、道端の木の枝を拾って杖としました。
やがて、普通に車が行きかう県道に出ました。
阿瀬比まで、てくてく歩きます。
阿瀬比のお遍路の休憩所でお昼休憩。
ちょうどお昼の時間、12時頃でした。
ここまで来たら、あとは平らな道・・・のはず。
ここから細い道に入って 炭焼きの窯の跡かなぁ
谷に沿ってへんろ道を進むと
階段出現・・・・・・・・
え・・・・・・えええええぇ
ちょっと地理が頭に入ってませんでした。
地元なのに。
大根峠越え
(だいこん峠じゃないですよね、おおね峠なの?)
まさかの伏兵、大根峠。
こんなはずではなかったのにと文句を言い・・・・
その大根峠を越えると
竹林やらが続き・・・ やっと里に下りてきました。
牛さんが・・・・・・・・・
お遍路休憩所
何と雪が舞い出して・・・・・
雪はすぐにやんで
また歩き出します。
平坦な道です
~~~あと少しで平等寺です。
22番札所 平等寺
着いたのは2時20分頃です。
弘法の霊水
万病に効くと言われています。
平等寺はご近所なので、何回か来ているはずなのに
すっかり忘れていて、こんな立派なお寺だったのだと再認識しました。
時間はまだ早かったのですが、山を上り下りしたので、ここからJR新野駅に向かい
帰路につきました。