陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その16.

2010-06-13 23:14:37 | 翻訳
第七章 驚きが待っていた

二月五日

 長いあいだ、まったく書くこともできない情況が続いていた。やっとなんとか少しずつでも書きとめることができるようになった。キャロラインの回復も、四ヶ月以上がかかったけれど、めざましいものだった。最初のうちはじれったいほどだったが、のちにはぐんぐん良くなっていったのだ。だが、恐ろしいほど複雑な事態がそこに控えていたのだ!


  おお、我らが織りなす網の目のなんともつれたものであることか
  あざむくことより始めれば(ウォルター・スコット「マーミオン」より)


 シャルルさんは滞在先のヴェニスから非難がましい手紙をくださった。自分はただ、いつわりを演じただけで、それを実際にやりおおせることなどできそうもありません、いまなお、あなたを愛しているというのに、と。

そうはいっても、反対からいえば、実際に結婚生活を送ることなく、そのままにしておけるものだろうか。あの子には何も聞かせていないので、いまもなお「良きときも、悪しきときも、死が二人を分かつまで」、自分がシャルルさんの妻であると信じている。わたしも困った立場に置かれたものだが、わたしたち三人ともそうなのだ。恐ろしい死が迫っているときには、人はしかるべき判断のバランスをうしなってしまい、目前の危機を切り抜けるために、なんだってする。片方の目を、いまにもわたしたちから永久に引き離されようとしている者への同情に奪われたまま。

 あのときシャルルさんがほんとうに妹と結婚してくださっていれば、万事、うまくおさまったのだ。けれどもあの人は考えすぎる人だ。もしかしたら妹は死んでいたかもしれない、そうであるならば、あの人の判断は正しかったといえよう。もし実際にそうなっていたら、もちろんわたしは悲しんでいたにちがいないが、嵐に翻弄されることもなかっただろう……。

シャルルさんは結局はわたしを望むだろう。そのことがわたしの動揺の根っこのところにある。たった一本の糸に、あらゆるものがぶらさがっている。もしキャロラインにあの結婚はお芝居だったと言えば、どうなるだろう。わたしと彼とにだまされたと腹をたてたとしたら――そうすると、いったいどうなる? そうでなければ、腹を立てることもなく、わたしたちを許してくれればどうだろう。そうなると、シャルルさんは妹と結婚しなければならないし、道義的に考えれば、、仮にあの方が反対なさっても、わたしがシャルルさんを説得し、妹にもそのことを知らせて、なんとかそちらへ話を進めなければなるまい。先月、あの子に話そうとしたのだ――そのころからずいぶん丈夫になってきて、そんな話にも耐えられるようになっていたから。だが、わたしにはその力がなかった。道徳的な力が。手紙を書かなくては。あの方に帰ってもらって、助けてもらおう。


三月十四日 

 シャルルさんがよんどころない事情でここを去ってから、五ヶ月が過ぎ、その不在が延びていることをあの子はずっと不思議に思っている。さらに、どうしてもっと頻繁に手紙をくださらないのか、それもいっそう不思議に思っている。つい先頃の手紙も、あの子がいうには、よそよそしいし、結婚式を挙げたのも、死にそうな自分をかわいそうに思って哀れんでくださったからで、いまごろは後悔していらっしゃるのではないかしら、といっている。これを聞いて、心から血がほとばしるような思いだ。真実のすぐそばまで気ながら、まだほんとうのすがたを見きわめられないでいるのだから。

ささいなことだが、わたしを悩ますことはほかにもある。あの若い説教師だが、自分の果たした役割で、良心を痛めているらしい。自分の判断が正しいと、邪道を重ねたことで罰を受けるのはわたしなのに。


(この項つづく)


トマス・ハーディ「アリシアの日記」その15.

2010-06-12 23:11:37 | 翻訳


十月一日

 どう考えても父の考え方はおかしい。キャロラインの心は傷ついているのだし、正式な結婚式はシャルルさんが絶対にするつもりはないとおっしゃっておられるのだから、どうしてこの方法が間違っていると言えるのだろう。仮に、シャルルさんが結婚を承諾してくださったとしても、結婚特別許可証を入手することが現実的に困難なのだから。

キャロラインの執着が、絶望的な病状を引き起こしていることを、お父さんはご存じない。あるいは、認めようとされないのか。だが、現実はその通りなのだし、形式的な式を挙げるだけで、たとえようもないほど幸せになれることが、わたしにはわかる。というのも、ためしにあの子の耳元でそっと結婚のことをささやいたとたん、目に見えるほどの効果を及ぼしたのだから。こうなると、キャロラインの問題に関して父を頼りにすることはできないということだ。あの子をわかっていないのだから。


(正午)

