陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その13.

2010-06-10 22:37:31 | 翻訳

六月二十一日

 わたしの大切なキャロラインは食欲をなくし、意気消沈し、病に伏している。聖書にも「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます」とある。あの方の手紙も、よそよそしくなるばかりなのだろう――仮に、あの手紙より後も書いてくださったとしたら、だが。わたしにはもう手紙はくださらなくなってしまった――そんなことをしても無駄であることをよくご存じなのだ。あの方と妹とわたしが投げ込まれた情況は、やりきれなさの極致となった。人の心というものは、どうしてこんなにも複雑なのだろうか。


第四章 アリシアがとっさに思いついてやったこと

九月十九日

 心配な時期が三ヶ月に及び、とうとうわたしはあの方に手紙を差し上げるという、のっぴきならない手段に訴えることにした。なにより心配なのは、かわいそうなキャロラインのようすだ。沈み込んだあげく、しだいに衰弱していったあの子は、もう前のように元気な姿を見ることもなかろうと思えるほどだった。それが今日になって、容態がさらに悪化した。危篤状態に陥ったのだ。お医者様は、傷心もここまでくると、助かる見込みはありません、とおっしゃる。その原因がたとえ取り除かれたとしても、とても回復はかなわないでしょう、とのことだ。もっと早く、わたしがシャルルさんにお伝えすべきだったのではなかったろうか。 だが、あの子はわたしを止めたのに、それを振り切って、どうしてそんなことができよう。
やはり、妹は自尊心からそう言い張ったにすぎないのだから、わたしは従うべきではなかったのだ。


九月二十六日

 シャルルさんが到着され、妹にお会いになったところだ。ショックを受けて、自責の念にかられ、後悔されておられるようす。あの子のそばにいらっしゃってくださるのが一番の良薬なんです、とわたしは申し上げた。もしあの子が元気になったら、シャルルさんはプロポーズのことをどう考えておられるのかわたしにはわからないけれど、いまはまだ何もおっしゃらない。実際、そんなことは恐ろしくてとても言えない。何を言うかで命に関わるほど、心がかき乱されかねないのだから。


九月二十八日

 義務感と自己中心性の葛藤を重ねたあげく、こんな苦しみをもう二度と味わわなくてすみますように、と神に祈ってから、あの方にお願いした。どうか妹を、いま、この場で、病に伏しているあの子をあなたの妻にしてやってください、と。かわいそうなあの子は、あなたにそれほど長くはご迷惑をおかけすることもないでしょう。結婚式を挙げてやれば、何にも増して、あの子の最後のひとときを慰めてやれるはずです。

あの方も、よろこんでそうさせていただきます、ぼくもそのことを考えていました、とおっしゃった。けれど、そうするとひとつ困ったことになる、とも。妹があの方の妻として亡くなると、イギリスの法律では故人の肉親であるわたしとは結婚できないのだそうだ。その言葉をうかがったとき、わたしは愕然となってしまった。

あの方はおっしゃった。
「そうはいっても、いますぐ結婚式を挙げることで、妹さんの命が助かるのでしたら、ぼくはそれはできないとは申せません。おそらく時間が過ぎ、あなたからも遠く離れてしまえば、妹さんのようなかわいらしい性質の方と一緒になればなったで、おだやかに過ごすことができるとは思うのです。けれども、万が一にも、式を挙げたとしても、そのほかにどんな手を尽くしても、妹さんの命は助けられないかもしれない。そうなると、ぼくは妹さんも、あなたも失ってしまうことになる」

わたしにはどうにも返事のしようがなかった。


九月二十九日

 今日の午前中まであの方は、ご自身のお考えから、わたしの申し出は頑として聞き入れてはくださらなかった。それが、ふと思いついたことがあったので、あの方に話してみたのだ。

キャロラインと形式的な結婚式を挙げることだけでも同意してくださいませんか。あの子はあなたのことを愛しているのですから。法的に夫婦になる必要はないんです、病気で弱ってしまった魂を満足させてやるだけの式です。こうしたことはこれまでだってあったし、あなたの妻になれたということで、彼女の心は言い尽くせぬほどの安らぎを得ることができるはずです。そうであるなら、もしあの子が天に召されても、わたしが将来いつかあなたの法的な妻になる可能性を失効したことにはなりません。もちろんそのときでも、わたしがその座にふさわしいと判断してくだされば、の話ですけれど。それにもし、妹が助かるようなことがあれば、病気がよくなってから、婚姻契約は結ばれていなかったことをお話ししてくださって、もう一度結婚式を挙げればよろしいのではないでしょうか。ふたりに迷惑をかけることのないよう、わたしは喜んでどこかよそに行くつもりだし、髪は白くなり、しわくちゃになったころには、あなたもわたしに寄せた不幸な情熱も、過去のものとなっているでしょう。

こうしたことをみんなわたしは申し上げたのだが、あの方は、ためらいがちに、だがきっぱりと、拒否された。



(この項つづく)





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