ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

大山街道⑥海老名から愛甲石田

2012-05-29 15:26:38 | 大山街道

大山街道⑥が無い事に気づきました。
すっかり忘れていた様です。

1月22日
海老名から愛甲石田まで歩きました~。



大山街道⑥海老名から愛甲石田


相模川にかかるあゆみ橋が工事中でした。




川沿いの道を上流に行くと厚木の渡しの碑があります。




大きな通りに出て、厚木東町郵便局方面に歩きます。
この郵便局の裏側にある厚木神社あたりが昔の厚木の中心だった様です。


大きな通り県道601号沿いには
この様な光景が見られます。


シャッターに昔の宿場町の様子が描かれているのです。
厚木東町商店街シャッターアート












しかし、シャッターが閉まっている時しか絵は見られないので・・・・
店が開いている時は見られないと思うのですが・・・
いったい、どうなっているのでしょうか?
お店はもう営業していないと言う事なのでしょうか????




黙々と大山を目指して歩いたものでした。
今となっては懐かしいです。


大山街道⑧ 大山登山

2012-05-17 22:16:56 | 大山街道
去年の9月26日から始まった「大山街道を歩く」も、いよいよ最後となりました。

前回、2月29日
大雪の中を愛甲石田から大山ケーブル行きのバスの終点まで歩きました。

5月16日、今回は大山ケーブル行きのバスの終点から歩き始めることとなりました。


こま参道を行き、ケーブルカーの駅へ
ああ、良かった、ケーブルカーで登るのね



大山阿夫利神社下社はモミジの青葉がとってもきれいでした!





シカが飼われているのですね。
大山でもシカ害がすごいらしいですが・・・・。





下社拝殿にお参りして、





左手にある階段から大山頂上に登りはじめます。
・・・・・階段
きつ~~~~~っっ
先が思いやられます。
既に後悔が始まっていましたが、見栄を張って平気なふり


道沿いにはマムシグサか、その仲間の様な植物がたくさんありました。
アミガサタケの様なキノコもあったりして
上り坂の苦しい中にも嬉しい時もあったりします。





そのうちに、そんな元気もなくなるくらい、キツ~~~~~イ坂が続きます。
皆、物も言わずにひたすら登ります。
夫婦杉で少しだけ休憩。





ガイドの先生が、今何丁目です、とか何とか言うので
何合目と同じかと思って
9丁目ですと言った時に、ああ、やれやれもう少しなんだなと思いました、愚かにも。


・・・・28丁目まであるらしい・・・・・


皆、元気ですね~~。
ちょっと待ってくださいよ~





あともう少し、もう少しです
と言われてから随分登りましたけどまだですか?
下りてくる人たちにも
もうすぐ頂上です頑張って・・・なぁ~んて言う言葉に勇気づけられながら(騙されながら?)
何とか頂上まで登る事ができました
はっきり申し上げてワタクシの能力以上のシゴトをしました。
ええ、私は私を褒めてやりたいです



大山の頂上は霧が出て視界ゼロ
な~~~んも見えません。






お昼の休憩の後、山を下りましたが
ま~~、下りるのも大変~~~
皆、下りるのが早くて、うかうか呑気に花の写真など撮っていると
すぐに姿が見えなくなってしまいます。


(登った道を下りるのかと思ったら見晴台経由の道を下りたらしい)


そんなこんなで、必死に皆の後を追いかけます。


大山の肩の手前あたりでは、バイケイソウかコバイケイソウみたいなものも
見えましたが、素通りです。
見るだけ~~~、いそがないと追いつけません



やがて晴れ間がのぞいてきました。
木の間から下の景色が見えるようになってきました。





下りの道は続く・・・・・





所々に
ここは死亡事故が起きました、注意してください
とか何とか書いてあります。
チェーンとかが張ってあります。
そ、そんなに危険な道なのですね・・・・


下を覗くと深い谷で
クラクラします。






二重の滝
あと少しで下社に着くらしい






と言うわけで、やっとこさ、皆の後に着いて下山する事ができたのです。
ああ、疲れた疲れた
へとへとです。
まあ、よく登って下りてこられたものだと思いました。
今日は一日、太ももが痛かったです。
無理をしたものです。