 父が今日は留守をしているのをこれ幸いとばかり、若いけれど思慮深い方に、わたしの秘密の考えを打ち明けた。その方は午前中に父を訪ねていらっしゃったのだ。その方はテオフィルス・ハイアムさんといって、わたしもこれまでにも何度かお話ししたことのある、隣町で聖書の読み聞かせをなさっておられる方だ。近い内に牧師に任命されることになっている。わたしはその方に、この哀れな事態と、わたしの救済策をお話しした。ハイアムさんは、お手伝いしますよ、あなたのためなら何だってします、と熱心に言ってくださった(実はハイアムさんはわたしに憧れている)。思いやりからなされる行為が何の悪いことがあろう、と考えておられるのだ。今日の午後、父が帰ってくる前に、ハイアムさんはもう一度この家にいらっしゃって、一緒に計画を実行に移すことになった。シャルルさんにも話したし、それに備えると約束してくださった。これからキャロラインにこの知らせを伝えるのだ。

午後十一時

 あまりに興奮しすぎて、いままで腰を落ち着けて、顛末を書くこともできずにいた。
わたしたちは計画を遂行した。罪悪感めいたものは感じてはいるが、満足している。父にはもちろんまだ何も知らせるわけにはいかない。キャロラインはあれからこちらずっと、やつれて透き通った顔に、天使のように清らかな表情を浮かべている。これから先、あの子が一命を取りとめて、ふたりのあいだが合法的なものになる必要があったとしても、驚くにはあたらないだろう。そうなれば父にもこのいきさつを打ち明けることができるし、これほどうまくいったのだから、よもや認めないこともあるまい。その一方、お気の毒なシャルルさんは、キャロラインの代わりに、この取るに足りないわたしをもらう可能性は残していらっしゃる。もしあの子が……。けれど、わたしにはそのもうひとつの可能性を考えることはできないし、書くこともできない。

シャルルさんは式を終えると、そそくさと南ヨーロッパへお発ちになった。最初は神経が張りつめ、興奮し、ほとんど常軌を逸したといってもいいぐらいだったのだが、わたしがなんとかなだめた結果、徐々に気持ちも落ち着かれたようだった。そのため、わたしはお別れのキスを受けるという罰を受けなければならなかったが、その意味を考えると、後悔している。ただ、ほんとうに不意打ちだったのだ。一瞬ののちには、もうそこにはいらっしゃらなかった。


十月六日

 あの子は確実に快方に向かっている。シャルルさんがどうしても急に出立しなければならないことになった、と伝えても、ごく機嫌良く聞き届けた。お医者様は、回復も表面的なものかもしれないとおっしゃる。けれど、わたしには、自分が式を挙げたことを、お父様にも、外のだれにも秘密にしておかなければならない、という思いが、生きる情熱を取りもどす助けになったのかもしれない。


十月八日

 あの子はどんどん良くなっていく。もし、ほんとうに回復できるのなら、あの子を助けることができてうれしい。たったひとりの妹だもの。たとえわたしが、もはやシャルルさんの妻になれなかったとしても。




(この項つづく)




トマス・ハーディ「アリシアの日記」その14.

2010-06-11 21:56:11 | 翻訳


九月三十日

 もう一度、あの方を説得してみた。すると、考えてみる、とおっしゃる。もはや気取ったことを言っていられるような場合ではない、わたしはここぞとばかり、押すことにした。妹が亡くなって一年たった暁には、あなたの妻になることを誓います、と申し出たのだ。


(数時間後)

 話し合いのせいで、すっかり心が乱されてしまっている。あの方は、どのような条件であれ、わたしからの結婚の申し出なら喜んで受ける、とおっしゃる。その上で、今後、三通りの事態が起こりうる、それにともなってわたしたちの打つべき手だては、以下に記すものである、と。

第一に、かわいそうなキャロラインが亡くなった場合は、一年の服喪期間が開けてから、わたしはあの方と結婚する。

第二は、可能性は低いが、もしキャロラインが全快した暁には、わたしが責任持って、キャロラインに説明をおこなう。シャルルさんと一緒に挙げた式が、ほんとうはどういう性格のものだったか。とにかくあなたの気持ちを満足させるために、わたしが提案したもので、英国国教会の結婚特別許可証も下りておらず、教会での正式な結婚式はまだ挙げていないのだ、と。

第三には、これはほとんど考えられないのだが、あの子の熱が冷めてしまい、式をもう一度挙げるのをいやがった場合である。そのときはわたしはイギリスを去り、あの方と国外で落ち合って、そこで結婚式を挙げる。キャロラインが誰か別の人と結婚するか、シャルルさんに寄せる思いを過去のものとすることができるまで、イギリスには帰らない。

わたしは考えに考えて、この三つの手だてをすべてそのまま受け入れることにした。


(午後十一時)

 どう考えてもこの計画は良いものには思えない。それに今夜、寝室に戻る前に、父にこれを打診してみたのだ。わたしはばくぜんと、父はこの計画に反対はしないのではないかと思っていた。ところが父は、どんなことがあっても、そんな現実味のない計画を進めてはならない、と言う。仮に、善意からであっても、死の床にあるかわいそうな妹のためであっても、そういうことをしてはならない、と。わたしは重い気持ちで床に就いた。


(この項続く)



トマス・ハーディ「アリシアの日記」その13.

