事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「やくざ戦争・日本の首領(ドン)」(’77 東映)

2008-05-07 | 邦画

1004549_l 企画:俊藤浩滋 監督:中島貞夫 主演:鶴田浩二佐分利信菅原文太

実録路線がどんづまりに陥った東映が、最後の最後に大ばくち。「ゴッドファーザー」をあざとくパクった作品。けっこうお金かけてます。向こうがコルレオーネ一家ならこっちは山口組、向こうがマーロン・ブランドならこっちは佐分利信、向こうがベッドに馬の生首を転がすならこっちは女の……という具合。そのことを批判しているわけではなくて、東映はそのあたりを軽くやっちゃうあたりの軽率さが売りの会社だったので全然OK。

でも、製作中からこの映画には保守的な館主たちのつきあげが激しかった。「日本の首領」だけではどんな映画だかわからないから「やくざ戦争」をくっつけ、大作なのに二本立てでやらなければならないので尺を切られたり……そりゃ、どんづまりにもなるわな。高校生だったわたしは、何をバカなことをやっているのかなあと思っていた(その頃はやくざ映画ばっかり観ていた)。

 わたしはこの作品は大好き。初めてやくざ映画に出演した佐分利信の貫禄(奥さん役の東恵美子もよかった)や、アル・パチーノの役割をクールに演じた高橋悦史の演技が光る。“疲れたやくざ”を演じさせたら天下一品、鶴田浩二の肩を落とした感じも泣かせます。
チンピラに翻弄される歌手役は絵夢。なつかしー☆☆☆★★★

※ここで今さらだけど注釈。星印は敬愛する映画評論家双葉十三郎さんの「ぼくの採点表」方式。☆が20点、★が5点。だから☆☆☆★★★は75点というわけ。☆が四つ以上あると傑作という感じだけれど、DVDで観るには75点ぐらいのがいちばん気持ちがいいような気もする。双葉さんは芸術には満点と零点はありえないと主張するけれど、素人はそんなもん気にしないのでそのつもりで。

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香山リカかます!

2008-05-07 | 社会・経済

「いまどきの『常識』」特集はこちら

講演会:精神科医で帝塚山学院大教授・香山リカさん、山形で400人参加 /山形
 精神科医で帝塚山学院大教授の香山リカさんが、山形市内で「豊かな心を育てる教育とは」と題して講演会をした。連合山形と県教職員組合協議会の主催で教育関係者ら約400人が話に聴き入った。
 医師・教育者の「二つの顔」で子供たちと触れあってきた香山さんは、子供たちは大人の社会の影響を強く受けていると指摘。そして「失敗や弱さを許さない社会になっている」と分析する。
 最近の子供たちは自分の弱さやだめな部分を他人にみせると「見捨てられる」「嫌われる」と思い、「いい人」を演じていると指摘。それができなくなると自殺や引きこもり、拒食症や自傷などを起こしたり、ニートになったりするという。
 香山さんは「まず大人が他人を思いやれるようにゆとりを持つことが大切。懐の深い社会が築けるようにしていこう」と入場者に訴えた。【佐藤薫】
毎日新聞 2006年2月21日

部報でもお伝えした香山リカ。その凶暴さ(笑)はおわかりいただけたと思うけれど、山形でもいろいろとやってくれたようです。その主催者、というか講師に彼女を選んだ当人からインサイドレポートが入っております。もう時効だから紹介してもいいんじゃないか。笑えるんだこれが。

Mail04c まず、当日は約600人の参加者(組合員が230くらいで、一般参加者が300人超えしてました)があり、しかも女性の多いこと多いこと。託児所を開設したこともあって、講演会のような「文化」に飢えていた方々がどどっと来たのね、という感じ。多くはみな友達連れのような雰囲気。1時50分過ぎにどやどやとエレベーターから「吐き出される」人波、あれよあれよという間にイスは足りなくなり、3回以上の追加で会場は満席以上。

さて、当の香山さん、国際ホテルの1階ロビーで1時に待ち合わせしてたのに、現れたのは1時15分、こっちの携帯も教えてたので、道に迷ったら電話でもくれればいいのに(普通、駅でお迎え、車で会場へ……というパターンでしょ、山形は。でも勝手に来て勝手に帰りますって感じですからと派遣会社から前もって聞いてた。けれど、本当に迷っちゃったんじゃない?)と思っていた瞬間、「あの、香山をお待ちの方ですか?」とリュックサックを背負ってジーパンはいた普通の「おばさん」が声をかけてくる。

