ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

仙石原すすきを見に行く

2011-10-25 22:56:06 | 田舎者の関東発見記

10月17日
この日は何と私の運転で!!箱根に行ってきました
強力晴れ女のMOさんとMAさんの3人で行きました。
なので、何日か前からついていた天気予報の雨マークは前日には見事に晴れマークになっていました。



まず、箱根湿生花園へ。


ここでも、ススキがきれいでした。




この時期、花は少なかったのですが
それでもリンドウの花や



トリカブトなどが咲いていました。  



そして、仙石原のすすきを見に行きました。
以前に箱根湿生花園に行った時は、車で通り過ぎただけだったので
いつか行って見たいものだと思っていたのでした。



晴れ女二人のお蔭もあって、この青空!!!
ああ、ありがたや、ありがたや~~


ススキの穂が銀色に光ってとてもきれいでした~~。
こういう景色が見たかったのです。
ああ、嬉しい。
堪能しました。









道端には、ナギナタコウジュや



センブリの花も咲いていました。   



ススキの原っぱをゆっくり散策した後
御殿場のプレミアムアウトレットに行ってみることにしました。
三人とも行くのは初めてです。
期待は大きかったのですが
買い物があまり好きではなくブランド物に全く興味が無かったため
見るだけ~~でした。
う~~ん、やっぱり虫がいて花が咲いている所とかの方が良いかな~。
COACHのバッグとか言われても
「高知のバッグ」かと思う輩だし・・・・徳島だし。
50%OFFの上に、まだ30%OFFのチケットをくれたので
ええ?それじゃ~全部で何%引きなの?





百草園に行く

2011-10-23 21:49:03 | 田舎者の関東発見記
10月11日
八王子の友達Tさんと、百草園に行きました。
Tさんも私も体重の増加が気になるお年頃で、まあ・・・無駄とは思いますが
そんで、気休めとも思いますが一応、カロリー消費狙いで歩くことになりました。

高幡不動駅集合で
高幡不動をお参りした後、丘陵地帯を上って百草園に向かいます。
百草園のホームページに載っていた散策コースの通りに行く事にしました。


高幡不動から京王百草園までの絵地図


高幡不動さんは平地にあります。
そこから百草園に行くには、かなりな坂を上りました。
ちょっと息切れがするくらいです。
これは負荷がかかって良い運動になっているのではないでしょうか



途中で道が分からなくなったのですが、親切なおじさんに道を教えてもらいました。
Tさんと歩くといつもおじさんに親切にされるように感じます。
Tさんはおじさんに人気があるようです。


百草八幡神社





百草園 松連庵




松連庵のぬれ縁にカマキリが。




百草園は今の時期、花も少なく、それで人も少なく
寂しい感じでした。
意外と早く百草園に着いてしまったので、これからどうするか協議の結果
土方歳三の生家に行ってみる事になりました。


百草園の駅から電車で高幡不動まで戻り、そこからモノレールで万願寺駅へ
・・・行ったのは良いのですが
あちゃ~~~
何と土方歳三の生家にある土方歳三資料館は

毎月第1、第3日曜日:12時~16時だけしか公開されていなかったのです・・・ 


土方歳三さんの生家
個人のご自宅の一部を土方歳三資料館として公開されています。




なので、仕方なくすごすごと退散し、
せめて、お墓の方に行ってみることにしました。





お墓のあるお寺まで歩きながら、気が付いた事があります。
なんと、このご近所は、土方さんだらけです。
あっちもこっちも土方さん、土方さん、土方さん。


お寺には土方歳三の記念碑が。





そしてお墓にもお参りすることができました。
しかし、このお墓は土方さんを埋葬した墓ではなく供養の為に作った墓なのだそうです。


帰り道、ニラの白い花にウラナミシジミが来ていました。





目黒川緑道が気になって・・・

2011-10-21 23:39:49 | 田舎者の東京発見記

大山街道歩く会で、赤坂御門跡から用賀まで歩いた時、お昼の休憩をした
目黒川緑道が気になって
後日(10月1日)主人と二人で池尻大橋から目黒川緑道を歩いてきました。
(え~・・・もう20日も前の事?また、さぼってしまった)




何が気になったかと言うと、それはトンボです。
大山街道を歩いた日は
作り物の川であるにもかかわらず、アキアカネがたくさん飛んでいたからです。
本当に何匹もわらわら飛んでいて
しかも手に乗りました。
棒の様なものの先にとまりたがるようです。
トンボじゃなくて指にピントが合ってますね