2010-06-10 22:37:31 | 翻訳

六月二十一日

 わたしの大切なキャロラインは食欲をなくし、意気消沈し、病に伏している。聖書にも「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます」とある。あの方の手紙も、よそよそしくなるばかりなのだろう――仮に、あの手紙より後も書いてくださったとしたら、だが。わたしにはもう手紙はくださらなくなってしまった――そんなことをしても無駄であることをよくご存じなのだ。あの方と妹とわたしが投げ込まれた情況は、やりきれなさの極致となった。人の心というものは、どうしてこんなにも複雑なのだろうか。


第四章 アリシアがとっさに思いついてやったこと

九月十九日

 心配な時期が三ヶ月に及び、とうとうわたしはあの方に手紙を差し上げるという、のっぴきならない手段に訴えることにした。なにより心配なのは、かわいそうなキャロラインのようすだ。沈み込んだあげく、しだいに衰弱していったあの子は、もう前のように元気な姿を見ることもなかろうと思えるほどだった。それが今日になって、容態がさらに悪化した。危篤状態に陥ったのだ。お医者様は、傷心もここまでくると、助かる見込みはありません、とおっしゃる。その原因がたとえ取り除かれたとしても、とても回復はかなわないでしょう、とのことだ。もっと早く、わたしがシャルルさんにお伝えすべきだったのではなかったろうか。 だが、あの子はわたしを止めたのに、それを振り切って、どうしてそんなことができよう。
やはり、妹は自尊心からそう言い張ったにすぎないのだから、わたしは従うべきではなかったのだ。


九月二十六日

 シャルルさんが到着され、妹にお会いになったところだ。ショックを受けて、自責の念にかられ、後悔されておられるようす。あの子のそばにいらっしゃってくださるのが一番の良薬なんです、とわたしは申し上げた。もしあの子が元気になったら、シャルルさんはプロポーズのことをどう考えておられるのかわたしにはわからないけれど、いまはまだ何もおっしゃらない。実際、そんなことは恐ろしくてとても言えない。何を言うかで命に関わるほど、心がかき乱されかねないのだから。


九月二十八日

 義務感と自己中心性の葛藤を重ねたあげく、こんな苦しみをもう二度と味わわなくてすみますように、と神に祈ってから、あの方にお願いした。どうか妹を、いま、この場で、病に伏しているあの子をあなたの妻にしてやってください、と。かわいそうなあの子は、あなたにそれほど長くはご迷惑をおかけすることもないでしょう。結婚式を挙げてやれば、何にも増して、あの子の最後のひとときを慰めてやれるはずです。

あの方も、よろこんでそうさせていただきます、ぼくもそのことを考えていました、とおっしゃった。けれど、そうするとひとつ困ったことになる、とも。妹があの方の妻として亡くなると、イギリスの法律では故人の肉親であるわたしとは結婚できないのだそうだ。その言葉をうかがったとき、わたしは愕然となってしまった。

あの方はおっしゃった。
「そうはいっても、いますぐ結婚式を挙げることで、妹さんの命が助かるのでしたら、ぼくはそれはできないとは申せません。おそらく時間が過ぎ、あなたからも遠く離れてしまえば、妹さんのようなかわいらしい性質の方と一緒になればなったで、おだやかに過ごすことができるとは思うのです。けれども、万が一にも、式を挙げたとしても、そのほかにどんな手を尽くしても、妹さんの命は助けられないかもしれない。そうなると、ぼくは妹さんも、あなたも失ってしまうことになる」

わたしにはどうにも返事のしようがなかった。


九月二十九日

 今日の午前中まであの方は、ご自身のお考えから、わたしの申し出は頑として聞き入れてはくださらなかった。それが、ふと思いついたことがあったので、あの方に話してみたのだ。

キャロラインと形式的な結婚式を挙げることだけでも同意してくださいませんか。あの子はあなたのことを愛しているのですから。法的に夫婦になる必要はないんです、病気で弱ってしまった魂を満足させてやるだけの式です。こうしたことはこれまでだってあったし、あなたの妻になれたということで、彼女の心は言い尽くせぬほどの安らぎを得ることができるはずです。そうであるなら、もしあの子が天に召されても、わたしが将来いつかあなたの法的な妻になる可能性を失効したことにはなりません。もちろんそのときでも、わたしがその座にふさわしいと判断してくだされば、の話ですけれど。それにもし、妹が助かるようなことがあれば、病気がよくなってから、婚姻契約は結ばれていなかったことをお話ししてくださって、もう一度結婚式を挙げればよろしいのではないでしょうか。ふたりに迷惑をかけることのないよう、わたしは喜んでどこかよそに行くつもりだし、髪は白くなり、しわくちゃになったころには、あなたもわたしに寄せた不幸な情熱も、過去のものとなっているでしょう。

こうしたことをみんなわたしは申し上げたのだが、あの方は、ためらいがちに、だがきっぱりと、拒否された。



(この項つづく)




トマス・ハーディ「アリシアの日記」その12.

