その2はこちら。
まず告白しておくと、わたしは超能力を信じない。少なくともスプーン曲げや念写を代表とするタイプの超能力を信じたことはない。前号でもふれたように、目の前で一種の奇跡を起こされればどうなるかはわからないけれど。
ウチの学校のボイラー室で、例によってマジシャン教師と話しているときに、スプーン曲げについてどう思うかきいてみた。サイキックにとって最大のライバルであるとされる、マジシャン側の言い分を知りたかったのだ。
「トリックに決まってるでしょう。だいたい、どうして超能力が“スプーン曲げ”なんですか。彼らがスプーン曲げにこだわるかぎり、ぼくは信じない。」
なるほど。
マジシャン側は「そんなことはトリックで再現できる」と主張し、サイキック側は「トリックでもやれるかは知らないが、しかしわたしの行っているのは超能力だ」と開き直る。このようにお互いの言い分が平行線をたどり、その平行線を商売にしているのが大槻教授だったりナポレオンズ(こいつらも専修大学卒!)だったりする。
「ナポレオンズってマジシャンの世界では評価高いの?」
「うまいですよ。小さい方はともかく、大きい方はすごくうまい。」
「Mr.マリックはどうなの?」
「あの人はね、日本で唯一の創作マジック用品メーカーの社員だったの。それで、営業で見せているうちにプロになったんだよね。あの人のクロースアップマジックはすごいよね。でね、“超魔術”って言ってるじゃない?あれはね、アメリカではやっちゃいけないんだよ。マジックはマジックで、超能力系の単語を使うことは禁じられているんだ。」
禁じられている、ということはそれだけ超能力者を名のったマジシャンが多かったということなのだろう。ユリ・ゲラーも実はマジシャン出身だし。
森は清田たちサイキックへの長い取材、交流をへて、彼らから問いただされる。
「で、森さんは信じてるの?」
「いや、信じない。」反射的に答えてしまう。
しかし森はこうも感じるのだ。
『だけどこの健全な鋳型からどうしてもはみだしてしまうところに「超能力」の本質がある。そして僕が、惹かれて止まない理由もきっとここにある』
超能力否定論者がいやに感情的だったり、サイキックたちがオカルトを装うことも含めて、そのお互いの胡散臭さを森は愛しているようだ。しかしわたしは願う。サイキックたちがオカルトを脱ぎ捨て、いたってフランクに“超”能力を見せつけてくれたなら、そのときは信じて……あ、そうすると単なるマジックに見えてしまうわけか。なるほどー。
【職業欄はエスパー・おしまい】
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