陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

異なる人と暮らす

2009-07-18 23:03:42 | weblog
昨日の先生の話のつづき。

アメリカ人というと、陽気で気さくで open-minded で、ちょっとおおざっぱだけれど、親しみやすい人、というイメージを持ってしまうかもしれない。
だが、日本人が、かならずしも勤勉で几帳面ではないように、そんなステレオタイプに当てはまらない人は多い。

その先生のお母さんは、大変働き者だったそうだ。家中の家具は、磨かれてぴかぴか(わたしはこの話を聞くまで、家具というものは磨くものだ、という発想がなかった。わたしは、ときたら、食器棚や本棚の棚の部分に積もった埃を、ごくたまに拭くくらいのものだったから。まあ、磨くような家具を持っていないというところもあるのだが)、台所ではぶらさげたナベやフライパンの底が光り、膝をついて床を磨いている姿もよく見かけたという。

だが、お母さんは、それだけの人ではなかった。生物学の修士号を持っていたお母さんは、子供たちと一緒に散歩にでかけては、楽しいお話を聞かせてくれたり、花の名前や鳥の名前、昆虫の習性を教えてくれた。学校にあがるようになると、勉強の面倒も見てくれたという。学校の先生よりよほど多くのことを知っていて、先生はそのおかげで飛び級で十七歳で大学に入学した。家を離れて初めて、自分の家がどれだけ特殊だったかわかった、という。

一方、先生のお父さんは、仕事熱心というのとはほど遠く、休みの日は一日中、テレビの前のソファに寝そべって、夜はビールを飲みながら、そのままそこで寝てしまうような人だった。お母さんはそのことでただの一言もお父さんに文句を言うことはなかったのだそうだ。けれど、家を離れた先生には、ずっとお母さんがどう思っていたか、はっきりとわかったという。

自分はこんなに朝早くから働いているのに。自分はこんなに夜遅くまで働いているのに。その空気が家中たれこめていたのに、どうしてそのころ、それに自分は気が付かなかったのだろう。そうして、父親はどう思っていたのだろう。

数年後、両親は離婚し、お母さんは小学校で教えるようになり、お父さんは再婚したらしい。

勤勉であることの美徳を疑ったこともない先生のお母さんが、いったいどう思いながらぐうたらな人間と生活を送ったか。家族のことを大切に思っていたことは、疑いようがない。けれど、いつも、自分が正しい、間違っているのは夫であり、子供たちは自分の価値観に従うべきだと思っていたにちがいない。決して自分の側に歩み寄ってくれない妻の姿に、いっそう父親は、自分の殻に閉じこもっていったのではないか。

こういう話を聞くと、受け入れる、というのは、どういうことなのだろう、と考えてしまう。自分とちがう人間、自分とちがう楽しみを持ち、時間の使い方をし、価値観を抱く人間と共に暮らすということは。

おそらく、それは相手のことをがまんしながら、自分は自分で最善を尽くすことではないのだろう。自分と異なる相手というのは、「自分の最善」以外の最善がある、ということを教えてくれる相手でもあるのだから。

自分が正しい、と思ってしまうと、話はそこで終わってしまう。だが、ほんとにそうなんだろうか。

再婚した相手は、一緒に自堕落を楽しめるような人であればいい。一緒にビールを飲みながらテレビを見て、ソファで眠り込んでしまうような。それでも、おいしいものが好きで、楽しい食事ができるような。その相手とは会ったことがないが、先生はそんな人だろうと期待もこめて想像しているらしい。

その先生を見ていると、そのお父さんとお母さんの両方が立ち上ってくるようで、人間っておもしろいものだなあ、と思う。