事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「X-MEN ファイナル・ディシジョン」(’06)X-Men The Last Stand

2008-06-08 | 洋画

Ht_xmen1_060525_ssv  アメリカンコミック、通称アメコミの映画化作品は、日本ではあまり当たらないことになっている。例外は「スーパーマン」「バットマン」や「スパイダーマン」など、その名が日本人にかなり浸透している場合に限ると言われている。この法則はおそらく正しい。思いつくかぎり「デアデビル」「ハルク」「スポーン」あるいはメジャーな作品のスピンオフでも「スーパーガール」「キャットウーマン」などは、日本の興行界で、討ち死に状態だった。

 これは、仕方のないことだと思う。お好きな方にはたまらないであろうアメコミの、具象三昧、というかドライなタッチと説明的なセリフ(“Uhhhhh”とか“Woooow”とかの大げさな表現も含めて)は、実写化されるとなおさら違和感がある。

文化的鎖国状態のなかでいびつに発達した“MANGA”は、いつのまにか世界に冠たる存在になっている。漫画、あるいはアニメになじんだ日本人には、アメコミはやはりつらい。

でも、「X-MEN」シリーズは健闘している。1作目と2作目を監督したブライアン・シンガー(「ユージュアル・サスペクツ」は冴えていた)の切れ味鋭い演出や、1作目のときはチンピラだったヒュー・ジャックマンやハル・ベリーが思いきり大スターになったことも有利にはたらいたのだろう。

でも。

この3作目には言いたいことがある。(THE LAST STANDというツェッペリンぽい原題がありながら、何で「ファイナル・ディシジョン」なんて邦題がついたかはともかく)超能力を自分で制御できなくなったファムケ・ヤンセンを静めるために、ラストでヒュー・ジャックマンはある方法を使うんだけど、あんなバカなまねをして後悔するぐらいなら、なんでアレか、あるいは某少年の超能力を使わないんだっ!

これにはいっしょに観ていた息子も気づいたようで「あれは…………納得できないよねえ」楽しみにしていただけに残念がっていた。
でも、ごひいきファムケ・ヤンセンが大きくフューチャーされ(北欧系の白い顔にうっすら浮かぶ血管がセクシーです!)、わたし的にはすごく満足。ん?2作目のときも同じようなことを言っていた気がする。オヤジ成長せず。それから、エンドタイトルが始まっても絶対に席を立たないこと。

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自暴自伝~森高千里篇

2008-06-08 | 音楽

泉谷しげる篇はこちら

 これもまったく意外な話だけれど、村上秀一の「自暴自伝」で、森高千里はほぼ絶賛状態である。ポンタのアルバムにも、彼女はドラムソロのみで参加しているのだ。

俺、ドラマーとしてのチーさま(森高千里)を、冗談抜きで尊敬してるんだ。ドラマーって、かならずフィルの後の二拍目に“情”が入るもんなんだ。
「ドンツッタッタ(一拍目)、ドンツッタッタ(二拍目)、ドンツッタッタ(三拍目)、タカトゥンドンツッ(四拍目のフィル)、ドンツッ、バーン!」って、フィルの後の二拍目は思わず、気持ちが入って大きなアクセントをつけたくなってしまう。
 ところがチーさまは「ドンツッタッタ、ドンツッタッタ、ドンツッタッタ、タカタカタカタカ、ドンツッタッタ」っていうふうに、気分の高まりを絶対見せないで続ける。俺と林(立夫)とで「すげえな、おい……」って感心してたもん。真似しようったってなかなかできないよ、あれは。よっぽどハートのコントロールができてるんだろうね。
 チーさまのように独自のスタイルがあるというのは、本当の意味でいいドラマーだと思う。ドラムにかぎらず、俺たちより世代が下のミュージシャンって、チーさまみたいな“”がないんだよな……。

 音楽の素養がないわたしに、彼女のプレイなど評価できるはずもない。でも作詞家としては侮れないと思っている。「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」もすごいと思ったが、ポンキッキでおなじみのこの曲の詞をよく読んでみてほしい。