やっぱり、もうちょっと体を鍛えなければなぁ~~~
と思いました。



雪中行軍かも・・・・

2012-03-03 22:02:18 | 大山街道
2月29日
南の生まれ育ちの私にとっては「大雪」の日でした。
この日、大山街道を歩く会の6回目、愛甲石田から大山行のバスの終点まで歩きました
自分では充分雨対策をして出かけたつもりでしたが
靴が濡れて足がびしょびしょになってしまいましたし
リュックもビニールをかぶせていたのですが濡れてしまいました。




関東では珍しい「大雪」(積雪があればワタシ的には大雪認定とします)
何だかやたらデカいぼたん雪が降る中を
愛甲石田から歩く歩く歩く・・・・


雪が解けた水で増水したのか茶色久濁った水がとうとうと流れる川を見ながら
歩く歩く・・・





お昼近くまで、雪は降り続きました。
すっかり雪が積もっています。






咲き始めた河津桜も寒そうです。





雪がシャーベット状になったぬかるんだ道も
気にせず歩く歩く






お昼過ぎからは雪もやみ、小雨になりましたが
最後まで気温が低く寒い一日でした。
愛甲石田から、大山行のバスの終点まで歩くことができました~~

大山街道⑤鶴間から海老名

2011-12-28 12:02:01 | 大山街道

12月21日(水)
大山街道を歩く5回目、鶴間から海老名まで歩きました。
朝9時に鶴間駅に集合した時は曇りで寒かったのですが
午後からは晴れてお天気も良くなりました。


大山街道⑤鶴間から海老名


鶴見駅から旧国道246号を進みます。
やがて泉の森公園の看板がありました。
大山街道からは一旦はずれて泉の森公園へ寄りました。





泉の森公園は下草のアズマネザサが刈られて手入れがされて
気持ちの良い公園でした。
池や古墳などもある公園で、また今度ゆっくり歩きに来てみたいと思いました。


再び旧国道に戻り、大和斎場入り口で右の道に入ります。
国道246号は横断歩道が無く、回り道をして横断します。

それからは3キロほど、まっすぐに歩きます。
パブコの工場を過ぎた辺りの大きな欅のある動物病院のわきの細い道を上がると
富士塚跡の庚申塔があります。
富士塚との事で期待して行きましたが、「跡」なので富士塚は無く
ただチョコンと庚申塔が残されていただけでした。

再び元の道に戻り、少し行くと
渡辺崋山ゆかりの道の看板があります。
その脇道を入ります。
大山街道からそれて、お銀様のお墓への道を進みます。

さて、渡辺崋山とは誰なのか?
江戸時代後期の武士、画家。
三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった人です。
渡辺崋山は江戸から大山街道を下り、お銀様を探す旅に出ました。
お銀様とは藩主三宅友康の子、友信を生んだ侍女です。
渡辺崋山は友信の実母を訪ねる旅に出たのでした。
渡辺崋山は「遊相日記」にその旅を綴っています。
って、書きましたが説明を聞いて、は~、そうですか
とは思うものの、イマイチ渡辺崋山を知らなかったので感動は薄いのでした


旧国道246号を横断し、なおも進むと、山道に入ります。
ここが、東海古道の残された山道です。




地蔵堂を経て、お銀様の墓に行きます。

お銀様の墓から引き返して再び旧国道246号の望地の交差点まで戻ります。
ここから坂を上る道に入ります。
旧246号沿いの昔の道をたどるのであっち行きこっち行き・・な感じです。

東国分の交差点に逆川の碑がありました。
大化の改新の頃に造られた最古の運河の跡だそうです。
目久尻川を堰き止めて、低い方から高い方に水を流していたので
逆川と呼ばれていたのだそうです。

逆川の碑から右の道の方を進みます。
やがて、相模国分寺跡に着きます。

相模国分寺跡から、少し進むと、大きな欅の木があります。
神奈川県の天然記念物に指定されている欅です。
樹齢は560年以上との事。
何でも昔はこの辺りは海で漁師が舟をつなぐ杭から芽が出て枝が茂った
という伝説が残っているそうです。





