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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「エンディングノート」 (2011 ビターズエンド)

2012-03-22 | 邦画

Endingnoteimg01 砂田知昭。

医者の息子として愛知県の田舎に生まれ、化学関係の会社に就職。営業マンとして四十数年を過ごし、役員となって退職。在職中は接待ゴルフや飲みのためにほとんど家庭を顧みず、退職後は妻との関係が微妙に。

子どもは三人。一男一女をもうけたあとに、“計算違い”で年の離れた二女が生まれる。長女と長男は結婚して幸せな家庭を築いているが、二女は三十をすぎてもまだフラフラしている。そんな彼がガンの宣告を受ける。まだ六十代。転移したガンは暴走を始める。

……普通の人の普通の人生。しかし違っていることがあった。二女が映画監督だったのだ。

その、おそらくは両親に溺愛されたであろう砂田麻美の第一回監督作品は父の生と死をひたすら撮り続けたドキュメンタリー。んもう泣いた泣いた。鶴岡まちキネに明るいうちに入ったのが間違いだった。目が真っ赤になってるものだから、出るのが恥ずかし-。

よそんちのホームムービーほど退屈なものはないけれど、父親の死を見つめる娘の主観で最後まで描かれる映像と、父親の立場で語られるナレーション(娘が語っています)が重なり、観客はまるで砂田家の一員のような気にさせられる。

それってドキュメンタリーとしては邪道だろ、という批判もあるだろう。でも、ドキュメンタリーの王道って何だよ。森達也の指摘を待つまでもなく、ドキュメンタリーは必然的に嘘をつくものなのであり、この作品はむしろ変な意味づけがうかがわれるつなぎがないフラットなつくりになっている。それでこれだけ泣かされるってのは……ひょっとしてこの監督はすごい天才なんだろうか。

わたしの母のときを思い出すまでもなく、ガン告知はまことに微妙な話で、誰もがある程度演技を行わなければならない。この作品でうまいのは、余命一ヶ月もないことを医者も家族も知りながら、父親にそれを告げずにおく描写だ。世の中は演技に満ちている。

にしてもみごとなキャスティング(ドキュメンタリーなのに)。戦後日本を背負ったサラリーマンらしく、ダンドリくんだった父親。彼は本音をビジネス用語を使ってしか開陳することができない。そして美しい妻を自立した人間として最後まで認めることができなかったのだろう。しかしそんなふたりがカメラ(=娘)を排除して死の床で語ったことは何だったか。うわー泣いた。泣いた泣いた。必見!

コメント (4)
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