陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その10.

2010-06-07 23:06:35 | 翻訳
5.情況は厳しいものとなる

五月十五日

 毎日考えれば考えるほど、わたしの疑念は確からしいものに思えてくる。あの方はわたしに興味を持ちすぎてはおられる――、はっきり言ってしまえば、わたしを愛しておられるのだ。というより、もう少し品位を落とさないような表現を使うなら、わたしに対して情熱を抱いておいでだ、ということになるだろうか。キャロラインに対する愛情は、妹に寄せるものにすぎない。苦い真実ではあるけれど。どうしてこのようになったのかわからないけれど、こまったことになった。

 数え切れないほどたくさんの証拠がこの事実を示していることを思えば、考えれば考えるほど、これからどうなっていくか、やきもきしてしまう。わたしが置かれたこの苦境から救い出してくださるのは、天の神様だけだろう。

 わたしの方からあの方をその気にさせて、妹に対して不誠実なまねをしたことはない。これまでずっと、避けるようにしてきたぐらいだ。三人で話をしようと水を向けられても、いつも断ってきた。にもかかわらず、実を結ばなかった。何か宿命的なものに支配されているような気がする。あの方がここにいらっしゃってから、取り返しのつかないことが起こってしまった。もしこれからどうなるか、お着きになる前にわかってさえいたら、誰のところにでも、たとえどれだけいやな友人のところであろうと、喜んで出向いていたことだろう。このはっきり、裏切りといえるような事態だけは避けようとしたはずだ。でも、わたしときたら愚かにも、迎えてしまった――実際、あの子のことを思って、ことのほか愛想良くふるまってしまったのだ。

 もはやわたしの疑念が間違っている可能性はないだろう。まぎれもない事実であるとわかるまでは、なんとかわたしも真実を認めまいとしてきたのだ。だが、あの方の今日のなさりようは、たとえそれまで何の不安を抱いてなかったとしても、その気持ちがほんとうだとわかったことだろう。

郵便でわたしの写真が何枚か届いたところへ、朝食の席でみんな、それを手にとって、品評を始めた。それからとりあえずサイド・テーブルに載せておいたまま、自分の部屋へ戻ってから一時間ほどうっかりわすれてしまっていたのだ。それを取りに行ったとき、わたしは見てしまった。あの方が戸口に背を向けてテーブルの、写真の上にかがみ込んでいらっしゃった。そうして、そのなかの一枚を取り上げて、ご自分の唇に持っていかれたのである。

 この仕草を見てしまって、わたしはすっかり怯えてしまって、気がつかれないようにそっと抜け出した。同じ結論を指し示す、ささやかな、けれど意味のある数々の出来事がこれまでにもいくつもあったけれど、これこそがまさにその極致だった。目下のわたしの問題は、どうすべきか、ということだ。まず考えるのは、家を出ることだが、キャロラインや父にはどう説明すればよいのだろう。第一、シャルルさんを自暴自棄にしてしまい、破局の引き金を引かせるようなことをしてはならない。となると、しばらくのあいだは、ただ待つことしかできそうにない。あの方の存在がわたしの胸をかき乱し、顔を合わせる勇気もほとんど残っていないのだが。この難しい問題には、いったいどのような結末が用意されているのだろうか。


(この項つづく)




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