陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その23.

2010-06-26 23:21:12 | 翻訳

九月十四日

 四ヶ月が過ぎた。たった四ヶ月しか経っていないのか。何年も過ぎたように思えるのに。ふたりの結婚のことを日記に書いてから、十七週間しかたっていないなどということがあるのだろうか。あのころとくらべると、いまのわたしは老婆である。

 決して忘れることのできないあの日、わたしたちは待ちに待っていた。ところがシャルルさんは戻っていらっしゃらない。六時になって、かわいそうなキャロラインは、言葉にできないほどの不安な気持ちを抱えたまま、自分の部屋へ戻っていたが、湿地牧野で働いている男が家に来て、父に会わせてくれ、と言った。父は書斎で男と面談した。じき、呼び鈴を鳴らしてわたしを呼んだ。そこで下りていくと、おそろしい知らせを聞かされたのである。

シャルルさんはもはやこの世の人ではなかった。その給水係りが牧草地の堰の水門を閉じようとしたところ、帽子がひとつ、足下の水の縁にぐるぐると渦巻きながら浮かんでいる。水底をのぞきこんでみると、何か妙なものが見えた。その正体をすぐに察し、水流が治まるようにハッチを開いて水位を下げると、はっきりと人の体がわかった。詳細は書く必要もないだろう。当時、そのことは新聞にも載ったのだ。シャルルさんは家へ運ばれたが、もはや息はなかった。

 わたしたちはみな、キャロラインのことを心配した。ひどい苦しみようだったから。だが、妙な言い方だけれど、あの子の苦しみは、泣くだけ泣いてしまえば浄化されるような性質のものだったのだ。

検屍審問であきらかになったのは、シャルルさんは以前からときどき、向こうの丘に住む老人の家に、牧草地を越えて訪ねていき、半クラウンを与えていたらしい。その老人は、かつては無名の風景画家だったのだが、失明してしまったのだ。どうやら当日もそこへ行って、別れを言おうとしたものと推測された。検屍の陪審員たちはこの情報をもとに、過失による死亡と判定した。そうして誰もが今に至るまで、あの方は老人を助けるために堰を渡ったときに溺れたのだと信じている。たったひとりを除いて――。その人物は、事故などではないと考えている。

知らせを聞いてすぐ、息も止まるかと思われた衝撃が去ると、わたしはその話が奇妙なものに思えてきた。なぜあの方は、いよいよ出立するという間際になって、みずから、そんな時間のないときに、わざわざ出かけたのだろう。どんな贈り物であっても、ほかの者に届けさせれば簡単に片づく話ではないか。考えれば考えるほど、ひとつの考えがわたしに取り憑いて離れなくなる。自分の生涯を終わらせることも、その日、近くの教会で挙げた結婚式と同様、計画の一部だったのではないだろうか。大運河ではっきりおっしゃった言葉、「なるほど、結構です。愛ではなく、信義を賭けた約束ということですね。妹さんの正直な気持ちを聞いてみることにします。もし結婚したい、とおっしゃるなら、式を挙げましょう」という言葉をわたしはいまでも忘れることができないのだが、結婚式と生涯にピリオドを打つことのふたつは、あの方の意思を完遂するために不可分のことだったのだ。

 どうしてわたしはこんなことを、いまになって書くことになったのか、自分でもわからない。ただ、わたしのとりとめのない書きつけの中で、妹とシャルルさんの恋物語に関連する箇所だけでも、結末を記しておきたいと考えたのだ。あの子は悲嘆の日々を送っているが、おそらく乗り越えていけるだろう。だが、わたしは――いや、わたしのことはどうでもいい。


第十章 その後のこと


五年後

 この古い日記が急にでてきて、興味深く読み返してしまった。この頃はまだ人生が、わたしの目にも、もっと明るく暖かく輝いていた。ひとつのことを付け加えて、この過去の記録にけりをつけよう。一年ほど前、妹のキャロラインは、以前から熱心に結婚を申し込んできていたテオフィルス・ハイアム師に嫁いで行った。あの赤い頬をした若い説教師は、かつてわたしの計画したかりそめの結婚式を手助けしてくれた人でもあるが、いまでは隣の教区で副牧師として正式に任命された。自分の務めた役割を後悔しておられたが、結局は恋に落ちたのだ。これでわたしたち全員が、妹に対する罪を償った。どうかあの子がもう欺かれることのありませんように。




The End




(※手を入れて後日サイトにアップします。お楽しみに)