陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「女主人」その1.

2009-07-27 23:10:55 | 翻訳
今日から一週間ぐらいの予定で、ロアルド・ダールの「女主人」を訳していきます。
とってもダールらしい短篇です。
原文はhttp://www.nexuslearning.net/books/Holt-EOL2/Collection%203/landlady.htmで読むことができます。

* * *

The Landlady (「女主人」)

by Roald Dahl


その1.

 ロンドンから午後の鈍行列車に乗ったビリー・ウィーヴァーが、途中スウィンドンで乗り換えてバースに着いたときは、夜も九時近くになっていた。駅を出ると、向かいの家並みの上にひろがる澄んだ星空を背に、月がぽっかりと浮かんでいる。凍てついた空気のなか、頬に吹きつける風は氷のやいばのようだった。

「すいません」彼は声をかけた。「このあたりに安く泊まれるところはありませんか」

「『鐘とドラゴン亭』へ行かれてはどうでしょう」赤帽が通りの先を指さした。「あそこなら泊めてもらえますよ。向こうの道を五百メートルほども行けばあります」

 ビリーは礼を言うと、スーツケースを取り上げて、「鐘とドラゴン亭」目指して五百メートルの道のりを歩き始めた。これまでバースに来たことはない。ここに住んでいる人も、誰一人として知らなかった。だが、ロンドンにある本社のミスター・グリーンスレイドは、ここは実に素晴らしい街だと教えてくれたのだった。

「宿屋を探すんだ」と彼は言った。「落ち着き場所が決まったら、すぐに支社へ行って支店長に報告するように」

 ビリーは十七歳だった。おろしたての紺色のオーバーを着て、新品の茶色い中折れ帽をかぶり、新品の茶色いスーツに身を包んで、気分は爽快である。通りをきびきびと歩いた。ここ数日間、何ごともきびきびとこなせるよう努めてきた。きびきびとした態度こそ、成功したビジネスマンすべてに共通する唯一の資質だと判断したのである。本社のお偉方ときたら、いつだって文句のつけようがないほど、すばらしくきびきびしているじゃないか。それはもう、見事なまでに。

 彼が歩いている大通りには、一軒の店もなく、両側にはいずれもそっくりな、背の高い家が続いているばかりだった。いずれも玄関ポーチがあり、柱があり、玄関に通じる四、五段の階段があって、どうやらその昔はしゃれた住宅街だったらしい。だがいまや、暗い中ですら、ドアや窓の木造部分のペンキが剥がれ、白く端正だったにちがいない正面も、手を入れてないせいで、ひびわれ、しみが浮いているのが見てとれた。

 不意に、五メートルほど前方で、一階の窓が街灯に明々と照らされていた。ビリーの目をとらえたのは、上の方の窓ガラスに貼ってある、活字体で書いた張り紙だった。「お泊まり と 朝食」。張り紙のすぐ下には花瓶があって、丈の高く美しいネコヤナギが飾ってある。彼は足を止めた。一歩、そばへ寄ってみた。緑のカーテン(ベルベットのような素材である)が窓の両側に下がっている。両側のカーテンのおかげで、ネコヤナギはたいそう美しく見えた。もっと近寄って、ガラス越しに中をのぞき込んだ。最初に見えたのは、暖炉に燃えている明るい火だった。暖炉の前の絨毯の上には、かわいい小さなダックスフントが、鼻面を自分の腹に押し込んで、丸くなって眠っている。薄暗がりをすかして見る限りでも、その部屋は、気持ちの良さそうな家具がそろっていることがわかった。小ぶりのグランドピアノや大きなソファ、ふかふかの肘掛け椅子がいくつかと、隅には鳥かごに入った大きなオウム。こんなふうに動物がいるというのは、たいていいいしるしだ、とビリーはひとりごとを言った。全体に、たいそう美しく立派な家のように彼の目には映ったのである。きっとここは『鐘とドラゴン亭』などより居心地が良いにちがいない。


(この項つづく)