2010-06-09 22:49:29 | 翻訳
五月二十五日

 何もかもが曖昧になってきた。わたしたちの進むべき道も霧の中だ。あの方は忙しげに――少なくとも見かけだけは――行ったり来たりして、森の中に張ったテントでスケッチに余念のないご様子。妹とはふたりきりで会っておられるのかどうか、わたしにはわからない。けれども、そんなことはないのではないか、という気がする。というのも、妹はがっかりした顔であの方を待っているし、あの方がいらっしゃった気配もない。わたしが見せたとりつくしまもないような態度は、あの方にとっては良いことだったのか、それとも妹にたいして誠意を見せようと努力なさっておられるのか、どんな表情もあの方からは認められない。ああ、わたしが神様のように人の心を動かすことができたなら。そしてまた、殉教者の犠牲心が備わっていたなら……。

五月三十一日

 何もかも終わってしまった――というか、この悲劇の一幕は、空しく下りた。あの方は行ってしまわれた。キャロラインとの結婚も、日取りも口にされないまま。父はそのようなことについて、人に迫っていくような人ではないし、どんな面でも口を差し挟むこともない。若い娘ふたりでは、このようなときには何もできない。恋人たちというのは、来たいときにやって来て、去りたくなれば行ってしまうものなのか……。かわいそうなお父さんは、無骨一方の方だから、非難がましいことも、詮索めいたことも、一言も口にはしなかったけれど。しかも、ムッシュー・ド・ラ・フェストは亡くなった母が気に入った男性だったから、父に対しても絶対君主のような力を示すのだ。そんな相手に意見をするなど、母の思い出を損なうものと考えているらしい。わたしは義務感から、ムッシュー・ド・ラ・フェストに、お発ちになる直前に婚約のことをうかがった。声が震えるのはどうすることもできなかったが。

「お母様がお亡くなりになられたことで、すべて白紙に戻ったのです――何もかもが!」と、沈痛な声でおっしゃった。それがすべてだった。おそらくこのウェリーボーン牧師館にあの方をお迎えすることももうないだろう。


六月七日

 ムッシュー・ド・ラ・フェストがお手紙をくださった。一通は妹へ、一通はわたしに。
あの子宛ての手紙は、さほど暖かいものではなかったのだろう。妹の顔はそれを読んでも明るくはならなかった。わたし宛てのものは、何の変哲もない便せんに、ふつうの友人に宛てたもので、読んだあと、キャロラインに渡した。けれども封筒の奥にはもう一枚、決して誰にも見せられない紙きれが入っていた。この紙切れこそが、あの方のほんとうの手紙だった。部屋でひとり、さっと目を通した。震えながら、暑くなったり寒くなったりしながら。あの方は打ちひしがれた思いを訴えておられた。起こったことは悲しいけれど、どうしようもないのだ、と。
どうしてわたしはあの方に会ってしまったのだろう。あの方に心変わりをさせただけだったのに。ああ、ああ……


(この項つづく)




トマス・ハーディ「アリシアの日記」その11.

2010-06-08 23:05:16 | 翻訳

五月十九日

 とうとう起こってしまった! ひたすらあの方を避けていたがために、かえって最悪の事態を引き寄せてしまった――告白を。

菜園の隅に生えているセンノウを採りに、菜園に入ったときだった。わたしが足を踏み入れるか、入れないかのときに、外から足音が聞こえてきたのだ。木戸が開いて、閉まる音がして、振り返ると菜園のなかにあの方が立っていらっしゃった。菜園は四方が壁にかこまれていて、庭師も不在で、その場所はまったく人目に触れないところだった。あの方はアスパラガスの苗床のあぜ道を通って、わたしに追いついたのだ。

「どうしてぼくがここまで来たか、おわかりですね、アリシアさん」とふるえる声でおっしゃった。

わたしは何も言えなくなって、頭を垂れた。あの方の声を聞くだけで、何をおっしゃろうとしているのかわかったからだ。

「そうです」とあの方は言葉を続けた。「ぼくが愛しているのは、あなただ。妹さんへの気持ちが一種の愛情であることはちがいないんですが、それはかばってやりたいという気持ち、保護者のような気持ちであって、それを超えるものではないんです。あなたに何と言われようと、その気持ちはどうすることもできない。自分の気持ちを誤解してしまったのは事実だし、自分の本当の気持ちを知らずにいた責めは、負うつもりでいます。自分の本心に気づいてから、夜も昼もそれと闘ってきたんだ。でも、もう隠すことはできないんです。いったいどうしてあなたにお会いしてしまったのか。結婚することに決めるまで、お会いすることもできずにいたのに。ぼくがここに来た日、あなたをお見かけした瞬間、ぼくはこう思ったんです。『男に生まれたぼくが待っていたのは、この人なんだ』と。それ以来、言葉に出来ないあなたの魅力がぼくの心を捕らえてしまったんです。ひとことでいいんです、返事を聞かせてください!」

