ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

戦争は語り継げるのか

2006-08-05 12:03:23 | Weblog
昨日、婦人会の主催で戦争を語り継ぐ会というものがありました。
郡内の中学二年生も参加して戦争の体験談を聞き
すいとんと麦飯のおにぎりを食べました。

この軍服は中将さんの物だと言うことです。
この軍服の主は、戦犯として絞首刑になったそうです。
刑を受けるため故郷の人々に見送られ汽車に乗りました。
人々に「行ってきます」と挨拶して潔く行ったそうです。
その人の軍服が箱に入れられて大切に保管されていたのですね。
60年も前の物とも思えないほどでした。





戦争体験者の話の前に郡内の各町長の挨拶がありました。
たいてい、町長の挨拶と言うのは「挨拶」でしかありません。
しかし、今回のこの会の挨拶に関しては熱が入っていました。
平和に対しての熱意を感じました。

中学生達がそれを感じてくれたら良いのですが・・・。
最近の子供達は人の話を聞けないと言われています。
今回の会の進行にあたっても、中学生達が飽きてザワザワして
かっこ悪いことになりはしないかと言う危惧を現場の教師達が持っていたと
聞きました。
その話を一年半前まで中学生だった娘達にすると
娘が怒りました。
中学生をバカにするなと。
中学生だって真剣な話は真剣に聞くと言いました。
確かに・・・。
あ~~、難しい。

結果から言うと、話が聞けないのは中学生ばかりではないと言う事です。
居眠りしていた引率の先生もいた。
私語が平気なおばさんもいた(婦人会の人、もしかして私も??)

体験者の話で印象に残ったこと。
人は一人では死なない、死にたくないものだ
という言葉です。
その人は、何と、あの悪名高きインパール作戦の生き残りの人です。
多分、漁師町で魚をたくさん食べて育ったので
頑強な体だったから帰ってくることが出来たのでしょう。
次々と仲間が餓死していったそうです。
それでもインパール目指して死の行軍が続いたのですね。

死ぬ時は一人ポッチの時には死なない
誰かがそばにいるときに死ぬ
人は一人では死にたくないのだ
だから誰かそばにいるときに死ぬのだ
そう思ったそうです。