事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ニュー・ワールド」The New World('05)

2008-05-12 | 洋画

1607年、バージニアに入植した英国開拓団の交渉役、ジョン・スミス(コリン・ファレル)は先住民に捕らえられ、あわや処刑というところで王女ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)に命を救われる。スミスは彼らと親しむうちに、その純粋さや崇高さに深く感銘を受け、やがてポカホンタスと恋に落ちた。しばらくして植民地に戻ったスミスは飢えと病と絶望で荒廃した人々を目の当たりにして、ポカホンタスとの幸福な思い出と目の前の現実の間で苦悩することになる……

 学生時代、深夜テレビである映画を観ていた。タイトルは「地獄の逃避行」Badlands(73)。日本では劇場公開されず、このテレビ放映が初公開。確かTBSじゃなかっただろうか。50年代に実際に起こった連続殺人事件をもとに、ネブラスカの荒涼とした風景をしつこいぐらいに挿入した渋い映画だった。たまたまテレビをつけたらこの映画をやっていたのか、あるいはある理由で見逃せない、と意気込んで観ていたのかは判然としない。ある理由とは、当時からカルト扱いされていた映画監督、テレンス・マリックのデビュー作だったからだ(ブルース・スプリングスティーンはこの映画に触発されて「ネブラスカ」を書いた)。

 この映画を含めても、テレンス・マリックは生涯で4本しか映画を撮っていない。「天国の日々」(78)「シン・レッド・ライン」(98)そしてこの「ニュー・ワールド」。もちろん全作観ているけれど、この人の情景描写に賭ける執念は並みではない。太平洋戦争の狂気を描いた前作にしても“人間もまた風景の一部”なのが行き過ぎて、ショーン・ペンなどの主演陣が、誰が誰やらさっぱりわからないぐらい引いて撮っていたのだ。まあ、それでも映画人から尊敬を集めまくっているマリックなので、出演希望はひきもきらないわけだが。さて、今作は……

アメリカ人なら誰でも知っている(らしい)ポカホンタスとジョン・スミスの悲恋の物語。ディズニーでアニメ化されたのでご存じの人も多いはず。この有名な伝説を、マリックはひねりなく直球で押しとおしている。後半、ネイティブアメリカンのポカホンタスはイギリスに渡り、女王に謁見までするが、彼女にとっての“新世界”が彼女に与えたものは……

自然光しか使わずに、特に水に映る風景を微細に描くことで、人間界の愚かさをあざ笑っているかのような姿勢はあいかわらず。30年たっても、マリックは何も変わらない。静かな、静かな、しかし力強い傑作。

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職業欄はエスパー その3

2008-05-12 | 本と雑誌

404362502209 その2はこちら

 まず告白しておくと、わたしは超能力を信じない。少なくともスプーン曲げや念写を代表とするタイプの超能力を信じたことはない。前号でもふれたように、目の前で一種の奇跡を起こされればどうなるかはわからないけれど。

 ウチの学校のボイラー室で、例によってマジシャン教師と話しているときに、スプーン曲げについてどう思うかきいてみた。サイキックにとって最大のライバルであるとされる、マジシャン側の言い分を知りたかったのだ。
「トリックに決まってるでしょう。だいたい、どうして超能力が“スプーン曲げ”なんですか。彼らがスプーン曲げにこだわるかぎり、ぼくは信じない。」
 なるほど。

マジシャン側は「そんなことはトリックで再現できる」と主張し、サイキック側は「トリックでもやれるかは知らないが、しかしわたしの行っているのは超能力だ」と開き直る。このようにお互いの言い分が平行線をたどり、その平行線を商売にしているのが大槻教授だったりナポレオンズ(こいつらも専修大学卒!)だったりする。

「ナポレオンズってマジシャンの世界では評価高いの?」
「うまいですよ。小さい方はともかく、大きい方はすごくうまい。」
Mr.マリックはどうなの?」
「あの人はね、日本で唯一の創作マジック用品メーカーの社員だったの。それで、営業で見せているうちにプロになったんだよね。あの人のクロースアップマジックはすごいよね。でね、“超魔術”って言ってるじゃない?あれはね、アメリカではやっちゃいけないんだよ。マジックはマジックで、超能力系の単語を使うことは禁じられているんだ。」

