陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その20.

2010-06-18 23:01:41 | 翻訳

(四月十八日のつづき)

「ほんとうの結婚ではないってどういうこと?」あの子はぽかんとした顔でそう聞いた。

「正式なものではなかったの。じきにあなたにもわたしの言うとおりだってことがわかるわ」

 そこまで言ってもあの子はまだわたしの言うことを信じかねているようすだった。「あの人の妻じゃないってこと?」悲鳴のような声が上がった。「そんなこと、ありえないわ。じゃ、わたしは何なの?」

 わたしは詳しい事情を打ち明けて、なぜわたしがそういう方法を取ったか、その理由もかんでふくめるように、繰りかえし説明した。あの子も納得できなかっただろうが、それ以上に、説明するわたし自身が、自分の取った行為を正当化することに、どれほどの困難を感じていたか。

 何もかもがすっかりわかった瞬間、あの子の表情は一変し、苦痛に満ちた顔になった。ややあって、嘆きがいくぶんか和らぐと、今度はシャルルさんとわたしを責めはじめた。

「どうしてわたしがこんなふうにだまされなくちゃならなかったの?」居丈高になって詰問するあの子の口調は、日ごろの扱いやすいあの子からは、想像もつかないほど鋭いものだった。「そんなぺてんが通用するとでも思ってるの? よくもわたしを罠にかけてくれたわね!」

 わたしは小さな声でつぶやくしかなかった。「あなたの命を助けたかっただけ、それだけなの」だが、あの子の耳にははいらなかった。

 あの子は椅子にぐったりと沈みこみ、顔を覆った。そこへ父が入ってきたのだ。

「ここにいたのか! おまえがいないので探したよ……キャロラインじゃないか!」

「で、お父さん、あなたもこのわけのわからない、おためごかしをやらかした一味ってわけなんですか?」

「何の一味だって?」

 つぎの瞬間、何もかもが白日の下にさらされることになった。父は、以前わたしが打診した、病気の妹をなぐさめるための計画が、ほんとうに実行に移されたことを、そのとき初めて知ったのである。話を聞くやいなや、父はキャロラインの側についた。あの子のことが心配だったからこそ、そんなことをやったのだ、とわたしがどれほど繰りかえし言おうと、何にもならない。そのうち、キャロラインは立ちあがると、むっつりした顔で部屋を出ていき、父もあとを追った。非難の言葉と一緒に、わたしひとりが残された。

 いますぐにもシャルルさんを探さなければ、という思いで頭がいっぱいだったわたしは、妹と父がどこに行ったかまで、気が回らなかった。ポーターたちが「ムッシュー・ド・ラ・フェストさんはついいましがた、外で煙草を吸っておいででした」と教えてくれて、そのうちのひとりが呼びに行ってくれ、わたしもそのあとに続いた。だが、何歩もいかないうちに、あの方が、わたしのあとからホテルを出てくるのが見えたのだ。さぞかし驚かれることだろうと思っていたが、わたしを見ても、さほど驚いたふうもない。だが、その顔にはわたしが当惑するほど強い、別の種類の感情が表れていた。わたしもそれとそっくりの表情を浮かべていたのかもしれない。それでもあらゆる感情と闘って、ものが言えるようになるとすぐに、妹がここに来ていることを話した。シャルルさんはひとこと、「知っています」と低い声でおっしゃった。


(この項つづく)