「ああ、ド・ラ・フェストさん!」叫び声が口から漏れた。そこから先、自分が何を言ったか記憶にないのだが、わたしはさぞかし惨めな表情を浮かべていたのだろう。あの方はこうおっしゃった。「どうにかして、妹さんにこのことを知らせなければなりませんね。おそらく妹さんの愛情を、ぼくの側も誤解しているはずだ。いずれにせよ、すべてはあなたのお心にかかっているんです」

「自分でも、自分の気持ちがわからないんです」とわたしは答えた。「ただ、ひどい裏切りのように思えるだけです。あなたとここにこうしていることが、事態をいっそう悪くしているんです……。どうかあの子に誠実になってやってください――あの子は優しい子ですし、それに、あの子があなたに寄せる愛は、まちがいなく、心からのものです。おっしゃる通りならどれほど良かったか! こんなこと、もしあの子が知ったら、死んでしまいます」

 あの方は深いため息をおつきになった。「妹さんは、ぼくの妻になるべきではありません。ぼくの幸せは別にしても、ぼくなんかと結婚してはいけないんです」

 あなたの口からそんなお言葉をうかがいたくありません、とわたしは言って、どうかお行きになって、と涙を流して頼んだ。あの方はわたしの言うとおりにしてくださった。出て行かれて、木戸の閉まる音がした。告白の結果はどうなるのだろう。そうして、キャロラインの運命は?


五月二十日

 きのうはずいぶん長々と書いてしまったが、それでもあれがすべてではないのだ。ほんとうは、わたしは心の底から願っていた。信念にさからって、自分のはっきりした判断に逆らって。ここに本心を明らかにするのはつらいことだけれど、この痛みも書き記すことによって和らぐ。

そう、わたしはあの方を愛している――ひどい話だが、もうこれ以上そこから逃げたり、眼を背けたり、否定したりはできない。世界中のだれにも開かすことができないことだが。わたしはキャロラインのいいなづけを愛しているし、彼もまたわたしを愛してくださっている。それは昨日だけの熱情ではない。わたしたちの結びつきの内に培われたものなのだ。一目お会いしたその瞬間から。昨日お話したせいで、いささかそれはそがれてしまったけれど、とうてい鎮めるようなものではなかった。

神様、どうかわたしのこの恐ろしい裏切りをお許しください。


(この項つづく)





トマス・ハーディ「アリシアの日記」その10.

2010-06-07 23:06:35 | 翻訳
5.情況は厳しいものとなる

五月十五日

 毎日考えれば考えるほど、わたしの疑念は確からしいものに思えてくる。あの方はわたしに興味を持ちすぎてはおられる――、はっきり言ってしまえば、わたしを愛しておられるのだ。というより、もう少し品位を落とさないような表現を使うなら、わたしに対して情熱を抱いておいでだ、ということになるだろうか。キャロラインに対する愛情は、妹に寄せるものにすぎない。苦い真実ではあるけれど。どうしてこのようになったのかわからないけれど、こまったことになった。

 数え切れないほどたくさんの証拠がこの事実を示していることを思えば、考えれば考えるほど、これからどうなっていくか、やきもきしてしまう。わたしが置かれたこの苦境から救い出してくださるのは、天の神様だけだろう。

 わたしの方からあの方をその気にさせて、妹に対して不誠実なまねをしたことはない。これまでずっと、避けるようにしてきたぐらいだ。三人で話をしようと水を向けられても、いつも断ってきた。にもかかわらず、実を結ばなかった。何か宿命的なものに支配されているような気がする。あの方がここにいらっしゃってから、取り返しのつかないことが起こってしまった。もしこれからどうなるか、お着きになる前にわかってさえいたら、誰のところにでも、たとえどれだけいやな友人のところであろうと、喜んで出向いていたことだろう。このはっきり、裏切りといえるような事態だけは避けようとしたはずだ。でも、わたしときたら愚かにも、迎えてしまった――実際、あの子のことを思って、ことのほか愛想良くふるまってしまったのだ。

 もはやわたしの疑念が間違っている可能性はないだろう。まぎれもない事実であるとわかるまでは、なんとかわたしも真実を認めまいとしてきたのだ。だが、あの方の今日のなさりようは、たとえそれまで何の不安を抱いてなかったとしても、その気持ちがほんとうだとわかったことだろう。