禁じられている、ということはそれだけ超能力者を名のったマジシャンが多かったということなのだろう。ユリ・ゲラーも実はマジシャン出身だし。

 森は清田たちサイキックへの長い取材、交流をへて、彼らから問いただされる。
「で、森さんは信じてるの?」
「いや、信じない。」反射的に答えてしまう。
しかし森はこうも感じるのだ。
『だけどこの健全な鋳型からどうしてもはみだしてしまうところに「超能力」の本質がある。そして僕が、惹かれて止まない理由もきっとここにある』
超能力否定論者がいやに感情的だったり、サイキックたちがオカルトを装うことも含めて、そのお互いの胡散臭さを森は愛しているようだ。しかしわたしは願う。サイキックたちがオカルトを脱ぎ捨て、いたってフランクに“超”能力を見せつけてくれたなら、そのときは信じて……あ、そうすると単なるマジックに見えてしまうわけか。なるほどー。
【職業欄はエスパー・おしまい】

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職業欄はエスパー その2

2008-05-12 | インポート

Spoon その1はこちら

 日本テレビが中心になって盛り上がった超能力ブームに、冷水をあびせたのは週刊朝日だった。スプーンを投げる少年たちに黙って“別方向からのカメラ”で彼らの行動を撮影。ある少年はお腹にスプーンを押し当て、またある少年はベルトのバックルに押しつけてスプーンを曲げていたのだ。

 こうやってインチキを見破られ、以降の人生を棒に振ることになったのが関口少年。しかし今もサイキックとして生き残っている人物もいる。清田益章だ。彼もインチキの現場を押さえられたにもかかわらず、なにゆえに超能力者の看板を掲げ続けていられるか。

放送禁止歌」「A」「下山事件」と、宮藤官九郎に次いで「この1冊」で数多くとりあげている森達也の本業はドキュメンタリー専門のテレビディレクター。タブーに果敢に挑戦しているものだから、マスを相手にしなければならないテレビとは宿命的に衝突する。したがって、その経過を文にまとめることで問題提起を続けているのだ。今回彼が注目したのが清田だった。前号で彼が行ったパフォーマンスは、ある外資系化粧品会社のパブリシティのキャラクターとして清田を起用するための、一種のプレゼンテーション。このように、清田は職業として超能力者であることを選択し、生活を続けている。その要因はやはり目の前でぐにゃりと折れ曲がるスプーンの圧倒的な不可思議さだろう。わたしだって同じテーブルにすわり、間近でスプーンが曲がったら、畏怖し、そして超能力の存在を受けいれてしまうかもしれない。同じ専修大学文学部出身者として後輩を信じたい気持ちもあるし(笑)。

 しかし清田がインチキをあばかれたのは事実で、彼もインチキを行ったことは認めている。現場に居合わせたある編集者は森にこう語っている。

「日本テレビにこっそり頼んで、スタジオの天井に清田の手許が撮れるように隠しカメラを仕込ませてもらったんです。結果は案の定でした。CMのあいだにテーブルの下で、清田はスプーンを手で曲げていたんです。」

清田はその理由として「スプーン曲げはいつもいつも成功するとは限らない。でもテレビなどで生中継されると、失敗が許されないというプレッシャーからトリックに頼ってしまった」と語っている。図らずも、自分から超能力とトリックの親和性を暴露しているのだ。はたして、サイキックとマジシャンの境界線はどこなのだろう。以下次号

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「職業欄はエスパー」森達也著 角川文庫 781円

2008-05-12 | 本と雑誌

Geller_tv_1 ……左手にスプーンの柄の端を持ち、右手の親指と人差し指でスプーンの首のあたりをつまむように擦りながら、清田はしきりに「飲みすぎたかなあ」とつぶやく。周囲を円陣になって取り囲む全員が無言でその手許を眺め続ける。三分近くが経過した頃、しきりに首をひねりながら、清田は静かに右手をスプーンから離す。
「飲みすぎちゃったみたいで、あまり調子はよくないんですけど……」
 そうは言いつつも、視線は左手に持ったスプーンから離れない。周囲にいた全員が椅子の上から身を乗りだしている。僕もファインダーを覗きながら小さく一歩踏み込んだ。
 誰かが「ほお」と咽喉の奥で声をあげる。垂直に立てられたスプーンは、肉眼でもはっきりと識別できる動きで少しずつ曲がり始めている。スプーンを支える左手を清田は何度か横に振った。そのたびにスプーンの頭はぐにゃりぐにゃりと左右に傾げ、数回目の揺さぶりの直後、スプーンは柄の部分からぽっきりと折れ、乾いた音をたてて床に落ちた。
【職業欄はエスパー・挫折からのはじまり】