「はあ、はい。」と答えながらしげしげと(いやあ私の目からは怪訝そうな視線が出てただろうな。)見てしまって、失礼なことしちゃったかなと思い返してます。なんたってトレードマークのメガネをはずしていると本当にわかんなかったって。秘書と来るって話だったから思わず「いやあ、犬は飼い主に似るって言うけど、秘書さんも香山さんに似ちゃうのかな?」って一瞬本気で思っちゃったほどだもん。で、双方ぎこちなくエレベーターに向って歩き出し、「本日は遠いところありがとうございます。」なんてあいさつを二言三言交わしているうちに、エレベーターのドアが開く。他の待っているお客さんも何となく香山さんかな?と思っているらしく、遠巻きにしているので、香山さんがすっと乗り込む。そしたら後ろ奥の壁にピタッと向ってプライベートゾーンを作っちゃうんだもの。まあ、愛想を振りまいてとは言わないけれど、何もそんなにおどおどしなくてもいいんじゃない?って思ったのは、男だからかなあ?

 5階の控え室にお通しして、お茶が出てくるまでに(これも出てくるのがおそくて、早くしてえ!って心の中で叫んじゃいました。)「先生の本は山形で売り切れ続出ですよ。」とか話しかけても「はあ、そうですか?」ぐらいの声にならない返答、そしてばたばたとパソコンの準備を始め、「すいません、勝手に今日の準備させてもらっちゃって。今日来てくださっている方はどんな方ですか?」とビジネスライクな話をしたら、それでおしまい……。う~ん、私の身の置き場がない、と思ってた頃にやっとお茶の登場。

「じゃ、1時55分頃お迎えに来ます。ごゆっくり。」と這這の体で3階に下りてきたのでした。上っ面の挨拶なんか別にどうでもいいって感じのオーラを出していたので、どうも波長を合わせづらく、頭をかくしかない状態でした。

 講演会場に拍手とともに迎えられた香山さん、しゃべり始めたらこれが全くの「おしゃべり」モード。講演のイメージというものを覆すとってもフランクな話しぶりには賛否両論が寄せられました。ま、私は講演会の運営がうまくいくようにとばたばたしてたので、じっくり話を聞くことができなかった点、惜しい気持ちでしたが。

 山形新聞と毎日新聞が取材に来ており、香山さん「写真撮るんだったら、初めのほうでお願いします。(トレードマークのメガネをつける関係上)」と言っていたのに、いっこうにメガネをかける雰囲気なし。痺れを切らした新聞記者は勝手にパシャパシャ撮っていました。で、主催者として撮った高教組の書記も「あれ、メガネかけてんだが?銀色のメガネ?わがんねえなあ。」なんていいながらパチリ。

 拍手で送られ会場を出ても、おどおどしていた香山さん、普通にエレベーターで降りるとお客と一緒になるから嫌だなあという表情をしていたので、別のエレベーターで1階まで送る。玄関で「これからどうされます?」と一応聞いたら即座に「あっ、駅に行きます。」と返事。「それではありがとうございました。お気をつけてお帰りください。」とお見送りをしたら、駅とは反対側にすたすたと歩き出す。思わず「駅は反対側ですよ。」と声をかけたくなったが、まあ「つばさ」までの時間もあるだろうし、そっとしたほうがいいかということで、そのままバイバイでした。

 次の日送った啓翁桜で、山形のよさを感じてもらえればいいけど、あの半日では到底「山形ってどんなとこだったか、あんまり印象に残ってないんですう。」で終わりですね、きっと。

