(ページ6からの続き)山形駅前の霞城セントラル(ものすごく近代的な公民館、と考えればいい)の地階に位置するソラリスや、今回改装されたフォーラムと、三川ジャスコ内のイオンシネマでは、やはりその設備に大きなレベルの差が。シート、音響、スクリーンの大きさ……いずれもイオングループの底力を思い知らされる。映画館だけで黒字に持っていかなければならないフォーラムとは、スタートラインが違ってしまっているのだ。
それでも山形の市民はフォーラムを愛しているし、マイナーな映画にも足を運んでいる。これはフォーラムが長い間地道に良質な作品を上映し続けてきた成果だろう。国際ドキュメンタリー映画祭はその象徴。
どれだけ豪華な施設を準備しても、作品がそれに伴わなければ意味がない→良質な作品を提供することで、施設上のハンディは取り返せる、こう考えるのはしかし早計だ。もしもソラリスの新設やフォーラムの移転という一種の暴挙がなかったら、山形市にはどこかのシネコングループが進出し、酒田と鶴岡の老舗映画館が一掃された二の舞になっていただろう。ビジネスの場は情熱だけで持ちこたえられるほど甘いものではあるまい。
それでは酒田に、往時のグリーンハウスを再建することなど夢のまた夢なのだろうか。可能性はかなり低いが、道はあるだろうと思っている。なぜなら、郊外型シネコンはそれでも多くの観客を取り逃がしていることが感じられるから。
こんな客たちである。
1.高校生。自転車とJRしか移動手段を持たない彼らに、田んぼの真ん中の巨大なショッピングセンターへ向かわせるのは容易ではない。もっとも映画を必要としている世代であるにもかかわらず。
2.中高年。映画をまったく観ない世代としてとらえられている50代男性。そのために興行界は夫婦のどちらかが50才以上のカップルへの割引を試験的に行っている。そんな彼らを30分も車を運転させて映画館へ連れてくるのはきつい。映画がはねたあとに、近所で一杯やる、こんな娯楽も設定できないわけだし。
3.主婦。夫と子どもを送り出し、買い物までの時間をアート映画で……いっけん難しいようだが、彼女たちの文化への希求を考えたとき、足りないのは“場”でしかないことがわかる。
それでは庄内地方のど真ん中に豪奢なシネコンが既に建っている以上、酒田に映画館を復活させる方策とは何か。素人ながらに色々と考えてみた。
客層は高校生と老人を中心とする。少子化によって高校生の数は激減しているわけだが(だから四校統合なんていうとてつもない計画が持ち上がったりしている)、チャリを飛ばして映画を見に来る需要は無視できない。平日の午前中に映画を観ることができるのは事実上老人がメイン。しかも昔はあびるほど映画を観た世代でもある。
スクリーン数は2~3で十分。ある意味、シネコンを補完するだけだし、写真料の高い映画は初手からあきらめればいい。
映画館単体での建設もあきらめる。公的施設の店子になるか(ソラリス方式)、商業施設との提携しか手はないと思う。
市民グループへある程度運営を委託する(あ、これもフォーラムが手をつけている)。こうしないと商売として長続きしないし、ボランティアに頼らなければやっていけない。まあ、イデオロギー臭がつきまとうとやばいわけだが。
場所は中心街とする。固定資産税を考えると無謀なようだけれど、土地がいちばん空いているし(笑)、自治体からの補助も見込める。
……うーん甘いかなあ。映画館の運営には、消防法や、魑魅魍魎が跋扈する映画界との“おつき合い”など、きつい部分が大きいのだけれど、映画という商品にはみんなが好意的、という追い風もある。成長産業に転じた映画製作には、大企業の参入が続いている。だから製作現場の劣悪さの解消と、有能な連中が映画界にまた集結し始めることが期待できる。作品が向上すれば、興行というショウビジネスは面白いぞー。
最大の敵は「映画はDVDやビデオで観ればいいという習慣」だが、他者といっしょに作品を鑑賞すること(他の観客の息づかいを感じること)は、芸術を味わう上で絶対に必要な作業ではないか。
映画館へ行こう。日本人が一年に映画館へ行く回数が今の2倍になりさえすれば、グリーンハウス再建計画は現実的なものとなるはず。それまでは、とりあえずシネコンにせっせと稼がせておこうか。つづきます。
画像は、シネコンでは上映できない典型のような映画。単館系の渋さが光る「ザ・コミットメンツ」。映画のためのバンドマンたちだったのに、なかのひとりが(名前忘れた)、ブレイクしたらしい。めでたい。