大欅の横の道を入ると、現在の国分寺にたどり着きます。

高いビルの横に薄ら見えるのが、大山です。





国分寺から再び旧国道246号に戻り、そのまま海老名駅前まで歩きます。
海老名駅前のショッピングセンターの庭の中には
かつてあったと言う相模国分寺の七重の塔の三分の一のモニュメントがあります。


次回は海老名から愛甲吉田まで歩きます。
大山も近くなりました。


大山街道④ 青葉台から鶴間

2011-12-15 12:38:21 | 大山街道
11月30日
大山街道を歩くの4回目 青葉台から鶴間まで歩きました。
この日は気温が上がり、暑いくらいでした。
何と19度にまで上がったのでした。
厚着をしていった私は次々に上着を脱いでいく事になりました。
春霞の様に空がかすんで、この日は大山を見ることはありませんでした。


大山街道④



朝、9時に青葉駅に集合。
駅前のイチョウが綺麗に色づいていました。





青葉台駅から国道246号方面に向かって南下します。
国道の手前で脇道に入ります。
片町交差点までは、だいたいはこの246号に沿った脇道を歩くことになります。


片町交差点を渡って、すぐに右に入る道があります。
これが大山街道で長津田の町まで続いています。


長津田駅の南口入り口交差点を左に曲がると大林寺です。
大山街道をはずれて大林寺に寄ります。
長津田には「長津田十景」と言うものがあり
その一番目がこの大林寺の「大林晩鐘」です。
だいりんばんしょうって何?
夕暮れ時の大林寺の鐘の音って事で良いのでしょうか。


夕暮れ時じゃないですけど大林寺の鐘




最近ではコウテイダリアがあちこちのお家の庭で普通に見られるようになりました。

この大林寺でも        

大山街道に戻り、大石神社に向かいます。
大石神社から旧道に入り、長津田の交差点で国道246号に出ました。
そこから馬の背の道を通るとすずかけ台の駅が見えました。
高台の尾根道になっていますので遠くまで見通すことができました。


馬の背にいたアキアカネ





また国道246に戻り町田市辻交差点から少し行った所で左の道に入ります。
ここらへんは町田市と横浜市の境が複雑になっているらしく
歩いていても住所の表示が町田市になったり横浜市になったりでした。


圓成寺で一休み。





目黒交差点で国道246号を渡り境川を渡って
観音寺に行きます。
大きな銀杏の木は樹齢400年ほどだそうです。





下鶴間ふるさと館の入り口の写真
昔の下鶴間宿の様子
大山街道の宿場町はこんな感じだったのですね~。





旧国道246号を通って鶴間駅へ到着
した頃にはすっかり疲れていました
大山まではまだまだ長い道のりですが、到達できるのか・・・心配です。
他の参加者の皆さんは平気でどんどん歩いていますから。
私はついて歩くのが精一杯です。
歩き始めは元気なのですが行程も中ごろを過ぎるとくたくた。
でも

大山街道③ 鷺沼から青葉台

2011-12-15 12:37:52 | 大山街道
大山街道を歩く
三回目は鷺沼から青葉台まででした。
11月16日 水曜日 とっても良いお天気でした。

・・・と書いてからもう一月になります。
またまた更新をさぼっていました。
最近では出かけても、出かけるだけで精いっぱいで
あ~~、やれやれちょっと休もう・・・みたいな感じで一か月。

休みすぎでした


大山街道③


9時半に鷺沼駅集合

みずほ銀行の横の道から坂道を下りていきます。
この坂を八幡坂と言いますが、今は八幡さんはありません。
八幡坂が国道246号との交差する所に阿弥陀堂があります。

246号を渡って右に少し行った所に馬頭観音があります。
ここから上り坂となります。
阿弥陀堂から桜公園のあたりまで斜めに大山街道が走っていたのですが
区画整理で元の道筋はなくなってしまったとのことです。
馬頭観音もこの昔の道筋に沿って桜公園のあたりにあったとの事でした。

