昨日に続いて「病気をよせつけない生き方」p174
「生物は自然によって生かされている」の中に紹介されていますが、
京大の人類学・生態学の権威 今西錦司博士がエッセイに書かれている、ある日、庭に咲いていた彼岸花に、蝶が飛んで来た時の話。
「彼岸花は、球根で増える植物だから、花粉を媒介してもらう必要がないのに、なぜ蜜を出すんだ」と先生は、不思議に思われたそうです。
西洋の生物学者ならば、「それは進化の名残」と説明されるかもしれないが、博士は、こう思われた。
「自然とは、もっと懐の深いもので、そんなエゴイスティックな自然ではない。自分に余力があるから、蜂たちに蜜を分けているのだ」
give- and- take だけではない、「ほどこし」
ひろさちや氏は「これは、まさに仏教でいう『布施』と同じ意味で、無償のプレゼントです。生き物は自然に生かされながら、お互いにプレゼントをし合って生きているということです。」と書かれています。
世間では「布施」の精神とは正反対の「自分さえよければいい」という事件が、またまた報道されています。
20日はお彼岸の入りです。
「生物は自然によって生かされている」の中に紹介されていますが、
京大の人類学・生態学の権威 今西錦司博士がエッセイに書かれている、ある日、庭に咲いていた彼岸花に、蝶が飛んで来た時の話。
「彼岸花は、球根で増える植物だから、花粉を媒介してもらう必要がないのに、なぜ蜜を出すんだ」と先生は、不思議に思われたそうです。
西洋の生物学者ならば、「それは進化の名残」と説明されるかもしれないが、博士は、こう思われた。
「自然とは、もっと懐の深いもので、そんなエゴイスティックな自然ではない。自分に余力があるから、蜂たちに蜜を分けているのだ」
give- and- take だけではない、「ほどこし」
ひろさちや氏は「これは、まさに仏教でいう『布施』と同じ意味で、無償のプレゼントです。生き物は自然に生かされながら、お互いにプレゼントをし合って生きているということです。」と書かれています。
世間では「布施」の精神とは正反対の「自分さえよければいい」という事件が、またまた報道されています。
20日はお彼岸の入りです。