陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ベトナムのタロとジロ

2009-07-11 23:31:10 | weblog
『ベトナム戦争のアメリカ ―もう一つのアメリカ史』(白井洋子著 刀水書房)という本を読んでいたら、気になることが書いてあった。

ベトナム戦争時、アメリカはたくさんの軍用犬をベトナムで使っていた。アメリカから送られた数は、四千匹以上。そうして、無事帰国できた犬はたった二百匹だったという。

三千八百匹あまりが「戦死」したのか、というと、そうではない。「戦死」と認定されたのは、二百八十一匹、残りはベトナムで「廃棄」されたのである。

なぜアメリカ本国に送り返さなかったのかというと、ひとつには、軍用犬がベトナムの風土病の病原菌を持ったまま、アメリカに帰国して、アメリカ在住の犬に感染することを恐れたから、そうしてもうひとつは、軍用犬としてベトコンの摘発や、脱走兵の追跡にあたったシェパードは、帰国しても適切な「使い道」がないという判断があったためらしい。

確かに、戦争の日々を生きてきた犬が、戦争が終わったからといってアメリカに戻ってきて、気持ちを切り替えて、平和な日々をのんびり生きていくこともできないというのもわかるような気がする。ベトナムで命じられていたことを、どうしてアメリカでやってはいけないのか。人間を追いつめ、攻撃し、場合によっては殺すことが、どうしてベトナムでだけ任務なのか、犬としては理解しかねることだろう。

だが、考えてみれば、人間にしてもおなじことなのだ。病原菌の保有か否かはさまざまな検査によって、見つけだし、治療することは可能なのかもしれない。それなら犬だって可能なはずだが、やはり犬に対してはそこまで面倒はみきれない、ということだったのだろうか。

さらに、軍用犬が戦争が終わったからといってペットになれなかったように、人間だって平時に順応できたわけではない。実際、ベトナム戦争後、アメリカでは帰還兵が大きな社会問題となっていったのである。

こうやってみると、軍用犬の扱いと、帰還兵の扱いの相違というより、共通点の方が目につく。戦争が終わったから「廃棄」された多くの犬と、とりあえず連れて帰ってもらえただけの人間と。犬の廃棄を憤るのは一種の感傷ではあるのだろうけれど、戦争が終わったからといって命あるものを廃棄するという思想は、人間にも同じように適用されているのだろう。

日本の南極観測隊は、犬を残して帰国したことで、おおきな非難を浴びた。そうして、一年を南極で生き延びたタロとジロは、一躍ヒーローとなった。
廃棄から逃れ、生き延びたマックスやモリーはいなかったのだろうか。ベトナムの地で適応することができたのだろうか。