さくら公園のあたりは峠になっていて標高が一番高くなっています。
峠を越えると横浜市になります。
川崎市側は住宅地、道を挟んで横浜市側はみかん畑になっていて一目で市境がわかりました。

うとう坂、血流れ坂と下り坂になります。




血流れ坂のあたりから、遠くに大山が見えました。
赤い矢印の左は大山、右は分かりにくいのですが富士山です。





                    
                  (地下鉄なのに↓)
坂を下ると、広い道路を渡り、横浜市営地下鉄の鉄橋の下!!!を通り
不動の滝へ。
以前も来たことがあるのですが、その時よりも滝の水が少なくなっている気がしました。
ちょぼちょぼと水が流れ落ちています。

早淵川を渡り、川のほとりの庚申堂へ。
ここは荏田宿の下宿だった所です。


大山街道からは外れて、真福寺へ行きました。
真福寺は昔は荏田の上宿にあったのだそうです。


真福寺の大カヤ




荏田宿を過ぎ、荏田駅に着きます。
荏田駅からはしばらく線路沿いに進みます。
そして地蔵堂方面に向かう右の道を行きます。
地蔵堂を抜けて、大山街道からはずれて、市が尾遺跡公園に寄りました。


横穴古墳群は生田緑地の中にもあります。
もしかしたら同じような物かも知れませんが、中に入る事が出来る様には整備されていません。
なので、このように横穴古墳を見ることができたのは初めてです。
中に入れちゃいます。
何基もあります。
すごいです。






市が尾遺跡公園の高台から大山を見ることができました。
まだまだ遠いです。




再び大山街道に戻ります。
猿田坂を下ります。

坂を下りた畑の生垣にムベの実がたくさんが実っていました。




谷本川を渡り、柿の木台、藤が丘ゴルフ場横の坂道を上ります。
藤が丘地区センターで休憩しました。
藤が丘地区センターにはヒマラヤ桜があります。
ヒマラヤ桜は11月から12月に花を咲かせます。
そろそろ花が咲いているかなと期待しましたが、まだまだの様でした。


青葉台駅に着いた時にはもう、くたくたになりました。


11月の中ごろ
まだ紅葉が始まった頃でした。



大山街道を歩く ② 用賀から鷺沼

2011-11-10 21:26:24 | 大山街道

「大山街道を歩く」の2回目が10月25日ありました。

先日、永田町から用賀まで歩いたばかり・・と思ったのに、もう一か月がたったのですね。

この日は用賀から鷺沼まで歩きました。 用賀を9時半に出発しました。良いお天気でした。

大山街道②

 

 

 田園都市線用賀駅を元気に出発。風があって冷たい。

 用賀駅前から都道427号線を瀬田交差点方面に歩きます。   

      

 延命地蔵さん     

今では珍しくなったお風呂屋さんがここにも。

瀬田交差点から脇道に入ります。住宅地の中の道を行きます。

 ここで、宅急便の自転車を初見。自転車で配達しているのを見たのは初めてです。

 都内では普通なのでしょうか?

 

やがて、行善寺に着きます。

行善寺は崖線の上にあります。寺の裏側にまわると、開けて見晴らしの良い場所があります。

遠くに大山が見えます。

私たちはこれから大山まで歩こうとしています。まだまだ、あんなに遠いのですね。

 

 

行善寺から崖線の坂道を下ります。坂の途中に法徳寺に上る行灯坂の上り口が見えました。

 

 

坂を下りると、丸子川にかかる小さな橋、調布橋があります。

橋を渡って左に進むと大山街道の道標があります。 

     

道標のある所から右に脇道に入ります。

住宅地の細い道を抜けると、いきなり二子玉川駅の東口側の再開発されて

すっかり綺麗になったバス停あたりに出ました。

あら~~~~・・・都会

 

 

