陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トマス・ハーディ「アリシアの日記」その16.

2010-06-13 23:14:37 | 翻訳
第七章 驚きが待っていた

二月五日

 長いあいだ、まったく書くこともできない情況が続いていた。やっとなんとか少しずつでも書きとめることができるようになった。キャロラインの回復も、四ヶ月以上がかかったけれど、めざましいものだった。最初のうちはじれったいほどだったが、のちにはぐんぐん良くなっていったのだ。だが、恐ろしいほど複雑な事態がそこに控えていたのだ!


  おお、我らが織りなす網の目のなんともつれたものであることか
  あざむくことより始めれば(ウォルター・スコット「マーミオン」より)


 シャルルさんは滞在先のヴェニスから非難がましい手紙をくださった。自分はただ、いつわりを演じただけで、それを実際にやりおおせることなどできそうもありません、いまなお、あなたを愛しているというのに、と。

そうはいっても、反対からいえば、実際に結婚生活を送ることなく、そのままにしておけるものだろうか。あの子には何も聞かせていないので、いまもなお「良きときも、悪しきときも、死が二人を分かつまで」、自分がシャルルさんの妻であると信じている。わたしも困った立場に置かれたものだが、わたしたち三人ともそうなのだ。恐ろしい死が迫っているときには、人はしかるべき判断のバランスをうしなってしまい、目前の危機を切り抜けるために、なんだってする。片方の目を、いまにもわたしたちから永久に引き離されようとしている者への同情に奪われたまま。

 あのときシャルルさんがほんとうに妹と結婚してくださっていれば、万事、うまくおさまったのだ。けれどもあの人は考えすぎる人だ。もしかしたら妹は死んでいたかもしれない、そうであるならば、あの人の判断は正しかったといえよう。もし実際にそうなっていたら、もちろんわたしは悲しんでいたにちがいないが、嵐に翻弄されることもなかっただろう……。

シャルルさんは結局はわたしを望むだろう。そのことがわたしの動揺の根っこのところにある。たった一本の糸に、あらゆるものがぶらさがっている。もしキャロラインにあの結婚はお芝居だったと言えば、どうなるだろう。わたしと彼とにだまされたと腹をたてたとしたら――そうすると、いったいどうなる? そうでなければ、腹を立てることもなく、わたしたちを許してくれればどうだろう。そうなると、シャルルさんは妹と結婚しなければならないし、道義的に考えれば、、仮にあの方が反対なさっても、わたしがシャルルさんを説得し、妹にもそのことを知らせて、なんとかそちらへ話を進めなければなるまい。先月、あの子に話そうとしたのだ――そのころからずいぶん丈夫になってきて、そんな話にも耐えられるようになっていたから。だが、わたしにはその力がなかった。道徳的な力が。手紙を書かなくては。あの方に帰ってもらって、助けてもらおう。


三月十四日 

 シャルルさんがよんどころない事情でここを去ってから、五ヶ月が過ぎ、その不在が延びていることをあの子はずっと不思議に思っている。さらに、どうしてもっと頻繁に手紙をくださらないのか、それもいっそう不思議に思っている。つい先頃の手紙も、あの子がいうには、よそよそしいし、結婚式を挙げたのも、死にそうな自分をかわいそうに思って哀れんでくださったからで、いまごろは後悔していらっしゃるのではないかしら、といっている。これを聞いて、心から血がほとばしるような思いだ。真実のすぐそばまで気ながら、まだほんとうのすがたを見きわめられないでいるのだから。

ささいなことだが、わたしを悩ますことはほかにもある。あの若い説教師だが、自分の果たした役割で、良心を痛めているらしい。自分の判断が正しいと、邪道を重ねたことで罰を受けるのはわたしなのに。


(この項つづく)