郵便でわたしの写真が何枚か届いたところへ、朝食の席でみんな、それを手にとって、品評を始めた。それからとりあえずサイド・テーブルに載せておいたまま、自分の部屋へ戻ってから一時間ほどうっかりわすれてしまっていたのだ。それを取りに行ったとき、わたしは見てしまった。あの方が戸口に背を向けてテーブルの、写真の上にかがみ込んでいらっしゃった。そうして、そのなかの一枚を取り上げて、ご自分の唇に持っていかれたのである。

 この仕草を見てしまって、わたしはすっかり怯えてしまって、気がつかれないようにそっと抜け出した。同じ結論を指し示す、ささやかな、けれど意味のある数々の出来事がこれまでにもいくつもあったけれど、これこそがまさにその極致だった。目下のわたしの問題は、どうすべきか、ということだ。まず考えるのは、家を出ることだが、キャロラインや父にはどう説明すればよいのだろう。第一、シャルルさんを自暴自棄にしてしまい、破局の引き金を引かせるようなことをしてはならない。となると、しばらくのあいだは、ただ待つことしかできそうにない。あの方の存在がわたしの胸をかき乱し、顔を合わせる勇気もほとんど残っていないのだが。この難しい問題には、いったいどのような結末が用意されているのだろうか。


(この項つづく)



トマス・ハーディ「アリシアの日記」その10.

2010-06-06 23:19:47 | 翻訳
五月十日

 ムッシュー・ド・ラ・フェストが今夜もまた、客間で風景画の流派についての興味深い話を聞かせてくれた。父は眠り込んでしまい、シャルルさんの話を聞いているのはキャロラインとわたしだけだった。わたしはあの方とあまり長々と話し込むつもりはなかったので、本棚からジョン・ラスキンの『近代画家論』を取り出してそれを読み始め、恋人たちをふたりきりにしておいた。ところがあの方はわたしを聞き手に引きいれようとなさるので、本を脇へ置かなければならなくなってしまった。わたしがなんとかキャロラインを会話に混ぜようと努めたのに、あの子の絵画に対する意見というのは、かわいらしいほどに幼く拙いものなのだ。

 明日もし晴れたら、三人でウェリーボーンの森へ行って、シャルルさんが今夜挙げてくださった色彩原理を、実際の絵の中で見せてくださることになっている。わたしはあの方がわたしに気遣いするあまりに、キャロラインをおろそかになさることのないよう、森の奥へ行ったところで、遅れることにして、そこから抜けだし、帰ってくるときにはふたりきりになれるようにするつもりだ。あの方がわたしに細かく心を配ってくださるのも、キャロラインに近い係累に親切にして、彼に対する評価を上げようとなさっておられるのだろう。


五月十一日

深夜。
 眠れないので、思い切ってロウソクの明かりをともし、ペンを取ることにした。わたしがどうにも落ち着かない心地でいるのは、今日起こったことのせいだ。最初は書き残したり、誰かに打ち明けたりするつもりはなかったのだけれど。

わたしたち、キャロライン、シャルルさん、そうしてわたしは予定通り、ウェリーボーンの森へ向かった。シャルルさんを真ん中に、キャロルとわたしが脇を固めて、緑の小道を歩いていった。やがて、気がついてみると、いつものようにあの方とわたしが話をし、キャロラインは鳥やリスを楽しそうに見ながら、婚約者の傍らを歩いていく。そのことに気がついたわたしは、きっかけを見つけて足を遅めて木立に身を潜め、家へ通じる別の小道の方角へ歩いていった。ところがその道に出て、黙ったまま、考え事をしながら歩いていくと、曲がり角で気がかりそうな微笑をしながら立ちつくしている、ムッシュー・ド・ラ・フェストに出くわしたのだった。

「キャロラインはどこにいるのですか」とわたしは聞いてみた。

「ここからちょっと行ったところです」とあの方はおっしゃった。「あなたがぼくらの後ろからいらっしゃらないので、道を間違えたのかと心配していたのです。だからキャロラインはあっちの方を、そうしてぼくはこの道であなたを探していたんです」

 わたしたちは今度はキャロラインを探したが、どこにも見つからない。結局、ふたりきり、森の中を一時間以上もあちこち歩き回ることになってしまった。家に戻ってみると、あの子がそこにいる。わたしたちをしばらく探したあと、あきらめて、しばらく前に家に帰っていたのだという。これだけのことに、そんなに心を騒がせるのも、おかしな話なのかもしれない。もし、あの方が、真剣に妹を捜そうとしていらっしゃらないことに、気がつきさえしなかったなら。

わたしが何度も何度も、あの子はどこで迷ったのかしら、と言ったのに、あの方ときたら、「大丈夫ですよ、彼女はここからだったらどこにいても家に帰っていける、って言ってましたしね。さっきの話の続きをしませんか。あこがれの人と一緒にいられて、どれほどうれしく思ってるか。ご想像なんてできないと思うな」といったことをおっしゃったのだ。

わたしは馬鹿げたことに、動揺したところを見せてしまった。どうして自分の気持ちをちゃんとコントロールできなかったのだろう。わたしが冷静でいられないことを、あの方も気がつかれたようだ。キャロラインはいつも通り、単純にただ信じているので、今日のこともまったく気にしていないが、そうはいってもわたしは平気ではいられないのだ。



(この項つづく)





トマス・ハーディ「アリシアの日記」その9.