バス停のある広場を抜けて多摩川堤通りを渡ります。そこは正に多摩川堤でした。 

昔の堤防です。

堤防が切れている所があって、そこから川側にあった屋形船の店や料亭などに行っていたそうです。

 昔、二子玉川は郊外にあるちょっとした人気の観光地でどうしても川が見える風景が料亭には必要で堤防で遮ることを反対たのだそうです。

結果、船宿や料亭は堤防の外側になったのだそうです。 

それで、その通り道がおの切通しなのだそうです。

 

 

 

突き当りまで進み、右に曲がってすぐの所に二子の渡しの小さな碑があります。       

言われないと見過ごしてしまいそうな何気なさです。

 

ここから兵庫島に向かい、しばし休憩。

この二子橋ができたのは大正14年思いのほか古い橋だったのですね。 

しかし昔の橋のままではなく補強工事がなされています。 

橋げたの数が多いのが特徴だそうです。

  

 

二子橋を渡って神奈川県に入ります。いよいよ地元です。

二子新地から溝の口までの大山街道は歩道のない二車線の道路で交通量も少なくはないので注意しながら歩きました。

田中屋呉服店、稲毛屋金物店など、昔風の建物が何軒か残っていて宿場町らしさも偲ばれます。

 昔からの薬屋。灰吹屋です。

 

大山街道ふるさと館でお昼休みとなりました。

まだ半分ほど行程が残っています。午後からも頑張って歩きます。

溝の口神社と夫婦銀杏

 

 

溝の口駅近くのJRの踏切近くにある片町の庚申塔                                                                                                       左はねじもり坂。 

溝の口は多摩川から続く平地ですがここから丘陵地帯になります。                                                                                                 

  

子育て地蔵さん

 

宮崎の大塚

墳墓なのか何なのか何時の時代の物なのかも分かっていない塚

                                 

宮崎の大塚から再び大きな通りに戻ります。

ここから坂道を下りますが、坂の上からは大山が見えました。     

 

 

このへんで、もう疲れてきました~~。

最初は頑張って張り切って写真とか撮っていましたがついて歩くだけでもシンドイです。

ここから坂を下りると宮前平駅に出ました。 

宮前平駅から再び小台坂を上ると鷺沼です。 

坂を上ったり下りたりです。

 鷺沼駅前で解散となりました。10キロ程の行程でしたが坂があったので疲れました。                                              

次回は鷺沼駅から青葉台駅までです。  


大山街道を歩く

2011-10-07 11:48:26 | 大山街道
大山街道とは江戸赤坂御門を起点として、大山阿夫利神社までの道です。
江戸時代中期に庶民のブームとなった大山詣での道として盛んに利用されていました。
その大山街道を8回にわたって歩く会に参加することにしました。

9月26日はその第一回目で、赤坂御門跡から用賀までの約12キロを歩きました。
25名ほどの参加者に3人の指導員がついてくださいました。
参加者の方はほとんど私よりは年上でしたが皆さん健脚で、とてもかなわないなぁと感じました。
日ごろから鍛えてらっしゃる方が多い様でした。


大山街道 ①



集合場所の半蔵門線永田町の駅を出ると
あら~~、あら~~都会だわ~。

でも大丈夫
大山街道を歩く会の人が旗を持って待っていてくださいました。





あら~、あの高い建物は何かしら??
(家に帰ってから、これが赤坂プリンスホテルだと知る、取り壊すなんて勿体ないなぁ)





ここが、赤坂御門跡です。
江戸城の石垣が残っていました。
ここが大山街道の起点です。
さあ、頑張るぞ




アキアカネがいました。




赤坂御門跡から、今来た道を戻って豊川稲荷に向かいます。
弁慶橋と弁慶堀





豊川稲荷です。



豊川稲荷から、大通り(246号)を渡って反対側に行きます。
少し戻って脇道に入ります。

牛啼き坂です。
荷を運ぶ牛が啼くほどの急坂だったらしいのですが
今は、そんなに急な坂ではありません。
丘陵地帯に住む者にとっては何だ?坂か?くらいなもんです



牛鳴き坂を登って大山街道は尾根道を進む事になるそうです。
なので弾正坂、薬研坂など、大山街道から見ると下り坂があります。


脇道から再び246号に戻ります。
右に赤坂御用地を見ながら道なりにしばらく進みます。



高橋是清翁記念公園に着きます。



更に2464号を進みます。




神宮外苑の銀杏並木が見えてきました。
去年、黄葉の頃に来ましたが、今はまだ葉が青いです。
?ちょっと剪定し過ぎではないでしょうか??
てっぺんの方が細すぎに感じるのですが。