ロックン・オムレツ」/ 森高千里
作詞:森高千里 / 作曲:伊秩弘将

うちのママはパパと仲良し
ほんとめったに二人 ケンカをしない
そう秘訣はね 朝ごはんなの
ママが作る オムレツを
一度食べたら すきやきもしゃぶしゃぶも
とてもとても かなわない
オムレツ上手は料理上手さChisatom
そして料理上手は 愛情上手
パパもママには 愛され上手
パパが食べるオムレツは
どんな味かな チョコレート アイスクリーム
甘い甘い愛の味
ママが作る オムレツを
毎朝食べる そんなパパ そんなパパ
とてもとても 偉いパパ
パパは今朝もまたオムレツ食べる
そして毎朝毎朝オムレツ食べる
ママは厳しい 愛情上手
パパもなかなか 愛され上手

 娘が通った保育園のお遊戯会の演し物は、エプロンをつけてこの曲を踊るというものだった。照れながら踊る娘をビデオで撮りながら、わたしはほとんど驚愕していた。これって、マジでセックスの歌じゃないか(っていうか、夫婦関係の機微も鋭くついているわけだけど)!

 アイドルという場に安住できず、その反逆性がクールなルックスに隠されているという微妙さがオタクたちに受けている現実は、この詞一発で納得できる。いやー森高すごいわ。

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自暴自伝~泉谷しげる篇

2008-06-08 | 音楽

Izumiya01 ポンタが語る交友録。
前回の小林武史篇はこちら
今度は破天荒泉谷しげる篇。

基本的に、音楽のことはひとつもわかってない人なのよ。ひどい時なんか、半拍ずれたまま歌い通しちゃうんだもん。本番でだよ?「♪季節のない・町に・生まれ♪」って歌ってるのが、全部、半拍きっちりずれてる。ある意味天才的とも言えるね。

……泉谷についてはこんなものなのであろう(笑)。LOSERで組んでいたチャボの困惑が目に浮かぶ。デビュー当時は反体制フォークの土着性を強調するために、確か青森出身ということになっていた。でも、わりに照れ性なあたりは東京出身者のメンタリティそのものという気も。とりあえず一度は食わず嫌い王で勝ってほしいものだ。「褐色のセールスマン」は名曲。

 さて、もう一人、ポンタが絶賛するミュージシャンがいるのだけれど、これは次号で特集します。なんと、森高千里

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自暴自伝~小林武史篇

2008-06-08 | 音楽

Takeshikobayashi 村上“ポンタ”秀一交友録はつづく。
前回、矢野顕子篇はこちら
今回は小林武史篇。

今でこそ武史もMr.Childrenをプロデュースした大物だけど、当時は屈折しまくりの若造でさ。ほんと、飲んではよく吠えていた。中西康晴って陽水バンドのピアノが気に入らなくて「あんなきっちり弾いてるだけのピアノと、どうしていっしょにやらなきゃいけないんだ」って、大村憲司に向かって訴えてたもん。

……そんな屈折した若造がakkoをものにしてしまったのね。別に恨みごとを言っているわけではないのよ。別に怒っているわけでもないの。別に嫉妬をかましているわけでもないのよ!

と、いっている間にふたりは離婚してしまった。気を使わせてしまったんだろうか。

次回は泉谷しげる篇

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自暴自伝~矢野顕子篇

2008-06-08 | 音楽

Yano 大貫妙子篇はこちら。今回は矢野顕子篇。

70年代後半から80年代にかけて、つまりわたしが最も音楽を聴いていた時代、“現場”ではどんなことが行われていたか。ポンタの自伝は、誰よりも広範囲にそのことを教えてくれる。

なにはともあれ、変わったピアノを弾くやつがいるもんだ……というのが、アッコちゃんを見た時の第一印象だった。アッコちゃんがアコピで弾く小品なんか、ほんと絶品だったんだよ。矢野顕子のアコピに、坂本龍一がプロフェット5で弾くわけのわからないフレーズがからむと、他の誰にもまねのできない唯一無二の世界が生まれる。アッコちゃんと龍一のデュエットって、ほんと好きだったな。

……矢野顕子の離婚の顛末、そしてその後の坂本龍一、渡辺香津美の三角関係についてはわたしの仲間内で色々と語られたものだが、ポンタの自伝ではまったくふれられていない。ネットでもまったくわからない。契約の関係で渡辺の音源がYMOのアルバムから丸ごと抜いてあったことから生じたデマだったんだろうか。

次回は小林武史篇。

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