2010-06-05 23:15:24 | 翻訳
その9.

五月九日

 午後四時。
すっかり興奮してしまって、ペンを取ることもかなわないくらいだが、部屋を出る前にどうしても書いておきたい。わたしが馬鹿みたいに興奮しているのは、思いがけない出来事が、思いも寄らないかたちで起こってしまったからなのだけれど、わたしもキャロラインと同じで、女学生とたいしてちがわないことが明らかになってしまった。

 ムッシュー・ド・ラ・フェストは、わたしたちは明日まではいらっしゃらないとばかり思っていた。それが、ここにいらっしゃる。たったいま、到着されたのだ。父は、ムッシュー・ド・ラ・フェストがまさか一日早くわたしたちの前に姿をお見せだとは思いもよらず、郵便が届く前に遠方の聖職受任式に出かけてしまっていたので、家内の切り盛りは何もかもわたしがしなければならなかった。そこへ、シャルルさんからの手紙を開くと、アトリエの仕事が思ったより早く片づき、この手紙のあとを追って数時間後にはうかがう、とあったので、キャロラインもわたしも、少々の驚きようではすまなかった。

わたしたちは手紙で教えられた汽車を出迎えられるよう馬車を駅にやり、帰ってくる車輪の音をいまや遅しと、ぴんと弦を張った新品の二台のハープのように待ち受けた。とうとう砂利を踏む音が聞こえてきた。

問題は、誰があの方をお出迎えするのか、ということだった。厳密に言えば、わたしの仕事であるといえよう。けれど、わたしはどうも気後れがする。その任を何とかして負うまいとして、キャロラインに行け、と言い張った。ところがあの子も、いつもならお客様があるようなときには、それが誰であってもドアで出迎えるくせに、客間で胸をときめかせながら待っているのだ。あの方も、静まりかえった玄関ホールや、なんだかひとけのない家の中を見たときには、まさにその瞬間、そのすぐ裏では、家中が好奇心で動悸に波を打たしていたとは夢にも思わなかったろう。わたしは階段を上り詰めたところにある奥まった場所、下からは見えないところに立って、父より少し軽い足跡が客間に入っていく音を聞いていた。召使いがドアを閉めて、出ていった。

 そこでふたりきり、楽しい再会を心ゆくまで味わったにちがいない。喪服姿のキャロラインが見上げたときの愛らしい顔――さぞかしあの方の心に響いたことだろう。キャロラインがひどく泣いている声が、こちらにまで聞こえてきた。真っ赤に泣きはらした目になってしまうだろうが、それも仕方あるまい。あの子は幸せなのだから。いまこれを書いているときも、あの子が何の話をしているか、想像がつく。何かのためにいらっしゃることができなかったら、と思うと、怖くてたまらなかった、とか、どうしてもっと早く来ていただけなかったの、と微笑みながら責めたり、そんなことをしているのだ。あの方のスーツケースが、階段の踊り場を通って、部屋へ運ばれていく。わたしもそろそろ降りていった方がいいだろう。

数時間後

 とうとうあの方にお会いできた。こんなふうにお会いするとは予想だにしていなかったので、何だか妙な感じだ。あの方のスーツケースが運ばれて、わたしは自分の部屋を出た。そうして階段の最初の段に足をかけたとき、下の玄関ホールにあるものが目に飛び込んできた。しばらく足を止めてそれを眺めた。カンバスを束ねたものやいくつもの棒、野外スケッチをするときのための天とやイーゼル。

ちょうどそのとき、客間のドアが開き、婚約中のふたりが出てきた。庭に行きましょうよ、と言いながら、妹が帽子を取りに行く。そのあいだあの方は待っておられた。当初わたしは、ふたりと顔を合わせないでおこうと思っていた。というのも、わたしなどがいては邪魔だろうから。ところがわたしはすでに階段のてっぺんに立っていて、引き返すことも出来ない。そこであの方が見上げ、じっとわたしを見つめたまま立っていらっしゃった。夢でも見ているかのように、釘付けにされたかのように。わたしもまた、そこに立ちつくしていた。前へ進むはずのところが、みっともないことにぼうっとしたまま。やがて、もうろうとした意識をなんとかしゃんとさせて降りようとしたとき、妹があの方を呼ぶ声が聞こえてきて、ふたりはドアを開けて一緒に庭へ出ていってしまった。