と言うわけで、この日もトンボが見られるかと思って行ったのでした。


が、トンボは見当たりませんでした。
いつもいつも、そこにいるとは限りませんね・・。





とりあえず、この緑道がどこまで続いているのか、歩いてみることに。





このせせらぎの水は下水の再生水なのですね。
再生水が停止する事もあるので水が流れなくなる事もあるのですね。
当たり前だけど、この水は飲料水には適さないという事ですね。
ふむふむ。


道が二つに分かれていました。



どっちでも良いけど、何となく左へ行く事に。

緑道は途中から流れが消えて、暗渠になってしまいました。
この下を川が流れている・・らしい。




緑道沿いには、こんなカッコいい昭和風の家屋がありました。





緑道は、その後、流れが突然現れたり
また地下にもぐってしまったりでした。
今日のところは、松陰神社に寄ってから、東急世田谷線で三軒茶屋まで戻り
帰る事にしました。



松陰神社

吉田松陰のお墓がありました。
が、しかし!!
吉田松陰のお墓はいくつあるのでしょう???
確か、bikkiさんの下町ツアーの時に吉田松陰のお墓があったように思いましたが。

と思って調べてみたら
ここ松陰神社のお墓が正真正銘、吉田松陰が眠るお墓だとわかりました。
小塚原回向院の墓は現在は墓石のみだそうです。
斬首された遺骸を弟子たちが取り戻し葬りました。
それを後に小塚原回向院から改葬したのが松陰神社内のこの墓なのだそうです。





東急世田谷線の松陰神社前の駅は
ちんちん電車の駅みたいな感じで・・・



やがてやってきた電車もちんちん電車が2台連結したみたいな可愛らしい電車でした。
ローカルな感じでgoodです。



かわいい電車です。

ご近所大農場地帯

2011-10-09 21:45:29 | 川崎市

イラストがとっても可愛いYokomanさんのブログに
川崎市のはずれにあるらしい大農場地帯  の記事が載っていたので、
私もさっそく見に行ってきました。
住所でいうと川崎市高津区久末のあたりです。



Yokomanさんのブログどてっこ通信 



だいたいの位置はわかったので、といあえず野川までバスで行くことに。
そこから、地図を見ながら歩くことになります。
大農場地帯を求めて彷徨う~~~~


何だかよくわからない細い坂道をふうふう上っていくと・・・・・



うわぁぁ~~~~~
                                            

畑だぁ~~~~
ひろ~~~~いなぁ




おおおぉぉぉ~~~~~ぜ~~~んぶ畑





前を見れば畑
後ろを見れば住宅地



↓の写真では
右は川崎市
左は横浜市です。


川崎市では市街地、横浜市では市街化調整地域?になっているからでしょうか。
市の境で見事に分かれています。






あっちの方に見えるのは、武蔵小杉の駅前の建物だと思います。
写真ではよくわからないと思いますが、向こうに見える家はこの畑のある斜面の向かい側の
丘の上にあります。
いくつもの丘と谷が複雑に入りこんでいます。
そして丘の上はなだらかな平地になっていて畑が広がっていたのです。





ああ、びっくり
     
急峻な山ばかりの徳島県の民には驚きの光景でした。
Yokomanさんのお蔭で見つける事ができました。
ありがとうございま~~~す

宅地化が進む横浜市ですが、まだこんなに畑が広々と広がっている所があったのですね。
大農場地帯なんて書くと北海道の人には笑われるだろうけど
ご近所では堂々のNO.1なのです~~

大山街道を歩く

2011-10-07 11:48:26 | 大山街道
大山街道とは江戸赤坂御門を起点として、大山阿夫利神社までの道です。
江戸時代中期に庶民のブームとなった大山詣での道として盛んに利用されていました。
その大山街道を8回にわたって歩く会に参加することにしました。

9月26日はその第一回目で、赤坂御門跡から用賀までの約12キロを歩きました。
25名ほどの参加者に3人の指導員がついてくださいました。
参加者の方はほとんど私よりは年上でしたが皆さん健脚で、とてもかなわないなぁと感じました。
日ごろから鍛えてらっしゃる方が多い様でした。


大山街道 ①



集合場所の半蔵門線永田町の駅を出ると
あら~~、あら~~都会だわ~。

でも大丈夫
大山街道を歩く会の人が旗を持って待っていてくださいました。





あら~、あの高い建物は何かしら??
(家に帰ってから、これが赤坂プリンスホテルだと知る、取り壊すなんて勿体ないなぁ)