……やっぱり変わってます香山リカ!(笑)
期待どおりだ。うれしい。
わたしの認識だとメガネをとった彼女ってどうみても工藤静香とドッペルなんだが……。

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『いまどきの「常識」』 香山リカ著 岩波新書 ¥700

2008-05-07 | 社会・経済

Kayamarica  岩波新書であることでいきなり「あー。また戦後民主主義肯定バカの本かよ」と偏見の目で見られるのが“いまどき”というものなのかもしれない。いわゆる『朝日=岩波文化人』の地位は、近年降下の一途をたどっているようにわたしには思える。地位だけではなく、エネルギッシュに発言するリベラルな人間がどんどん少なくなっているのではないだろうか。「朝まで生テレビ」などで左右が激突していた時期がなつかしい。わたしは発言の背景に“権威”みたいなものを感じるといきなり醒めてしまうのだが、そんな権威と無縁なままで信用できる発言者は齋藤貴男、宮台真司、永江朗、姜尚中、そしてこの香山リカぐらいじゃないか?(勉強不足っすか)

 香山の新作「いまどきの『常識』」は、“わたしは政治的にも中立だし、どんな勢力にも加担せずにいたのに、どうしていつの間にかわたしが左翼あつかいなの?”こんなとまどいが聞こえてくるような内容になっている。

「涙」さえ見せればどんな人でも「かわいそう」と同情の対象となり、世論が動かされるのかといえば、それも違うようだ。イラクで人質となった青年の家族が見せた「涙」も、飢えや別離に苦しむ北朝鮮の一般の人たちの「涙」も、日本の人々の感情に訴えかけることはそれほどなかった。ほとんどの「涙」はそれだけで共感、同情の対象となるのに、時としてこういった例外もある。「どの涙はよくて、どの涙はよくないか」というポイントを読み間違えると、今度はその人が批判の対象となってしまう。だから私たちは常にまわりの人の顔色をうかがいながら、実は「今なら安心して泣ける」というときにだけ涙し、「この人には同情しても大丈夫だ」という対象にだけ「かわいそう」と言っているのではないか。

……個人的に耳の痛い話も。

これまで日本人の多くはゆっくりすること、ラクすることを罪悪だと思い、あまりにそれとはかけ離れた生活を送ってきた。わが子が「ゆっくりしたいよ」と言ったら、いいチャンスと思って父親も「オレも」とゆっくりすればいいと思うのだが、「息子がニートだからオレがまだまだがんばらなければ」と奮起してしまう親が多いのは因果な話だ。

いつのまにか、少年犯罪やキレる子どもの原因は「親が手作り料理を作らないこと」に特定されてしまっている。しかも、この「手作り料理」を作るべきなのは母親、つまり女性というのも既成事実となっている。「心のこもったおふくろの味」が悪い、とは誰にも言えないだろう。しかし、「あのおふくろの味がたまには食べたいな」という願望と、「少年犯罪を防ぐためにも女性は家庭で料理を」という強制とは本来、別次元の問題であるはずのものが同列に語られているのである。(略)おそらく、「ゆとり教育」についてもこれと同じことが言えるはずである。子どもがおかしい。それはいったい何のせいだ。「社会のせい、おとなたちのせい」とは思いたくない。「教育のせい」「女性のせい」「テクノロジーのせい」と決めつけておけば、自分たちにお鉢が回ってくることはないだろう……そういった責任回避のメカニズムが、ここにも隠れている。

Kayama ……現在の日本を、これほどみごとに総括する文章は珍しいのではないか。その、あまりの的確さに感服し、日本という国の醜さを再認識し、さみしくもなる。しかしある意味、これほど激烈な文を著しているのがリカちゃん人形の名をいただいた精神科医であるあたり、まだまだ日本も捨てたものじゃないのかな、とも思う。それに、かなり奇矯な性格でもあったようで、彼女の弟の中塚圭骸はすごいオタクミュージシャンなんだけど、彼がラジオのトーク番組でばらしたところによると……

小学校2年生のとき、当時中学1年生だったお姉ちゃんに
なおこちゃん(本名)、メリークリスマス。」
って言ったら、殴りかかってきて鼻血が止まらなくなった。その1週間後、大晦日にも
「今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いします」
みたいなことを言ったら、布団で寝ていたときに上から鼻を踏みつけられた。そういう時候の挨拶を言うと、中学時代のお姉ちゃんはキレる。ちなみに、「おはよう」的な挨拶は無視される。

……このかわいそうな弟の現在の楽しみは、「朝まで生テレビ」で保守的論者に虐められる姉を見ることなのだそうだ(笑)。

香山リカ講演会in山形の様子はこちら

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