梅窓院の入り口

梅窓院の境内には徳川家康からの家臣、青山氏の12代にわたる墓石があるそうですが
中には入れませんでした。
青山という地名は領主青山氏に由来すると言われているそうです。








善光寺
家康が長野の善光寺から勧請して谷中村に建てた物をこの地に移したのだそうです。




善光寺の彼岸花 
 
                                    







国連大学
この大学の中は治外法権なのだそうで
「相棒」のネタに使えないかなぁなんて、一人妄想






御嶽神社入り口
こんな所に神社が?という所にあります。
この階段を上って建物の2階部分?が神社となっています。




宮益坂を下り
渋谷の駅を通り過ぎ、道玄坂を上ります。


道玄坂の碑
大和田道玄という山賊の親分がこの坂の名の由来だと言います。





今度は大坂を下ります。
大坂バス停のあたりから右に入る坂道を下ります。
山の手通りを横切り、今度はまた上ります。


上った所にあるのが上目黒氷川神社
この神社の上り口に大山街道の道標があります。





246号に再び戻り進みます。

目黒川緑道
目黒緑道は私の様な田舎者には何とも不思議な緑道です。
暗渠になっている目黒川の上を作り物の下水処理した水を流した小川が流れているのです。
下流は暗渠になっておらず、春に桜並木を見に来た、あの目黒川です。

ここで、お昼の休憩となりました。





246号から脇道に入り旧道を進みます。


以前にbikkiさんの下町ツアーで行った事のある名倉医院の分院?がありました。
由緒ある接骨院です。


千住探検




池尻稲荷の入り口には大山街道の碑がありました。
池尻稲荷の境内には枯れずの井戸があり、大山街道を行く旅人ののどを潤したとの事です。
今でも枯れずに井戸は残っていますが
飲用には適さないようです。




246号に戻ります。
田園都市線三軒茶屋駅を出た所に不動尊の道標があります。
ここから世田谷通りを行きます。
大山街道は三軒茶屋から上町線と新町線(桜新町を通る)の二本に分かれますが
この日は旧道の上町線を行きます。





世田谷通りを進んで行くと
大吉寺があります。







大吉寺を過ぎて左に行き、世田谷病院の交差点で右に行くと
ボロ市通りです。
ボロ市は毎年1月と12月にあるそうです。



代官屋敷
江戸時代に彦根藩世田谷領の代官を務めていた大場家の住宅。
世田谷区の郷土資料館もあります。










桜小前交差点を左に入り、弦巻(つるまき)商店街を行きます。
商店街??
「商店街」と書いた看板が道筋に並ぶ街灯についていますが
商店があまりありませんが・・。




小さな公園の中に、大山街道 旅人の像があります。






弦巻4丁目交差点 庚申塔




大山街道追分
ここで三軒茶屋から分かれた新町線と合流します。




あともう少しで今日の終点、用賀です。
疲れました~~。



真福寺
赤い門です。





そして用賀にたどり着きました。
大山街道を歩く会の第一日目の行程はここでお終いです。
ああ、足が疲れました。
足の裏がどんよりしていました。
疲れました


これから一か月に一回のペースで大山まで歩くことになります。
予定では来年の3月か4月に大山まで行く事になっています。
牛鳴き坂とか道玄坂とか大阪とか
都内の坂は坂と言っても標高差は20メートルくらいです。
これから丘陵地帯に入って越える坂は40メートルも50メートルもありそう・・
ついて行けるのか不安ですが
頑張ってみます


この日歩いた所の地形図です。
赤坂御門からひと山越えて渋谷の谷に入り
またひと山越えて目黒川の谷におりて用賀までゆるい坂を上った
という事の様です。