 スプーン曲げが日本でブームになったのは1974年。言うまでもなく、あのユリ・ゲラーが発火点だった。日本テレビが招聘し、木曜スペシャルで(だったと思う)行ったのはスプーンを曲げる以外に、画面から念を送って止まっている時計を動かすというもの。全国から「動いた!」という反応が日テレに殺到。ゲラー・エフェクト(効果)が一般に認知され、日本において超能力とはすなわちスプーン曲げのことになったのはこのときだった。実はウチも、止まっていた置き時計を持ち出してテレビの前に置いたお調子者一家でした。動きはしませんでしたが。

 怖いのはここからで「ぼくもスプーンを曲げられる」と主張する少年が続出。ワイドショーで実際に曲げて見せていた。若い読者のために紹介すると、ある少年がやっていたのはこんな感じ。カメラに向かって後ろ向きにウンコ座りをし、「曲がれ!」と叫んでスプーンを肩越しに放り投げる。スタジオの床に落ちたそれは、確かに曲がっている。それだけでは“芸がない”のか次第にエスカレートし、「ぐにゃぐにゃに曲がれ!」と投げられたスプーンは、確かに左右ぐにゃぐにゃに曲がっているのだった。

 そんな子どもたちのなかに、関口少年や、清田益章がいたのである。以下次号

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「ヴィレッジ」The Village('04)

2008-05-12 | 洋画

『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン監督が森の奥の小さな村を舞台に描くスリラー。村の住人たちのユートピアを維持するために義務づけた掟が破られる時に訪れる恐怖は予想外の結末を呼ぶ。主演に『戦場のピアニスト』でアカデミー主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディ。その他に『サイン』のホアキン・フェニックス、『エイリアン』のシガニー・ウィーバーなど豪華キャストが脇を固める。物語終盤にかけて明かされる真実は『シックス・センス』以来の衝撃。
  1897年、ペンシルヴェニア州のとある深い森の中に存在する小さな村は周囲から孤立していた。村では皆が家族のような暮らしをしていたが、その暮らしを守るために作られた奇妙な掟を、村人たちは守らねばならなかった。しかし、ある日のこと盲目の少女が、恋人の命を救うためにその掟を破ろうとしていた……

「シックス・センス」「アンブレイカブル」「サイン」……シャマランの映画に共通するのは「びっくりしたぁ?」という作り手のひっかけが露骨なこと。「シックス~」の主人公は××だったし、「アンブレイカブル」はなんと途中から××な世界に突入してしまい、比較的ストレートな宇宙人襲来モノだった「サイン」は、むしろそのストレートさで意表をついた。

 さて今回は……うわーこう来たかぁ!こりゃあ怒った観客は多かったろう。事実、批評家からはこきおろされ、興行も二週目以降に急落するシャマランいつものパターン。しかしわたしはこの映画を支持する。シャマランをワン・トリック・ポニー(ひとつしか芸のない子馬)と片づけるのは簡単だ。でも「ヴィレッジ」(このタイトルがラストで効いてくる)におけるとんでもないオチを成立させるために、彼がどれだけ精緻に伏線をはったか、どれだけ気を使って画調をコントロールしたか(なぜこの村で明るい色が禁じられているか、など)に見終わってから気づかされ「やるなあ」と感心。

 それにね、このインド人は前に特集したときにもふれたけれど、女の趣味がほんとうにいいのだ。「シックス~」のトニ・コレット、「アンブレイカブル」のロビン・ライト・ペンに続き、この映画は新進ブライス・ダラス・ハワードを一気にメジャーにした作品として記憶されるだろう。けなげなヒロインを演じた彼女の新作は、なんと「スパイダーマン3」。

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