その7.
十月三十日
妹の母を喪ったことに対する悲嘆も、徐々に和らいでくるにつれ、ムッシュー・ド・ラ・フェストに対する思慕の念も、ふたたびかつての激しさとひたむきさがよみがえってきたようだ。あの子ときたら、朝から晩までムッシュー・ド・ラ・フェストのことで頭がいっぱいで、学術論文ほどの分量の手紙を書いている。先方から、そちらにいますぐにはうかがえそうもない、と言ってきたときのあの子のしょげかえりようときたら、こちらまで胸が痛むほどだった。わたしもどのような方か会ってみたかったので、落胆したのは一緒だったのだが。けれども、絵を描くのに空気の雰囲気をつかむためにオランダへ行く予定を立ててしまわれたのだそうだ。なんでも、秋のこの時期にしか、把握できないものなのだとか。だからこちらへの旅程はやむを得ず、年が明け早々にまで延期する、とのことだった。
わたし自身は、あの方は何をおいてもこちらにいらっしゃるべきではなかったか、と考えている。キャロラインが母親を亡くしたばかりであることや、楽しみにしていた結婚式が、かわいそうに延期されてしまったこと、あの子が一途に心を寄せていることなど考え合わせるなら。とはいえ、どうすべきか誰にわかるだろう。あの方のお仕事がうまくいくことが何よりも大切なのだから。それに、あの子は陽気で楽天的なたちである。予定が先に延びたとしても、すぐに立ち直るだろう。
第四章 魅力的な初対面の相手に会う
二月十六日
冬の間ずっと変わりばえのしない日々が続いたために、書きとめて置くようなこともなく、そのために日記もなおざりになってしまった。それでもこれからキャロラインの将来のことについて記すために再開することにする。
母が亡くなった直後には、悲嘆に暮れて、どれほど式を延ばすつもりかというムッシュー・ド・ラ・フェストの質問にも、はっきりしたことは言えなかったようだ。この件は、秋にあの方がお越しになった際に話し合うことになっていたのだが、いらっしゃらなかったために、いままで保留されていた。それが今週になって、キャロラインはあの恐るべき率直さと信じやすさを発揮して、まったく自発的に手紙を書いた。こちらはいつでも日取りを決められるし、お越しになればすぐに決めたい、と伝えたのである。
それが、いまはいささか怖れてもいるようすだ。自分の方からこんな話題を持ち出すなんて、と気に病んでいるのだ。けれども、あの子は先方からの問い合わせにまだ答えていないのだから、それを考えると、約束を果たしたということになるのではないか。
ほんとうのことをいうと、近ごろあの方はふたりの関係が中断していることになにも行って来なくなった――つまり、簡単にいうと、かつてのようにあの子を早く自分のものにしたいという情熱に、そこまで駆られていらっしゃるご様子ではないのだ。
思うに、あの方は妹をこれまでと同じように愛していらっしゃるはずだ。確かにそうにちがいない、あんなに愛らしい子なのだから。世間の男は、愛する対象が目前にいないと、こんなふうになる傾向がある――横着をしてしまうのだ。
キャロラインも我慢して、才能のある相手には大きな用件をさまざまに抱えていることを忘れないようにしなければ。公平に見て、あの子はそういうことをよくわきまえている子で、同じような立場にあるどんな娘より分別がある。先方は遅くとも四月の初めにはいらっしゃるそうだ。そのときに、わたしたちもお目にかかれるだろう。
(この項つづく)
十月三十日
妹の母を喪ったことに対する悲嘆も、徐々に和らいでくるにつれ、ムッシュー・ド・ラ・フェストに対する思慕の念も、ふたたびかつての激しさとひたむきさがよみがえってきたようだ。あの子ときたら、朝から晩までムッシュー・ド・ラ・フェストのことで頭がいっぱいで、学術論文ほどの分量の手紙を書いている。先方から、そちらにいますぐにはうかがえそうもない、と言ってきたときのあの子のしょげかえりようときたら、こちらまで胸が痛むほどだった。わたしもどのような方か会ってみたかったので、落胆したのは一緒だったのだが。けれども、絵を描くのに空気の雰囲気をつかむためにオランダへ行く予定を立ててしまわれたのだそうだ。なんでも、秋のこの時期にしか、把握できないものなのだとか。だからこちらへの旅程はやむを得ず、年が明け早々にまで延期する、とのことだった。
わたし自身は、あの方は何をおいてもこちらにいらっしゃるべきではなかったか、と考えている。キャロラインが母親を亡くしたばかりであることや、楽しみにしていた結婚式が、かわいそうに延期されてしまったこと、あの子が一途に心を寄せていることなど考え合わせるなら。とはいえ、どうすべきか誰にわかるだろう。あの方のお仕事がうまくいくことが何よりも大切なのだから。それに、あの子は陽気で楽天的なたちである。予定が先に延びたとしても、すぐに立ち直るだろう。
第四章 魅力的な初対面の相手に会う
二月十六日
冬の間ずっと変わりばえのしない日々が続いたために、書きとめて置くようなこともなく、そのために日記もなおざりになってしまった。それでもこれからキャロラインの将来のことについて記すために再開することにする。
母が亡くなった直後には、悲嘆に暮れて、どれほど式を延ばすつもりかというムッシュー・ド・ラ・フェストの質問にも、はっきりしたことは言えなかったようだ。この件は、秋にあの方がお越しになった際に話し合うことになっていたのだが、いらっしゃらなかったために、いままで保留されていた。それが今週になって、キャロラインはあの恐るべき率直さと信じやすさを発揮して、まったく自発的に手紙を書いた。こちらはいつでも日取りを決められるし、お越しになればすぐに決めたい、と伝えたのである。
それが、いまはいささか怖れてもいるようすだ。自分の方からこんな話題を持ち出すなんて、と気に病んでいるのだ。けれども、あの子は先方からの問い合わせにまだ答えていないのだから、それを考えると、約束を果たしたということになるのではないか。
ほんとうのことをいうと、近ごろあの方はふたりの関係が中断していることになにも行って来なくなった――つまり、簡単にいうと、かつてのようにあの子を早く自分のものにしたいという情熱に、そこまで駆られていらっしゃるご様子ではないのだ。
思うに、あの方は妹をこれまでと同じように愛していらっしゃるはずだ。確かにそうにちがいない、あんなに愛らしい子なのだから。世間の男は、愛する対象が目前にいないと、こんなふうになる傾向がある――横着をしてしまうのだ。
キャロラインも我慢して、才能のある相手には大きな用件をさまざまに抱えていることを忘れないようにしなければ。公平に見て、あの子はそういうことをよくわきまえている子で、同じような立場にあるどんな娘より分別がある。先方は遅くとも四月の初めにはいらっしゃるそうだ。そのときに、わたしたちもお目にかかれるだろう。
(この項つづく)