陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

おかえりなさい、はやぶさ

2010-06-14 23:23:08 | weblog
ここで以前にも紹介したけれど「こんなこともあろうかと!」
みなさんは「流れ星」になった「はやぶさ」の映像はごらんになりましたか。


わたしが前のログを書いたころは、「はやぶさ」と言っても、知らない人の方が多かったのだが、昨日は朝刊の一面トップにはなるし、Webニュースでも上位に来るし、ライブ映像もあるし、で、「はやぶさ」の話題は、ワールドカップをすっかり押しのけていた。

それにしても、「はやぶさ」の話はどうして人の心を揺さぶるのだろう。どうして宇宙の話を聞くと、胸が熱くなるんだろう。

アメリカドラマの『ザ・ホワイトハウス』の中にも、宇宙開発のトピックは何度か出てくるが、なかでもシーズン2の「ガリレオ」は、メイン・ストーリーが火星探査船「ガリレオ5号」の話題だった。

大統領のスピーチライターであるロブ・ロウは、こんな質問を受ける。世界には飢えた人、貧困に苦しむ人が大勢いるのに、どうして月へ行かなければならないの?
ロブ・ロウは答える。別にぼくたちが月へ行ったから、彼らが飢えたわけではない、月へ行ったことが原因で、貧困に追いやられた人がいるわけではない。
すると、相手は重ねて聞く。月へは行ったわ。だからもうそれでいいじゃない? どうして火星へ行かなきゃならないの?
それに対してロブ・ロウはこう答える。

'Cause it's next. 'Cause we came out of the cave, and we looked over the hill and we saw fire; and we crossed the ocean and we pioneered the west, and we took to the sky. The history of man is hung on a timeline of exploration and this is what's next.
(だってつぎがあるから。だから、ぼくたちは洞穴から出たのだし、丘の上に立ってあたりを見回し、火を見つけた。それから海を渡って、西を目指して開拓を続けた。それから空を手に入れた。人類の歴史は、探索の歴史だし、それが「つぎはそれだ」っていうことなんだ。

確かに、月へ行ったから貧困にあえぐ人びとが生まれたわけではなくても、先端技術は兵器に転用され、実際に人を殺傷してきた。そうやって原子爆弾を開発し、自然環境を破壊し、多くの生物を絶滅に追い込んだことを考えると、「つぎがある」ということがほんとうにすばらしいことなのか、よくわからなくなってくる。

「最先端」をめぐる競争の裏には虚栄心だってあるだろうし、何かに利用してやろうという山っ気だってあるだろう、未知の世界に乗り出そうとする勇気だけなら、海賊の方がはるかに上だったかもしれない。

けれども、「つぎ」にはそれだけではない、「何か」が含まれている。
いまはまだ知らないことを知りたい、という願い。
ほんとうのことを知りたい、真実を知りたい、という願い。
「何のため」ではなく、ただ知りたいから知りたい、という願い。

真実がわたしたちと無関係であれば、わたたちは人類の月面着陸にも、はやぶさの帰還にも、胸を熱くしたりはしないはずだ。おそらく、「真実の探求」ということが、わたしたちを揺さぶるのだ。

宇宙の果てはどうなっているのか。
宇宙には何があるのか。

「何のため」を含まない、ただ知りたい、という願いは、おそらくわたしたちの気持ちを浄化する。日常の、嘘や虚栄心や傲慢さや利己心などのあらゆる感情のごった煮から、小さくてきゃしゃな探査機のような真実への愛が飛び立つのだ。

「つぎがある」ということは、つぎを知れば、わたしたちはもっと真実に近づけるからだ。洞穴から外に出れば、もっと広い世界を見ることができるから。高い丘に登れば、もっと広い世界を見ることができるから。海を渡れば、もっと広い世界を見ることができるから。大気圏の外へ出れば、もっと広い世界を見ることができるから。

こんなふうに考えていくと、「真実」というのは、どこかにあるものではないことがわかってくる。洞穴の外にも、丘の向こうにも、海の向こうにも、宇宙にもあるわけではないのだ。

おそらくそれは、わたしたちが広い世界に目を向けているときに、奇跡のように産み出すことができる、かたちをもたない芸術品のようなものなのだろう。「はやぶさ」のニュースは、わたしたちに見えないそれが「そこにある」と教えてくれたのだ。

それは、そこにある。
だから、つぎを目指せ、と。

おかえりなさい、はやぶさ。
そこにあることを教えてくれて、どうもありがとう。