ふたりのあとからわたしも行こうか、と思ったが、気分が変わった。そうして自分の部屋に戻っていまこれを書いている。いまのわたしにできることはこれだけだ……。あの方は思っていたよりはるかに目鼻立ちの整った方だった。そうして、すがたかたち以上の魅力がおありなのだろうと思っていた予想は、その通りだった。一目拝見しただけで、そのことはよくわかる。キャロラインが幸せでないはずがない。だが、わたしももう下へ行き、ふたりが部屋に戻るまでにお茶の用意をしておかなければ。

午後11時

 ムッシュー・ド・ラ・フェストとお近づきになった。そのせいで、わたし自身がまったく別の女になったような気がする。どうしてそんなふうに思うのか、うまく言葉にはできないのだけれど、あの方とお話していると、視界がぱっと明るくなるようで、心はうち解け、竹馬に乗ったように、高いところから物事が見渡せてくるのだ。

美しい知的な額と、形の良い眉、濃い色の髪と目、生き生きとしたものごし、耳を引きつけるような声。声の質としては優しい、男性にしては優しすぎる声といえるのかもしれない。それでも、あの方にはそれが一番ふさわしいのだ。

わたしたちはずっとあの方の絵の話をしていた。芸術が犠牲と心のこもった献身とを求めるものであるということ、そこにはふたつの道があって、ひとつは俗っぽい、お金儲けの道、そうしてもうひとつは目標を高く掲げて進む道。後者を選べば、その結果、何年ものあいだ、大衆からの支持は得られない、ということ。あの方がそちらを選択しているのは、あの方を少しでも知っている人ならば、言うまでもないこと。そんな方に見初められたキャロラインは恵まれている。結婚が多少先送りされたり遅くなったりしたからといって、悲しんだりしてはならない。やむを得ない事情があったのだから。あの方は妹のことを、ご自身と同じように、知性の面でも上巻の面でも、豊かなものだと考えておられるのだろうか。わたしにはよくわからないけれど、それでもときおり妹の単純なものの見方に、失望されているような気配がうかがえる。あの方はほんとうにいま、このときでも、心から妹を愛しておられるのだろうか。ご自分の感情をそうしたものだと、信じておられるだけではあるまいか。そうして、これから先、生涯にわたってその気持ちは変わらないと願っておられるだけなのでは。

 あの方はほんの短いあいだ、わたしとふたりきりになったとき、不思議なことをおっしゃった。キャロラインはほんの少しも、会話でも手紙でも、わたしのことにほとんどふれたことがなかったそうだ。だから、この家に、わたしのような人間がいることを、まったく知らなかったのだ、と。

とはいうものの、手紙にしても話すにしても、もっぱら自分のことばかりになるというのは、何の不思議もないことだ。不意に会ったせいだろう、二度、三度、わたしの方を、こちらの胸がさわぐようなまなざしで、じっと見つめていらっしゃった。わたしときたら、近来ではほとんど人と交わることもないというのに。そのうち、わたしが見返していることに気がつかれて、あの方も少し困ったようすで、目をそらしてしまわれた。そのおかげで、わたしの動揺していることが気づかれずにすんでよかった。これを見ても、あの方もまた、あまり社交的な方ではないのだろう。



(この項つづく)



トマス・ハーディ「アリシアの日記」その8.

2010-06-03 23:21:30 | 翻訳
その8.

四月五日

 ムッシュー・ド・ラ・フェストの手紙は、まったく理にかなっていると思われるのだが、キャロラインはそのことで心を痛めている。ムッシュー・ド・ラ・フェストは、わざわざ海峡を越えてイギリスにまでいらっしゃり、またお帰りにならなければならないのだから、この海のひどく荒れた時期、会いに来ていただくには及ばない。まして五月になればお仕事でロンドンにいらっしゃるのだから、そのときならいらっしゃるのもお帰りになるのも、都合がよいはずだ。キャロラインもあの方の妻となれば、もっと実際的になるにちがいない。だが、いまはまだほんのねんねで、理屈を言っても納得しようとしない。とはいえ、自分の花嫁道具の準備など、しなければならないことはたくさんあるのだから、時間などすぐに過ぎていくはずだ。余裕を持って式の支度を整えようと思えば、すぐにも取りかかる必要がある。キャロラインが半ば喪に服した状態で、結婚するようなことがあってはならないのだ。母がもしそのことを知ったとしても、それを望まないにちがいないし、この点に限っては、ふだん聞き分けの良いキャロラインが、かたくなに言い張るのは奇妙な気がする。


四月三十日

 今月はツバメの背に乗ったような勢いで過ぎていった。わたしたちは興奮状態にある――わたしまでも、あの子のように――どうしてかよくわからないのだけれど。手紙によると、あと十日したら、あの方がほんとうにお越しになる。

(今日は短いんですが、つぎの日記が長くて、全部訳せなかったので、つづきは明日)