ここが、赤坂御門跡です。
江戸城の石垣が残っていました。
ここが大山街道の起点です。
さあ、頑張るぞ




アキアカネがいました。




赤坂御門跡から、今来た道を戻って豊川稲荷に向かいます。
弁慶橋と弁慶堀





豊川稲荷です。



豊川稲荷から、大通り(246号)を渡って反対側に行きます。
少し戻って脇道に入ります。

牛啼き坂です。
荷を運ぶ牛が啼くほどの急坂だったらしいのですが
今は、そんなに急な坂ではありません。
丘陵地帯に住む者にとっては何だ?坂か?くらいなもんです



牛鳴き坂を登って大山街道は尾根道を進む事になるそうです。
なので弾正坂、薬研坂など、大山街道から見ると下り坂があります。


脇道から再び246号に戻ります。
右に赤坂御用地を見ながら道なりにしばらく進みます。



高橋是清翁記念公園に着きます。



更に2464号を進みます。




神宮外苑の銀杏並木が見えてきました。
去年、黄葉の頃に来ましたが、今はまだ葉が青いです。
?ちょっと剪定し過ぎではないでしょうか??
てっぺんの方が細すぎに感じるのですが。







梅窓院の入り口

梅窓院の境内には徳川家康からの家臣、青山氏の12代にわたる墓石があるそうですが
中には入れませんでした。
青山という地名は領主青山氏に由来すると言われているそうです。








善光寺
家康が長野の善光寺から勧請して谷中村に建てた物をこの地に移したのだそうです。




善光寺の彼岸花 
 
                                    







国連大学
この大学の中は治外法権なのだそうで
「相棒」のネタに使えないかなぁなんて、一人妄想






御嶽神社入り口
こんな所に神社が?という所にあります。
この階段を上って建物の2階部分?が神社となっています。




宮益坂を下り
渋谷の駅を通り過ぎ、道玄坂を上ります。


道玄坂の碑
大和田道玄という山賊の親分がこの坂の名の由来だと言います。





今度は大坂を下ります。
大坂バス停のあたりから右に入る坂道を下ります。
山の手通りを横切り、今度はまた上ります。


上った所にあるのが上目黒氷川神社
この神社の上り口に大山街道の道標があります。





246号に再び戻り進みます。

目黒川緑道
目黒緑道は私の様な田舎者には何とも不思議な緑道です。
暗渠になっている目黒川の上を作り物の下水処理した水を流した小川が流れているのです。
下流は暗渠になっておらず、春に桜並木を見に来た、あの目黒川です。

ここで、お昼の休憩となりました。





246号から脇道に入り旧道を進みます。


以前にbikkiさんの下町ツアーで行った事のある名倉医院の分院?がありました。
由緒ある接骨院です。


千住探検




池尻稲荷の入り口には大山街道の碑がありました。
池尻稲荷の境内には枯れずの井戸があり、大山街道を行く旅人ののどを潤したとの事です。
今でも枯れずに井戸は残っていますが
飲用には適さないようです。




246号に戻ります。
田園都市線三軒茶屋駅を出た所に不動尊の道標があります。
ここから世田谷通りを行きます。
大山街道は三軒茶屋から上町線と新町線(桜新町を通る)の二本に分かれますが
この日は旧道の上町線を行きます。





世田谷通りを進んで行くと
大吉寺があります。







大吉寺を過ぎて左に行き、世田谷病院の交差点で右に行くと
ボロ市通りです。
ボロ市は毎年1月と12月にあるそうです。



代官屋敷
江戸時代に彦根藩世田谷領の代官を務めていた大場家の住宅。
世田谷区の郷土資料館もあります。










桜小前交差点を左に入り、弦巻(つるまき)商店街を行きます。
商店街??
「商店街」と書いた看板が道筋に並ぶ街灯についていますが
商店があまりありませんが・・。




小さな公園の中に、大山街道 旅人の像があります。






弦巻4丁目交差点 庚申塔




大山街道追分
ここで三軒茶屋から分かれた新町線と合流します。




あともう少しで今日の終点、用賀です。
疲れました~~。



真福寺
赤い門です。





そして用賀にたどり着きました。
大山街道を歩く会の第一日目の行程はここでお終いです。
ああ、足が疲れました。
足の裏がどんよりしていました。
疲れました


これから一か月に一回のペースで大山まで歩くことになります。
予定では来年の3月か4月に大山まで行く事になっています。
牛鳴き坂とか道玄坂とか大阪とか
都内の坂は坂と言っても標高差は20メートルくらいです。
これから丘陵地帯に入って越える坂は40メートルも50メートルもありそう・・
ついて行けるのか不安ですが
頑張ってみます


この日歩いた所の地形図です。
赤坂御門からひと山越えて渋谷の谷に入り
またひと山越えて目黒川の谷におりて用賀までゆるい坂を上った
という事の様です。